第八章 蒼天、次代への風

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「私と弟は、ジェイド公よりクラヴィス様暗殺を言いつかりました。詳しいことは聞かされておりませんが、ジェイド公によると、クラヴィス様の出生が、いずれ教皇となれらるセレスタイト様の今後に差し障りがあるということでした……」
「人を手にかけるなんて……。何とも思わなかったのですか?」
 ジンカイトの後でルヴァが思わず言った。
「もちろん良心の呵責はありましたが、今までも、そうして人目を憚る仕事をジェイド公の為にしてきましたから……。我々、兄弟は、子どもの時に両親を亡くし、路頭に迷っている時に、ジェイド公に拾われ育てられたのです。 家や食べ物を与えられただけでなく、勉学や武術の訓練までも受けさせて貰い、武官にまでして貰った恩義があるのです」
「ふん。そうして忠実に命令を果たしたわけだ。で?」
 スモーキーは、話の先を促した。
「あの翌日、我々はクラヴィス様のご遺体を探すべく付近をあたったのですが、破れた衣服しか見つからず、山オオカミの出る場所だとも聞いておりましたから、連れ去られてしまったのだろうと帰路につきました。そしてジェイド公とともに、教皇庁に上がり、クラヴィス様が足を滑らせて崖から落ちた、恐らくはもう身罷られているはずだと報告しました。それで我らの仕事は済んだと思っておりましたら、後日、またジェイド公より命があり、何の根拠からか、クラヴィス様は、まだ存命であるから何が何でも探し出して、とどめを刺すよう言いつかったのです」
 ジンカイトは、申し訳なさそうにクラヴィスから顔を逸らしてそう言った。クラヴィスの方は冷たい視線を、ジンカイトに落としているままである。
「弟と二人、幾日も東の辺境地帯を探しましたが、見つからないまま我々は、スイズ王都と東の辺境地を、絶えず往復するような生活がずっと続きました。その間に、スイズとダダスの雲行きが怪しくなり、仲間の武官たちが真っ先に、来るべき戦いに供えてスイズ軍に招集されていったのです。ですが、我々兄弟は、ジェイド公の圧力がかかっていたのか何のお呼びもなく、ただひたすら辺境の地をうろうろとするばかりの生活でした。若い弟には、友人たちが、隊長だの軍曹だのの肩書きを貰い、意気揚々としているのが耐え難かったようです。そのうち弟は、軍に志願すると言って私を残し勝手にスイズに戻って行きました。便りにはジェイド公に直接、その事を申し入れると書かれてありました。既にクラヴィス様の失踪から二年の月日が流れておりましたから、捜索は私一人でも 良いとのお言葉が得られるだろうと思っておりました。ところが、軍に入ることが決まればすぐに連絡すると言ってたのに弟からの便りは一向に来ない。不審に思った私は、スイズへと戻り、そこで弟の訃報を聞かされました」
 ジンカイトは、そこで溜息を付いた。
「酒場で喧嘩になり、あげく刺されたのだそうです……。私は、ジェイド公から、しばらく自宅にて待機するよう命じられました。弟を亡くした私の気持ちを思いやっての休暇、そう解釈したのですが、そうではなかった……。どうにも見張られている気がして、嫌なものを感じ、弟の死因について私なりに調べた結果 、弟が私に宛て出そうとしていた文の書きかけが出て参りました。最初は軍への志願を許してくれなかったジェイド公も、クラヴィス様の件を匂わせたら、渋々軍への志願を許してくれた……と。ついでに、兄貴の昇進も頼んでやった から……と」
 ジンカイトは、“ジェイド公を脅すとは馬鹿なことを……”と言うように頭を左右に振った。
「ジェイドに消されたな」
 スモーキーは、あっさりとそう言った。
「物的な証拠はありませんでしたから、まさかと思いましたが。そして……私も命を狙われました。夜半、家に火を放たれて」
「火事に見せかけようとしたんだな……」
「たまたま寝付けず起きていたから助かったのです。命からがら逃げだし、姿を消しました。行く当てはなかったのですが、無意識のうちに故郷へと向かっておりました」
