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ほんの十分ほど走ったところ、とあるカジノバーの前でエアカーは止まった。昼間でも薄暗いエリアの、特にいかがわしい店の建ち並ぶこの通りでは、午前十時はまだすべては眠りの中にある。
そこに突如として現れた、顔が写るほどに磨き込まれたエアカーに、道ばたで眠りこけていた酔っぱらいの男たちは、驚いて起きあがった。
「ありゃジュリアスだ……すげぇ仕様のエアカーに乗ってやがる」
一人の男が呟いた。
「たいした成り上がりだぜ。何年か前にフラッとこの街に迷い込んで、ここまでになりやがった。前のボスもアイツが殺ったって噂……」
「よせ、聞こえるぞ」
「かまやしねぇ、アイツは、俺たちの事は虫ケラだと思っているのさ。ほら、視線を合わすどころか、こっちをチラリとも見もしねぇ」
酔いの強い方の男は、だんだんと大声になり、あきらかにジュリアスに聞こえるようにそう言った。すかさず、秘書の手は上着の中に滑り込み、銃を掴む。それを制しながらジュリアスは振り返らずに、肩越しで男たちに言った。
「そんなに見てほしいのなら見てやろうか。だが、私は虫が嫌いだ。視野に入ったら最後、排除することにしている……」
抑揚のない乾いた声だった。ジュリアスは、そういうと無言で立ちつくしている酔っぱらいを残して、何事もなかったかのように、カジノバーに向かって歩き出し、薄暗い店舗に中に入った。
慌ててやってきたこの店のオーナーは、頭を低くしたまま、ジュリアスたちを店の奥に誘う。
「すみません、ボス。ガキは奥の部屋に放り込んであります。昨夜、暴れたもんでチャンルーパを嗅がせました。だいぶ効きが薄くなってきたんで、念のため手枷もしてあります」
舌先と平衡感覚を奪う麻薬の名前を告げ、オーナーは小部屋の扉を開けた。
壁際に向かって一人の男が丸くなって転がっていた。顔は見えない。手の込んだ銀細工の錨のついた黒い柔らかな皮のスーツ、そのジャケットの襟元から長い鎖のついたペンダントが、背中に回って飛び出していた。 手の中にやっと収まるほどの四角いペンダントトップは、一見ただの銀色だが、光具合によって七色の不思議な色合いに変化する。そしてそこに施された神鳥のレリーフ……。
ジュリアスは、そのペンダントをよく知っていた。それは本来はペンダントではなく、ある特別の事に使用するプレートである。それはこの宇宙に九枚しかなく、そのプレートを扱える人物もまたこの宇宙には九人しか存在しない。王立研究院の奥、次元回廊の扉を開く鍵……。持ち歩くのに不便だからと勝手にペンダントに加工してしまった、その九人のうちの一人の名を、ジュリアスは呟いた。
「ゼフェル……」
転がっていた男は、どんなに殴られても決して誰にも明かさなかった自分の名前を言われて驚き、かろうじて身体を反転させた。
「ジ……ウ……」
ゼフェルは、薬物のせいで麻痺している口元を必死で動すが、それは虚しい呻き声にしかならない。
「知った顔で? ソイツは良かった。身なりもいいし、主星から来たって言ってやがったから、万が一ってことがあるかもと思って、手荒なことは止めさせといたんでさぁ」
ジュリアスは、それを聞くと、何事も見なかったように振り向き、歩き出した。
「ボス、このガキの始末は……」
「後で私の執務室に放り込んでおけ。見知った顔だ。二、三聞きたいことがある。手枷はそのままでいいが、丁重に扱え」
「は? 執務室?」
と秘書に言われてジュリアスは己の動揺に気づいた。
「いや……私の……社長室だ。取引先の会合に遅れる、急ぐぞ」
背中にゼフェルの視線を感じながら、吐き捨てるようにジュリアスはそう言った。
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