やっと空の色が変わる、と思いながら、ゼフェルはぼんやりと窓の外を眺めていた。朦朧とする意識の中、手枷をされたまま、ジュリアスの部屋だというここに放り込まれて数時間。

 ようやく痺れが取れたものの、手枷を外す術もなくソファに深く沈み込んだまま、足をテーブルに投げ出しずっと窓の外の風景を見ていたゼフェルは、青かった空の色が次第にくすみ始めたのを見て、ため息をついた。

 さっきまで日差しに満ちていた部屋が、薄暗くなり始め、ゼフェルの座っている窓際のソファにだけ、かろうじて明るさが残っていた。
「ちくしょう……いつまで放ったらかしにされるんだ……」

 ゼフェルが扉を蹴り飛ばしてやろうと立ち上がった、その時、天井に埋め込まれた数個の照明が端から順につき始めた。全部がつき終わると同時に、扉が軽やかに開き、この部屋の主が、入ってきた。ゼフェルは再び座り直し、テーブルの上に足を投げ出した。

「待たせたようだな……」
 ジュリアスは、自分の襟元をグイと引っ張って、ネクタイを僅かに緩めた。
「まったくだぜ、俺だとすぐわかったなら、なんで解放しねぇんだよ」
 ゼフェルはイライラしながら言った。
「そうはいかない。何故ここに来たか、聞くまでは。一応はな」

 ジュリアスは、ゼフェルの前のソファに腰掛けると、テーブルの上のゼフェルの足を自分の足で蹴り落とした。
「あんた……本当にジュリアスか? 俺の知ってるジュリアスはそんなこと死んだってしやしないぜ……」
 テーブルから足を蹴り落とされたゼフェルは、体勢を直して座り直しながら唖然として言った。

「お前の知っているジュリアスは死んだのだ。そんなことより何故、ここに来た?」

「週末の遠出だよ。この星には古いパーツを扱ういいショップがあるからよ。特にこの街には。面白い改造品も多いしな。そしたら下層部のダウンタウンにオレの探してた珍しいパーツを扱ってる店があるっていうんで、レンタルしたエアバイクを飛ばしてここに来た。店先にバイクを止めて買い物してたら、どっかのオッサンが、バイクをかっさらって逃げようとしてやがったんで、喧嘩になってよ、後は、あのカジノあたりでオッサンの仲間らしい連中にとっ捕まって……ワケのわからねーヤク打たれて……」

「週末の遠出だと? ここは上層部の整備された地区でも治安レベルは低い。許可なくしては聖地からは来られぬはず。また勝手に飛び出したのか?」

「誰が許可を出すんだよ、首座の守護聖様は、まだ子どもなんだぜ。アンタのやってた仕事は、オスカーとオリヴィエが中心になってやってる。自分の事は自分でするシステムに変わったんだ、だから、外に行くのに誰の許可もいらねぇんだよ」

「年長のものは何をしているのだ?」
「クラヴィスは、光の守護聖様の養育に忙しい。妙に懐かれてやんの。リュミエールは母親代わりってとこだな。ルヴァは……ルヴァはもういない」
 ゼフェルは吐き捨てるように言った。

「いないだと?」
「この間、帰ってった、故郷によ。聖地は新しい守護聖様二人様ご案内〜でバタバタしてらぁ」
 ゼフェルはそう言うと、溜息をついた。

「この部屋に連れて来られる時に、聞いたぜ。あんたこの地区じゃ表の仕事だけじゃなくて、最下層部のダウンタウンも仕切ってるんだってな。なんだってあんたがそんな事してるんだ?」
「聖地では、私が去ってまだ一年も過ぎてはいないのだろうが、私の上ではあれから五年が過ぎた。いろいあったということだ」
 ジュリアスの視線が、ゼフェルから外れた。

「誰にだっていろいろあらぁ。よりによって誰よりも高潔だったあんたが、いわば暗黒街を仕切ってるってのがわからねぇって言ってんだよ、何か理由があるんだろ? 言えよ、言わないと、この事、聖地に帰ったら、チクるぜ。そしたら面倒くせーことになっても知らないからな」