「故郷? お前はジェイド領の出ではないのか?」
 それまで黙っていたクラヴィスが言った。
「元々は、東部の村の農夫でした。私が十歳の時、ジェイド公領に移り住んだのです。ジェイド公はその事をご存じありません。こんな事でもなければ、私も故郷の事など思い出しもしなかったでしょう。幼い頃に遊んだ野や小川……そんなものが無性に懐かしくなり、どうせなら……と」
 ジンカイトは俯いたまま、土を握りしめている。生まれはどうであれ名家の武官をしていた男が、親もいない故郷に帰ったところで、今更どんな生きる術があったのだろう……とスモーキーは、半ば哀れむような視線を彼に投げかけた。
「故郷の村に遠縁の者がいることが判り、そこの畑を手伝うことになりました。長らく土とは無縁の生活をしていましたが、幼い頃に身に付けたことは忘れないものです。じきに日々の農作業にも慣れ、作物の出来る喜びを味わいました。殺伐とした武官だった頃とは違う生活は、私の心の傷を癒してくれるようでした。このままここで一生をおえる覚悟をした時、ダダスとの戦火が激しくなり、徴兵が始まりました。すぐに妻帯者でない村の若い男が徴兵されました。私は逃亡者の身、この村に戸籍はありませんから、役人が見回りに来た時だけ隠れていれば良かったのです。男手が減った分、私も必死で農作業を手伝いました。そして、なんとか秋の刈り入れを乗り越え、農閑期も過ぎようとした頃になって、残りの男たちへの令状も来たのです。これから春という時期に、これ以上男手を摂られては田や畑は作れません。嘆願書を送り、役人に訴えもしたのですが」
「東部の村は、ルダに近いため、真っ先に徴兵されたと聞きますね……」
 ルヴァは気の毒そうにジンカイトを見下ろした。
「……東部の村には、文字を書ける者すら少なく、ましてや国王に出せるほどの正式な嘆願書を書ける者は皆無でした。ですから、私が名を伏せて嘆願書を書いたのです。それを村長に持たせて 王都に送る手筈を整えました」
 スモーキーは、自分の事と重ね合わせて深く頷いた。自分も鉱山の現場で、同じようなことをしたのだ……そう思うと、彼に対する気持ちが幾分か治まってくる。
「ところが嘆願書を出そうとしていたことがスイズ兵に判り、村長はその場で始末され、村は、反逆罪に問われて、さらなる課税が追徴されることに……。お前が妙な入れ知恵をしたからだと、 私は村を追われました」
「逆恨みですね……」
 ルヴァの後に控えめに立っていたリュミエールが呟いた。

「東部の村はどこも同じような状況でした。村を追われた後、私は南方……、まだ徴兵がぬるいと思われていたこの地方へと向かいました。土地も余っていると聞いたのでもう一度、新たにやり直そうと思って。南部には、まだ男手もあり、東部の者たちより血気盛んな性格のせいもあって、団結心も強く、農繁期に徴兵された場合に供えて、 王都へ荷運びの出稼ぎに出ていた男たちが中心となって各村同志に組合制度が出来つつありました。ここでも文字や書類を書ける人間は重宝がられたので、私も参加し 、独り身の気軽さ、王都の事情の明るさも手伝って、いつの間にか皆に指示する立場になりました」
「その仲間がさっきの連中……だな? だが、組合……というには些か言動が穏やかじゃなかったように思えるぜ」
 スモーキーは、冷静にジンカイトの乗っていた馬や、身なりを確かめた。
「いかなる申し入れもことごとく無視され、嘆願書はもみ消されるばかりか、提出しようとした者の命も絶たれる始末。畑は思うように作れず、天候もよくない。男たちにはどんどん徴集令状が届く。今日届いて明日、戦地へ赴くことを強いられた者もいます。きっかけは一人の若い男……この者は、臨月の身重の妻を持っていました。その 陣痛の最中に届いた令状に、せめて子が生まれてからと、たった一日、出頭が遅れただけで、見せしめのために処罰されようとしたのです。私や、さきほどの者たち、村人、一丸となって、 嘆願し、役人の手から男を救い出しました」
