ジュリアスは、テーブルの上の象眼細工を施した小箱の中から、シガーを取り出した。遠い星で作られたその最高級のシガーは、一本づづ試験管のようなガラス管に入れられている。
 そのガラス管の赤い蝋の封印を開け、ジュリアスは火を付ける。たちまち部屋中に甘い酒と花をブレンドした香りが広がる。この一本のシガーの代金は、最下層部に住む連中の一ヶ月分の賃金に相当する。その事に心を痛めたこともあったジュリアスだが、今は惜しげもなく、シガーを吸い続ける。心の中に小さな棘を残しながら。

 軽いノックの音とともにジュリアスの秘書である男が入ってきた。上質すぎるスーツと嫌みなまでに卒のないその態度がかえって、善良な市民ではなく、その筋の人物だと判る。

「ボス。そろそろ取引先に出向くお時間です」
「少し早いのではないか?」
「ちょっと下の店に寄って頂きたいんです。昨日、ネズミの捕り物があったそうです」
「?」
 ジュリアスは眉間に皺を寄せた。最下層部の事はすべて、法はあってなきものであり、唯一の秩序は、ジュリアスの仕切る組織のルールのみである。そんな中に、ルールを知らぬ余所者が入り込んで、何か事を起こし始末されるのは日常茶飯事の事。それを何故わざわざ私に報告するのだ? と言わんばかりのジュリアスの表情を、見て取った秘書は慌てて言葉を付け加えた。

「それが奇妙なガキなんです。身につけているものは、上層部に住む連中以上の上質なもので、主星でしか手に入らないブランドものだそうで。けれど言葉使いは上流のソレじゃない。ヤツを捕まえた店のオーナーによると、何か普通のガキとは違うと言うんです。もしかしたら、主星からの船でこっちに遊びに来た金持ちの放蕩息子かも知れないと思うのですが。もしそうなら身代金を要求するもよし、それなりに使い道があるかと……一応、ボスは主星のご出身ですので、お知り合いの子息だと後々面倒ですし、チェックをして貰えればと」

「わかった」
 ジュリアスは気怠そうに頷くと、上着を手にし、扉に向かって歩き出した。秘書は、素早くジュリアスの後に続く。廊下の突き当たりのエアシューターに、二人が乗ると、このビルの最下層部の駐車場へとシューターは落ちていった。
 ジュリアス専用の黒塗りのボティを持つエアカーは、既にいつでも飛び立てるようにドライバーが待機しており、彼らが白い皮を張りつめた後部座席に滑り込むと、それが電気系統に指示するスイッチのように、滑らかにエアカーは動き出した。

 さきほどジュリアスが眼下に見ていた最下層部の灰色の世界に、場違いな豪奢なエアカーが、ゆっくりと飛び出す。
「今日も霞んでやがるなぁ。けど、雨が降ってないだけマシか……、チッ、また扉に落書きをしやがった」
 ドライバーの男は独り言を言った。

 ドライバーは、駐車場と外の世界を隔てる分厚い鉄の装甲扉に書かれた落書きを、バックミラー越しに見つけ、毒づいた。
 訳もなく自分たちの名前を書いたもの、稚拙な絵やマーク、そしてジュリアスの支配している組織を罵ったもの……。

「電流でも流せるように改造してやろうか?」
 秘書が、そういうとジュリアスは鼻先で笑った。
「無駄なことだ。そうしたら黒こげの人型がつく。どのみちまた塗装しなおさなくてはならぬ。好きなだけ描かせておくがいい。ヤツらには似合いのキャンバスだ」
 ジュリアスは、薄汚れた街の様子にうんざりとしながら、そう言い捨てた。そして、また心の中で呟く。自分には関係のないこと……と。

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