 ジュリアスはゼフェルの問いかけを一旦、無視して、立ち上がると、キャビネットから、酒を取りだしてグラスに注いだ。それを一口含んだ後、壁に凭れたまま言った。

「主星に降りた後、私は、小さな牧場を持ち、静かに暮らすつもりだった。祖先の縁の会社が経営に瀕していたので投資し、全ては順調だったのだが、この会社絡みで、卑怯きわまりないやり方で騙され、財産のほとんど失った。土地や金だけではない、いざこざの中で、私の友人たちが殺された。だが私を陥れた人物は、どこかに逃げてしまった。その人物が、この街を仕切る組織の幹部だと知り、ヤツを追って、この星に辿り着いた。見知らぬ、それも治安レベルの低いこの土地の、澱んだ最下層部の街で、私は辛酸を舐め尽くし…………、どうにか復讐を遂げて、私を騙した人物の代わりに組織に入りこんだ。組織はカリスマ性に欠ける世襲のボスが、仕切っていたので排除し、現在に至る。手短に言うとそういうことだ」

「騙されたか……世間知らずないいカモってワケだったんだな。けど、裏切った相手が悪かったよな。泣き寝入りするようなタマじゃなかったわけだ」
 ゼフェルは鼻先で返事をしたが、心中は穏やかではなかった。あのジュリアスをここまでに変えてしまうほどの辛酸な出来事とは、想像するにあまりある。

「とにかく……身内の者が手荒な真似をしたが、ここでの事は忘れて聖地に早く戻れ。そしてもう二度と来るな」
 ジュリアスは、グラスを手にしたまま、ゼフェルに背を向けた。
「すげぇ……嫌な気分……」
 ゼフェルは、ジュリアスの背中を見て呟いた。
「何?」
 ジュリアスは振り返る。

「胸くそ悪いって言ってんだよ! 腹が立つんだよ。アンタが自分から望んでここにいるんならいい。納得済なら暗黒街のボスだろうと、殺し屋だろうと、なんだってかまわないんだけどよ、嫌々、境遇に甘んじてるってヤツ見るとムカツクんだよ」
 ゼフェルの心の片隅には、聖地に上がったばかりの自分がいた。
「ここは聖地じゃない。嫌なら逃げることも出来るんだぜ」

「あいにくだが私は望んでここにいるのだ」
 ジュリアスはそう答えたが、彼が手をぎゅっと握りしめたのを、ゼフェルは見逃さなかった。

「はん、嘘までつきやがる。ソイツに復讐して、ボスとやらに取って変わったから、もういいんじゃないのか? 組織を壊滅させちまったらいいんじゃないのかよう」
「組織を潰しても、また、こういう組織は生まれる。事実、私がボスに取って代わった時、それに賛同できない別の幹部が、新たに組織を立ち上げた。もちろんすぐに排除したが」
 
「それにしたって、首座の守護聖まで務めたアンタが、何があったか知らねぇけど、グレて、ヤバイブツだの、カジノだの、フーゾクだのに手を染めてやがるなんてな。元、光の守護聖が、お笑いもいいとこ……」
 ジュリアスの手からグラスが滑り落ちた。そして、空いた手は、ゼフェルのジャケットの襟首を締め付けた。手枷をされたままのゼフェルにはそれを祓うことが出来ない。

「知ったふうな口をきくな。聖地から出て、ようやく友人や家族……と呼ばれるものを持とうとしていたのを卑劣なやり方で奪われ、そして……この街で私は……」
 ジュリアスはそこで目を伏せた。

「もういい。私と同じ目に遭わせてやろうか? そして何もかも思い出せないくらいの絶望の淵に立たせてやろうか?」
 ジュリアスは、ゼフェルを睨み付けながら、片手でテーブルの上のシガー入れをまさぐった。お気に入りの赤い蝋印のものではなく、黒い蝋印のシガーを取ると、それでゼフェルの頬を軽く叩いた。

「これを吸わせてやろうか?」
「なんだってんだよ!」
「今度は、平衡感覚や舌先だけの自由を奪うだけではすまない……これはお前の嗅がされたチャンルバーの十倍もの効果がある……」
 ジュリアスは屈み込み、ゼフェルと唇が触れんばかりの距離でそう言った。
 