「よくご無事で……」
 その男がとりあえずは処刑れなかったことにルヴァとリュミエールが心底ホッとしたような声をあげた。
「大勢の者たちに囲まれて役人は怖じ気付いたのです。この事があってから、我々は一掃強く団結し、どうしても嘆願書を、スイズ王に直接お渡しし、減税の返答を貰うべく、 皆で王都へ向かう計画を立てているのです 」
 ジンカイトは、キッと顔を上げ、クラヴィスの視線を受け止めた。そして、再び、頭を下げた。
「私のしたことは、どう申し開きできるものではありません。ですが、今しばらくの間、この命をこの世に留め置くことをお許し下さい。私は今、皆のまとめ役をしています。自分たちの村だけでなく、馬を駆り、南部全域の村との繋がりもようやく出来上がりつつあります。先ほどの者たちと共に、明日にはここを発ち王都へと向かうことになっています。罪に汚れた私の命ですが、今、しばらくは 生かしておいて下さいませんか?」
 ジンカイトの肩が震えている。スモーキーは何も言わずに、クラヴィスを見た。
「わかった……。もう良い。私とお前はここで会わなかった事にしよう。顔をあげて立て」
 クラヴィスは、そう言って、せめて武器代わりにと、手にしていた枝を捨てた。
「あ、ありがとうございます」
 ジンカイトは、さらにスモーキーたちにも頭を下げた。
「いかなるご事情で、クラヴィス様とご一緒されているかは存じませんが、クラヴィス様は教皇庁へ戻られるのでしょうか? 慎重になさらないと危険です」
「王都の暴動……か?」
 クラヴィスは、リュミエールを気にしながら言った。
「それもありますが……」
「何だ?」
「私がジェイド公より暇を出された後、王都、教皇庁付近の特別警備に回された者が数名おります。いずれも……ジェイド公の腹心の者たちで、私と同じように、ジェイド公の……些か強引な仕事にも荷担していた者たちです」
「クラヴィスが戻ってくるのを見張っていると?」
 スモーキーが、そう言うと、ジンカイトは頷いた。
「教皇庁で待ちかまえていて、戻ってくれば、始末しようってことだろうな。クラヴィスに戻られたらジェイドは、お終いだものな……」
「スモーキー、それなら、クラヴィスは、王都の直前の村にでも待機して貰い、私たちが先に教皇庁に乗り込んだ時に、クラヴィスの事を教皇様に申し上げたらどうですか? もしくは先にクラヴィスが全てを打ち明けた文を出すのはどうでしょうか?」
 リュミエールは、ルヴァの案に賛成したように頷いた。
「文は危険です!」
 とジンカイトが慌てて言った。
「教皇庁への文は、一旦、全部係の者に渡された後、各部に振り分けられるのです。教皇様宛になっていても、各王家や貴族の従者が直接持参したもの以外は、全部、その場で開封されてしまいます。その振り分け係りは、クラヴィス様失踪 以来、すでに全員、ジェイド公の手のものです。クラヴィス様からの便りが届くようなことがあれば、そこで文は、差し止め、送付先にすぐに出向けるように私も弟も指示されていましたから」
「あー、それなら、やはり直前の村で待機した方が……」
 ルヴァとリュミエールの不安顔を余所に、クラヴィスは微笑みを浮かべて静かに言った。
「お前たちと行くよ。誰が鉱夫の群に私がいると思うだろう? 皆と一緒に、教皇庁へ押しかけよう。すぐに衛兵に取り囲まれるだろうが、大人数で叫べば何事かとバルコニーに、セレスタイトや父が駆けつけるだろう。そうなればジェイドの手の者も何もできまい? 贅を凝らした絹の長い 法衣ではない粗末なシャツ姿の私なら、チラリと見たくらいでは判らないのではないか?」 
 クラヴィスはジンカイトに問うように言った。
「確かに我が目を疑いました。クラヴィス様が、先に行動にお出になったから、判ったようなものですが……あの頃のクラヴィス様とは別人のようです」
「そんなに違うのか?」
 スモーキーは、クラヴィスを覗き込む。
「もちろん面影は残ってらっしゃいます。けれど、雰囲気がまるで違います。当時は、物静かで、儚げで、頬も手も、ほっそりと、陶器のような白さでいらっしゃいました」
