最終章
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そして聖地…………。 執務室棟に続く回廊をセレスタイトは歩いていた。開け放たれた大窓からはいつもと変わらぬ蒼天が見え、時折、風が緩やかに吹き抜けてゆく。コツコツと響く足音に振り返ると、ノクロワが気怠そうに後を歩いていた。セレスタイトは立ち止まり彼を待つ。 「おはよう、ノクロワ、今日は早く出てきたのだな」 執務の始まりを告げる鐘はまだ鳴ってはいない。いつもならノクロワは、その鐘の音など気にせず、他の者たちに差し支えのない程度の適当な時刻に執務室にやってくるのだった。セレスタイトの清々しい笑顔に、ノクロワは眉間に皺を寄せた。 「何だ? その笑顔は? よく寝た……と?」 「ああ。感慨深いものはあったけれど良い睡眠は取れた」 「何で私が眠れぬ夜を迎えなきゃならん? あやつめ、闇の守護聖の感性に触れるとは。私はお前も何か影響されているかも知れぬと、怠い体を引きずってやって来たのに?」 忌々しげにそう言ったノクロワだが、その顔には言い様のない優しい笑顔が浮かんでいる。 「それはありがとう。でも仕方ないだろう? 闇のサクリアとはそういうものだ。光のサクリアと呼応するようにできている、私よりも強く」 セレスタイトは小さく笑いながらそう言った。 「ふん、まあいい。ジュリアスは、よく生きたようだ。それに免じて許してやろう」 「そうだな」 飛空都市サファーシスについては観察保護対象の地ではあったが、総てを見ていたわけではなく、アミュレットを持った者、すなわちサクリアを宿した者たちの気配を感じる程度の観察対象だった。多少の感情や体調までは判らず、その生死を知る程度のものだ。ただ一度、 少し前のことだがジュリアスの裡にある光のサクリアが大きく揺れ動いたことがある。夜半、いきなりドンッと扉を叩かれたような衝撃をセレスタイトは感じた。同じサクリアを持つ彼には、それが、ジュリアスに何かあったからだとすぐに判り、心を研ぎ澄ませた。次第にそれは落ち着き始め、翌朝には平穏になった。一夜の事……といえどもサファーシスの中では幾日にも渡ってのことであったが、ともかくもジュリアスは生きており、そのサクリアに変わることは何ら無いと判った。 それから数年が過ぎ、そして……。 「ともあれ、サファーシスの時間で昨夜、ジュリアスがその生涯を閉じた。彼の裡にあった光のサクリアは、陛下のお力によって新宇宙へと導かれた。後は、クラヴィスだ……な」 ノクロワは、やや遠慮がちにクラヴィスの名前を口にした。 「クラヴィスを思う時、私はいつも不思議な気持ちになる。私の弟……、それが今では記憶にある父の年齢さえもはるかに越えた老人になっている。クラヴィスはどんな風に年を重ねたのだろう? 穏やかな人生であったか、良き伴侶に恵まれたのか……少なくともリュミエールやルヴァという友が、クラヴィスの支えにはなっただろうが……」 セレスタイトの心には、未だやはりどこか悲しげな幼い子どもの頃のクラヴィスの姿が真っ先に映る。教皇庁古塔での再開の時の成人したクラヴィスよりも先に。 「クラヴィスのサクリアが大きく揺れたことはない。恐らくは良い人生だったに違いな……」 ノクロワは言葉の最後で、大きく目を見開いた。セレスタイトは「あ」と小さな声をあげた。二人の沈黙の合間を、風が木々の枝葉を揺すり、小鳥が囀りながら飛んでゆく。 ノクロワは、セレスタイトに「大丈夫か?」と言った。その場を動けずにいたセレスタイトは深呼吸した後、瞳を閉じた。 クラヴィスが永い眠りについた。たった今。サファーシスでは、ジュリアスの死から数十日後、ジュリアスの後を追うように。 「志半ばで、あるいはもっと幼いうちに貧しさ故にその命を落とす者を多く見てきた。ジュリアスとクラヴィスがその生涯を閉じたことにあまり悲しみを感じないのは、彼らが 本当によく生きたからだろう。今、心に浮かんだ……宇宙の礎となる二人のサクリアが漂う様が。サクリアは目に見えるものではないのにな。 彼らのサクリアが形となって、そこに生きるものたちに影響するのは、気の遠くなるほど遠い未来の話。今を生きる私たちにとっては、まったく関係のない話だが、私はとても嬉しいよ」 ノクロワの言葉に、聖地の鐘の音が重なった。軽やかで澄んだ音が響き渡る。セレスタイトは瞳を閉じたまま、彼らの冥福を祈り、そして思う。 いつの日にか……新たな宇宙に生まれた聖地で、ジュリアスとクラヴィスに似た誰がサクリアを宿し守護聖となる。その者たちは、私たちのことなど知る由もないだろうが……サクリアは知っているのだろう。自分がこの神鳥の宇宙から継がれたものだと……。
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