第四章 遺 志

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  紗の天幕の向こうの長椅子に横たわっている女王のシルエットが見えている。
「陛下、参りました」
 とジュリアスは言い、クラヴィスと共に傅く。もう随分と前から女王自身の言葉は、代理の補佐官が伝えていた。直々の言葉とは、いよいよ何か覚悟を決めなくてはならぬと言うことかも知れないとジュリアスは思う。女王は、老齢というほどではないが初めて目通りした時の事から逆算すると、自分の母親ほどの年齢であろうと 、ジュリアスはさらに思った。
 女王の力はかなり前から衰退期に入っていた。通常ならば次代を継ぐべき若い女王候補が、とっくに現れていても良い時期だったのだが、一向にその気配はない。天幕の前に立っていた補佐官は、一瞬の時さえも惜しむように、二人に壇上の下で傅く儀礼を止めさせ、天幕のすぐ側に呼び寄せた。
「陛下が随分お疲れになっています。あまり大きいお声もお出しにはなれませんので、お側近くに」
 精神的にも肉体的にも女王の力は限界に達しており、もはや立ち上がることもままなぬ状態だった。
「急かせてすまぬな、二人とも。返答の期日が迫っている……」
 掠れた声が紗の向こうから響く。主星側は、聖地にも、外域連合の申し入れは受けられぬと表明を出すよう迫っていた。

「聖地は主星にあるべきものと明言すれば、外域連合は主星への侵攻をやめず、総攻撃に入り、力づくで聖地を主星上から切り離し、別の場所へと移させると申している。そうなった場合、主星は全力でそれを阻止し、聖地を守ると言っている。だが、聖地は守られるべき存在なのか……違うであろう。聖地とは……」
 女王はそこで苦しげに息を継ぐ。
「陛下!」
 補佐官が天幕の中に入り、上体をそっと支えた。
「すまぬ。私の力も、命すらも終わりが近づいている。だが次代はまだ現れない。私はここ数日ずっと過去の女王たちとの意識を遡っていたのだよ。聖地のこの衰退期を乗り越えるために……。 結論を急がねばならぬ。ジュリアス、これを私の言葉として宣言しなさい」
 女王の手が動き、何かが補佐官に渡された。補佐官を経由して紙片が、ジュリアスへと渡される。
「これは……」
 ザッと目を通したジュリアスが絶句する。
「聖地はこの宇宙の礎、どこにあろうと。長きに渡って主星上の土地にあり続けたが、場所を変えるとしよう……」
 女王の言葉に、クラヴィスはハッとして顔を上げた。“では、主星ではなく外域連合の言う通りになさるおつもりか?”と。
 そしてクラヴィスは、ジュリアスを見た。彼は、そんなクラヴィスに向かって静かに首を振り、先ほどの紙片を見せた。聖地は、主星から離れることが記されてはいるが、外域連合に従うのではなく、別の次元に移行する旨が書かれている。
「別の……次元?」
 意味がわからずそう呟いたクラヴィスに女王は先ほどよりも幾分、落ち着いた声で話し出した。
「その場所は主星上にあって主星にはない。違う次元の特別の障壁に囲まれた所……」
 曖昧な言い様ではあったが、ジュリアスとクラヴィスには、それがどういうことであるか理解できたように感じていた。聖地と主星の癒着が過ぎるのは外域連合が云々と言い出す ずっと以前から守護聖の間では憂い事となっていた。遡れば数代前の女王の時から、いづれこのような事態になるであろうことは予見されていた。
「けれどもこの手の中にある水晶玉を浮かせるのとは訳が違う……」
 紗の向こうに、ふわふわと浮かぶ丸いものと、掌を上に翳した女王の影が見えている。女王という存在が、そういう能力に長けていることは、二人とももよく知っていた。
「新たなる聖地を創造する。私は過去の女王たちの意識を遡り、その術を得た。だが、犠牲も大きい……」
 女王の声が沈む。
「犠牲とは?」
「礎となるべきサクリアだ。聖地とは、この世界を尊び正しく導こうとする者たちが集った場所。そのような人の意識がサクリアとなったのだから……」
 その言葉に二人の守護聖は深く頷いた。自分の中にあるサクリアに、過去の守護聖を感じることがあった。守護聖ならば誰でもサクリアの事を預かりもの……と感じている。それ故に次代に引き継ぐその日まで。
「私は、今ある聖地をそっくりそのまま新たなる地へと移行させる。そして新たなる場所が、聖地であるために必要なものが、私の力や守護聖のサクリアなのだ。脈々と古から続く女王と守護聖の叡智の元に、私は新たな聖地をイメージし、この宇宙の安定を願って、持てる力の総てを注ぐのみ。……私や貴方達も、何も変わらずに移行できる確率は低いと思 う。そこでは、時の流れさえも違う、それは、今とどれほどの違いがあるのか? 気候は? 大気の構成は? 何もかもが未知。どれほどの負荷が肉体に罹るのだろう……。恐らくは、人としての命は終わり 、サクリアのみが新たな処に届けられるのではないかと……そう思う」
 苦渋に満ちた女王の様子が紗越しに伝わってくる。
「陛下、我らの覚悟は出来ております」
 ジュリアスとクラヴィスは同時に即答する。それしか方法がないのなら……と。
「ありがとう。けれども……若い者たちが……不憫でならない……」
 一番年若い緑の守護聖は一年ほど前に召還され、十五歳になったばかりだった。その他にもまだ十代の者が二人いた。
「彼らも判ってくれるでしょう。いえ、元より守護聖になった時から次代にそのサクリアを継ぐその日まで、陛下と共にあることは覚悟の上のはず」
 ジュリアスの言葉に女王はただ静かに涙していた。頬を伝う涙をそっと拭おうとした時、謁見の間の扉が開いた。突然の無礼を詫びる言葉を発しながら炎の守護聖であるオスカーが足早にジュリアスの元にやってくる。
「何事だ?」
「聖地の周りに民が押し寄せているのです」
「何っ?」
「外域連合の手から守るのだと言って集まっているのですが、反対派の集団がこちらに向かっているとの情報も入り、小競り合いから暴動へと変わ るのは時間の問題かと思われます」
「主星側の対応は?」
「軍がこちらに向かっているとの連絡が入りました。上空の偵察機の数も増えています。それと……主星代表議長が陛下との謁見を願い出ています。聖地側の返答を急かせるつもりなのでしょう」
 聖地は今後も主星に在り続ける主旨の会見を開くようにと、主星側は再三に渡り申し入れていた。否定すれば聖地と主星の関係が今まで通りには行かないことも、外域連合がそれに乗じて強気の行動に出ることも安易に予測できた。
「陛下、私が代わりに会いましょう。この宣言に書かれた通りに会見いたします」
 ジュリアスはそう言うと、オスカーに向かって、「すまぬが守護聖全員を、私の執務室に集まるよう伝えてくれ」と告げた。
「……わかりました」
 その場の雰囲気から何か重大な話があるのだと察したオスカーは、それだけ言うと立ち上がり、一礼すると直ぐさま行動に取りかかった。
「陛下、では我々も為すべきことをしてまいります」
「ありがとう、よろしく……頼みま……した……。聖地移転は……明日の日暮れと共に始めます……ジュリアス、クラヴィス、皆にもよろしく伝えてください。新たなる聖地で……女王の力と……サクリアの、ただあるべき本来の純粋な姿で……再び、逢えますように……」
 女王の途切れ途切れの声に、ジュリアスとクラヴィスは、胸を締め付けられるような思いで、頭を垂れたのだった。
 

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