「クラヴィス様、ちょうどよかった、今から執務室に伺おうと思っていたんです」
「育成か?」
「はい」
「では、行こうか……アンジェリーク」その会話をジュリアスは背中で聞いていた。聖殿の回廊の中程、ジュリアスはアンジェリークに会った。朝の挨拶を交わした後、彼女は小さくお辞儀をしてジュリアスから去っていった。その時、背後に別の足音が聞こえた。そしてこの会話。
ジュリアスは振り向かず、自分の執務室に向かった。心が穏やかでない事に戸惑いながら。金の髪の女王候補……と無関心そうにしていたクラヴィスが、『アンジェリーク』とその名を呼んだ。ただそれだけの事に、ジュリアスは平常心を失ったのだ。「何を馬鹿なことを……。あの職務怠慢なクラヴィスが、やっと女王候補の名を覚えただけのことだ……」
ジュリアスは、己の心に初めて巣くった嫉妬と言う名の感情をうち消そうとした。薄暗い執務室の中で、まだ、そこだけが輝いている……とクラヴィスは思った。育成を依頼した後、出ていったアンジェリークが立っていた場所を見つめながら、クラヴィスは微笑んだ。だかしかし、すぐにクラヴィスは固い表情に戻り、滅多に開けはしない暗幕のようなカーテンを引いた。まばゆいはがりの光が、闇の守護聖の執務室に溢れた。アンジェリークの立っていた暖かな日溜まりのような優しい輝きは、強い朝日に飲み込まれて、かき消えた。
「これでいい……」
クラヴィスは呟いた。認めたくはなかった。認めては決してならぬと言い聞かせた。
これは恋ではないと。同じ過ちはもう二度とすまいと……。それから……。女王試験は終わりを告げようとしていた……。
飛空都市にしては、冷たい風の吹く午後。ジュリアスは、研究院からの報告書に記された事実に、動揺する心を癒そうと執務室を、抜け出し森の湖にいた。
ロザリアが完璧とも言える育成を施していた大陸を押さえ、アンジェリークは、その資質に目覚め、力強く自分の大陸と民、そして守護聖のサクリアを導いていった。
「やはりアンジェリークが女王か……」
もう二度と、アンジェリークとこの場所に来ることはない……とジュリアスは呟いた。アンジェリークは女王になるのだから……、もう二度とここには……、と。
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