第一話 皓月〜こうげつ〜 その辻を曲がり、細い路地に入る。大通りに続くさほど広くない路地は、真っ直ぐに伸びており、左右にどこかの屋敷の塀が続いている。いつもの夜ならば、暗すぎて通るのは躊躇われるようなその路地に、今夜は上手い具合に満月が照っている。冴え冴えとしたその月は、澄み切った美しさを通り越して、どこか冷酷さを感じさせる輝きで満たされていた。 友雅がその路地の丁度中程まで来た時に、背後で「おん」と一声、犬が鳴いた。犬は友雅を追い越して駆けて行く。美しい月を愛でながら歩いていた友雅は、その事はさして気にも留めていなかった。ただ、自分の前にいるはずの犬の気配がフッと消えたような気がした。路地を駆け抜けて行ったにしては早すぎる……。何かしら心に掛かるものを感じつつ、友雅は先を急いだ。 やがて、後少しで路地を抜けるという頃、屋敷の塀に使用人の出入り口らしき扉を友雅は見つけた。ほんの少し隙間が空いている。(ああ、先刻の犬は、ここへ入ったのか、どうりで見失ったはずだ)と安堵し、その扉を通りすぎる間際、何気なく友雅は後ろを振り向いた。どこかで「おん」とまた犬の声がした。そして再び、前を向いた友雅は立ち尽くす。 『今宵はご用の為、逢坂にてお泊まりのはずなのに……』と口惜しそうに女が言った。御簾の向こうでは、事情を知る女房が慌てて友雅の履き物を庭先に用意している様子が聞こえてくる。こうなってはもはや興ざめである。それでも友雅は、やっと脱ぎ捨てたばかりの小袿を女の肩に掛けてやった。顔を曇らせて詫びる女に、友雅は優しい憂いの言葉で別れを告げた。 その言葉とは裏腹に、友雅は何かしら愉快な気持ちさえ込み上げてくるのを感じていた。実は、紅芍薬と歌われたほどに美しいその人のしなだれた姿を見ても、微塵も心はときめかなかったのだ。恋歌を贈られれば、それに応えた歌を直ぐさま返しもしたし、身を任されれば抱くこともできたが、友雅の言葉も指も、盛りを終えた花がその花弁を散らすかのように乾いていたのだった。 女の元に行くのに太刀拵では無粋と、飾りの施した内刀拵に代えたのだ。柄巻に金糸銀糸を用い、鍔には橘の彫り、鞘には螺鈿の細工をさせたその美刀は、目の前にいる怨霊に取り憑かれたものを一刀両断にできるほどには、研ぎ澄まされてはいない。その友雅の一瞬の焦りを見切った犬は、牙を剥き、彼に飛びかかる。ひゅうと風を巻く音がして、友雅の腕に熱さを残して通り過ぎる。と共に辺りに血の匂いが立ちこめた。友雅の腕から細い線を引いて滴り落ちる血。体制を立て直し、再び犬は牙を剥きだしにする。低く前脚を屈め、友雅の息の根を止めるために、大きく飛躍しようとする、その刹那。 |