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「もうちょっとだけ……」
と思いながらアンジェリークは読みかけの小説の続きが気になって、部屋から外に出られない。
「あんたったらまたこんな本を読んでいるのね〜、わたくしが、さっきからノックしていたのにも気づかずに」
ロザリアはアンジェリークの手から本を奪い取ると仁王立ちで言った。
「だってぇ〜、今、いいとこなんですもん〜」
「ばかばかしい。よくこんな本を必死で読めるわね」
ロザリアは『愛の嵐の向こうに』のタイトルのついた新書版の本をアンジェリークに突き返しながらそう言った。
「でも素敵なのよ。ロマンチックで情熱的で……私もこのヒロインみたいになりたいなーって」
「いいこと? こういう本を読んでる限りは、この本のようなヒロインにはなれなくてよ」
「どういうこと?」
「出てくるのは大抵、とても美人なんだけど飾り気がなくて知的なタイプなのよ、そんなヒロインに、モテモテのお金持ちの御曹司がクラッとするの。でもヒロインは賢いから相手にしないわ。御曹司はますますヒロインを落とすために必死になる……。こんな本ばかり読んでるあんたに知的な魅力がつくとは思えないわね」
ロザリアはアンジェリークを鼻先で笑って言った。
「そんなヒロインばっかりじゃないもん。美人だけど自分に自信がなくて、控えめにしてるヒロインが、カッコイイ紳士に目覚めさせてもらって素敵になるっていうのもあるわ」
「美人で頭がよくて自信もあって、そう、わたくしみたいなタイプのヒロインが、お仕事をガンガンしてて、でも素朴な青年と出会って人生変わっちゃうみたいなものもあるけれど、結局、出てくるのは皆、自分をしっかりと持ってる女性なのよ、そうでなきゃそういう類の本は全部、女性蔑視になっちゃうでしょう。つまりワンパターンなのよ、この手の本は」
「ロザリアってば、やけに詳しいけど……」
アンジェリークは疑いの眼でロザリアを見た。
「ば、ばかね、常識じゃないの、それくらい。それよりも先に育成に伺うわよ」
ロザリアは少し乱暴にドアを閉めて出ていった。アンジェリークは読みかけの本を拾い上げて、溜息をひとつ。
「『愛の嵐の向こうに』……か、ううん、ロザリアはああ言ったけど、やっぱり素敵なものは素敵よ。それにちょっとこのヒーローの人ってクラヴィス様っぽいの、それからヒロインの名前が、アンっていうのも何だか私の名前とかぶさっちやって……うふっ」
心に傷を持つ長身、黒髪の孤独な青年が、旅の途中で立ち寄った町で、その領主の娘と出会うラブストーリー……。
『お前の微笑みは私の心の氷河を溶かす……』
『いいえ、あなたの心は元から凍ってなどいないわ、だってそんなに優しい目をしていらっしゃるのだもの』
『私の瞳が優しいと? それはお前が映っているからだろう……』
『そんなに見つめないで……』
『アン……』
二人が見つめ合った時、ふいに遠くでアンの父の声がした。
『いけないお父様だわ……また後で。今夜八時に時計台で待っているわ』
「んもぅ、いいとこだったのに、またお父さんが邪魔するんだから。あっ、いけない、もう9時だわ。クラヴィス様に育成をお願いするって言ってあったのに〜」
アンジェリークは、名残欲しそうに本を閉じた。
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