 ゼフェルは、その声にぞくり……とした。と同時に強い嫌悪感が、彼を襲った。チャンルバーというクスリを嗅がされた時の、昨夜の感覚が、込み上げてくる。身動きの取れない恐怖の中で、鈍く煌めくナイフで頬を撫でられた後……。
(コイツ、裕福そうな面しやがって)
(いいジャンプスーツ着てやがるなぁ。オレ、欲しいなァ、はぎ取っていいか?)
(服はお前にやるから、中味はオレが貰っていいか? へ、へへ……)

 そして、ふいに頬に押しつけられたのは、誰かの靴の裏だった。だが、拒絶の声させも上げられない。店のオーナーが止めに入ったが、もしもあのまま……と思うと、ゼフェルは身震いをした。
 そして、恐らくは、ジュリアスも、自分と同じような目に遭ったのだろうと想像した。(オレとは違って誰も止めに入らなかったのなら……)自分の知っている光の守護聖のジュリアスの姿が粉々になってしまうような感覚にゼフェルは捕らわれた。

 「よせよ……なぁ……もう、やめてくれよ。そのシガーをしまえよ。アンタがそんな事すんの見たくねぇんだって」
 ゼフェルの目に涙が滲んだ。
「同情されるとは私も堕ちたものだな……」
「わかってンなら……」
「もう何も言うな」

 ジュリアスは立ち上がり、デスクの上のコントローラーのスイッチを、幾つか押した。ゼフェルの手に掛かっていた手枷がカチリと外れた。
「お前のエアバイクは、私専用のエアポートに待機させてある。このビルの屋上からいつでも飛びたてる。今、ポートのドームを、開くようセットした。廊下に埋め込んである赤いランプに沿ってシューターに乗り、最上階まで行け」

「帰るさ……」
 ゼフェルは、手首をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。そしてジュリアスに近づき、その手をとった。
「まだ指輪はしてるじゃねーか、忠誠の指輪だろ、それ!」
「外れない、それだけの事だ」
「どうだか……」

 ゼフェルの呟きに、ジュリアスは彼から視線を外し、扉の向こうを指さした。出て行けというように。

「アンタが俺を信じてくれたように、オレもあんたを信じてるからな」
 ゼフェルは、扉の前で立ち止まり、振り返らずにそう言った。
「私が信じたように……?」

「オレが聖地に突然連れて来られて暴れ時に、前の鋼の守護聖が何かの間違いだ、こんなヤツが守護聖のはずがないって言ったんだ。アイツの大事にしてた置時計を暴れた拍子にぶっ壊しちまったせいもあってよ、相当、頭に来てたみたいだったからな……。その時アンタは言ったんだ。オレの事を信じているって。それから聖地から逃げ出そうとした時も……何度も」

 ジュリアスは何も答えず、立ち尽くしている。ゼフェルは扉の前で一瞬立ち止まった。
「オレのサクリアが、光ならアンタに思いっきり贈ってやりたいぜ。疲れてるふうだから闇でもいいかな。水でもいいかもな……でも鋼じゃぁな、ぜんぜんダメかな?……」
「ゼフェル……」
 ジュリアスがその名前を呟いた時、扉はシュッと軽い音を発てて開き、ゼフェルを飲み込んだ。

 しばらくして、ポートから、ゼフェルは飛び出した。夕日の中にゼフェルの乗る銀色のエアバイクが浮いている様子を、ジュリアスは見ていた。

 ビルをゆっくりと旋回しながら、ジュリアス立っている窓辺で、ゼフェルはバイクをホバーリングし、ヘルメットのバイザーを開けて、ジュリアスを見た。ジュリアスもまた、ゼフェルを見ていた。その赤い瞳から視線を外すことなく、右手を胸に置くと、ジュリアスは跪いた。聖地信仰を持つ者が、女王と守護聖に祈りを捧げる時にする仕草を、ジュリアスはゼフェルにして見せた。

(こんな仕草をするつもりは、なかったのに……)
 ジュリアスは、そう思いながらも、跪いたままの姿勢から立ち上がれなかった。夕日が、自分の指輪に反射して、キラリと輝く。その眩しさにジュリアスは瞳を閉じた。 

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