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香り高く入ったコーヒーカップを持ち、机まで戻った彼は、ふと考えてそこには座らず、社長室の奥にある私室へ向かった。館にも帰れぬほどの多忙時の時の為に作らせたものでホテルの一室のような無駄のない造りになっており、チャーリーにとっては隠れ家のように居心地の良い空間だった。
ソファに座り込むと彼はゆっくりとコーヒーを飲んだ。そして部屋の中央を見つめた。少し前まで、そこには一メートル四方のメタルプレートが敷いてあった。協力者として聖地へと赴くための転移設置である。週末になり、謎の商人さんの衣装に着替えてシグナルを送ると、たちまちのうちに聖地に転移する。こちらからはただ訪問のシグナルを送るのみしかできないのだが、ジュリアスはかつて一度、それを使ってこの部屋を訪れたことがあった。その時の失態を思うと未だに情けなくなるチャーリーである。(ここらあたりを参照クダサイ)
ほんの半年ほど前の事があまりに遠い昔の事のように思えるのだが、心の痛みはついさっき刺されたかのようにズキズキと痛む。その矛盾がまたチャーリーを辛くするのだった。
テーブルの上に、飲みかけのコーヒーの入ったカップを置き、ネクタイを少し緩め、滲み出た涙をティッシュで拭い、ついでにグズッと啜った鼻も噛む。
俺はもっと結果オーライの脳天気な性格やったはずやのになあ。ここまで諦められへんか、ジュリアス様を……あはは……もう、グダグタやん……俺。
己の情けなさに泣き笑い……しながら、またカップを手に取ろうとした時、どこからか風が吹いた。大気が揺れた……という言い方の方が正しいかもしれない。窓も扉も閉ざされ、空調システムだけが、ごく緩く稼働しているだけの部屋に……。
それはチャーリーも知っている感覚だった。転移プレートの上に立ち、聖地へとシグナル送った後に感じたことがあるからだ。けれども今、この部屋にはあの転移プレートは設置されていない。ならばこの異質な“風”は?
チャーリーは背筋がゾクリ……とするのを感じながら自分しかしないはずの部屋の中央を見つめた。
光の……壁が床から迫り上がってくる。それはライトを埋め込んだ天井まで真っ直ぐに伸びた後、波が引くように再び床へと一気に戻った後、そこに佇む人の姿を露わにした。
「うっわーー、俺やっぱり相当キてるカモ……。ジュリアス様のムッチャリアルな幻が見えるわ……」
チャーリーは立ち上がり、ジュリアスの幻へと手を伸ばす。
「幻でも何でも……逢いたい。もういっぺん逢いたいんや……そんな気持ちがこんなリアルな幻を……あれ……?」
チャーリーは、指先に触れたジュリアスの髪を掴むとグイッと引っ張った。
「痛い……」
とジュリアスが言った。
「この幻、喋りよるで……っーか、幻聴?」
「私だ、チャーリー。幻ではなく」
人は理解の範疇を超えた事象に遭遇した時、パニックに陥る。チャーリーは表情を固まらせた後、何も無かったかのようにクルリと後を向き、そこから一番近くにあったソファの上のクッションを鷲頭噛むと思い切りその端を噛んだ後、雄叫びを上げて座り込んだ。
「幻覚が、幻聴がー。俺はとうとうここまでイッてしもたあ〜。しっかりせいっ、チャーリー・ウォン」
脱力したようにチャーリーはそう呟くと、今度はすっくと立ち上がり、ジュリアスを睨みつけ、抱えたクッションを彼目がけて投げつけようとした。
「うわあああああああーーーーー、消えてしまえ! もう忘れなアカンのやーー!」
と叫んだ後、一瞬戸惑ったように投げる手元が遅くなったのは、チャーリーの心の中に、“たとえ幻でも……”という切ない思いが一瞬過ぎったからだった。
「かまわぬ、投げろ、チャーリー」
とジュリアスが言わなかったら、彼が正気に戻るのはもっと遅れたかも知れない。
「さあ、投げなさい。私に。ここにいる証拠に受け止めるから」
ジュリアスは静かにそう言ってチャーリーに向かって微笑んだ。
「…………」
クッションを掴んだチャーリーの手がダラリ……と下へ伸びた。
「お……おっ俺自身を投げても、かめへんですかっ」と彼は怯えた子犬のような目をして言った。
「ああ」
そう返事をされて、チャーリーはヨロヨロとふらつきながらジュリアスへと近づき、その腕の中へ、かなり弱々しく飛び込んだ後、直ぐさま、へたり込んだ。
「なんで……もう二度と会えへんはずとちゃうんですか?」
ジュリアスを見上げてチャーリーは掠れた声で問うた。ジュリアスはチャーリーと目線を合わせるため、彼の側に腰を落とした。
「……そのはずだった」
「人が悪いやないですか。俺が協力者として聖地を去る時、永久の別れやと言わはったやないですか。たまに会いに来られるんなら……そう言ってくれはったら、俺……こんな苦しい思いをしなくても……いや……」
チャーリーはそこまで言うと頭をブンブンと振った。
「恨み言を言うつもりは無いんです。嬉しい……また会えて……嬉しい……」
チャーリーは床に伏せて、うおーん、うおーんと泣き出した。
「そなたは……時々、派手に泣く。ほら、あの……古い名刺を渡した時も」
「誰がここまで泣かしはったんですぅ?」
「すまぬ」
「ホンマですよ。グスッ。ジュリアス様にとっては俺が聖地を下がってから、せいぜい三日ほどのことかも知れませんけど、こっちでは三ヶ月経ったんですよ。俺、この三ヶ月、毎日苦しくて……」
ジュリアスはチャーリーの顔付きを改めて見た。顔色も良くないし頬がこけて随分やつれている。
「チャーリー……三ヶ月だ。私にもほぼ三ヶ月という時が流れたのだ」
「え? 外部からの接触……つまり俺たち協力者が聖地を去った後は、時の同期化が解かれて、聖地と下界の時の流れに差が生じるとはずではなかったんですか?」
「そうなるばすだった。だが、不測の事態により時の同期は行われたままだった」
「不測の……事態?」
「サクリアが……。……の守護聖の交代することになったのだ……」
「今、何て? どなたが交代すると?」
「私だ」
ジュリアスは少し困惑したような顔をして言った。
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