「三年も鉱山にいれば、薄汚れもするさ。俺だって、鉱山に入る前は、スイズ大学の新入生一番の美少年と言われたもんさ」
 スモーキーは、ジンカイトとクラヴィスの関係が悪化しなかったことにホッとした様子で、いつもの陽気さで、そう言った。苦笑するクラヴィスとルヴァたちに、ジンカイトが、それぞれの顔を見ながら、不審な顔をした。
「鉱山? スイズ大学? どういうことです? 貴方方は、ヘイヤの農夫ではないのですか?」
 ジンカイトの質問に、スモーキーは、ちょっと待ってくれというように片手を上げて、彼を制した。
「やれやれ……。こうなったら説明するしかないか……」
 スモーキーは、朽ちて倒れた木にもたれ掛かるように、座り込んだ。そして、自分たちがヘイヤの農民などでなく、教皇庁管轄地の鉱夫だったことなど、今までの経緯を話しをした。クラヴィスは、詳しい事情はまだ話さず、崖から落ちて助けられた後、ただセレスタイトの為に、教皇庁に戻らず鉱夫として働いていた事だけを告げた。長い話の間、ジンカイトは一言も発さず、神妙な顔をして彼らの話を聞き入っていた。そして、スモーキーが、短く自分の事に触れ、ジェイド公との接点があったことを話すと、ジンカイトは、ふうっ……と、溜息とも深呼吸ともとれる声を発した。
「クラヴィスたちに出逢って以来、俺は、巡り合わせってもんをしみじみと感じてるんだ。ここであんたに出逢ったことも……。大抵のことには、それなりに意味合いがあるもんだと思って、いろいろ考えて生きて来たつもりなんだが、今、俺はとんでもなく重要な事を 天から託されてるんじゃないかと思って、正直、ビビってるんだ」
 スモーキーは、笑いながらいつものように頭を掻いた。
「それは私もです……。スモーキーさん、私たちと一緒に王都へ行きませんか? 私たちは、さっきの仲間たちを先頭に五十人ばかりで向かいます。途中の村でまた何人かと合流することになっていますし、もっと南部の村の者たちもこちらに向かっていますから、王都に入る 頃には総勢三百人近い人数になっているはずです。これだけの人数ですから、スイズ兵も街中で無謀な事は出来ないと思うのです。そして、そのまま王城へと向かいます。その隙に、貴方方は、教皇庁へと向かえばどうでしょうか?」
 ジンカイトは、名案だとばかりに言った。スモーキーは、クラヴィスとルヴァ、そして誰よりも不安そうにしているリュミエールの顔を代わる代わる見た。意外にも一番最初に言葉を発したのは、リュミエールだった。
「そうしましょう……スモーキー。手配書が出回ってる鉱夫の方もいますでしょう? 皆さんとご一緒した方が紛れますし……」
 ルヴァの後に、隠れるようにしていたリュミエールの発言に、ジンカイトはその時、初めてしっかりとリュミエールを見た。ルダの文官であるルヴァの従者であるというこの少年に、どこか逢ったように思ったが口には出さないでいた。クラヴィス様もそうだったが、上品で物静かそうな少年は誰も皆、同じ様な印象があるものだから、と。
「そうですね……ご一緒した方がいいかもしれません。王都まで後僅かの道のりですから、その方が一気に行ってしまえるかも……」
 ルヴァもそう言った。スモーキーの腹はもう決まっているようで、後はお前次第だ……というように、彼はクラヴィスを見た。
「一緒に行こう。賑やかでいい」
 クラヴィスの言葉に、スモーキーは、パンッと自分の膝を打ち、「そうと決まったら」と言いながら立ち上がった。釣られたルヴァとリュミエールも慌てて立ち上がる。後から、ゆっくりと立ち上がったクラヴィスに、ジンカイトが 、深々と頭を下げた。
「賑やかで良い……と? 失礼かも知れませんが、本当に、随分、変わられました」
「鉱山で賑やかなのには慣れた、それもまた悪くないものだと気づいたのだ」
「クラヴィス様が、鉱夫をなさっていたなどと……。さぞかしお辛い日々を……」
 居たたまれないようにさらに身を低くし、ジンカイトは言った。
「お前もまた……平穏な年月を過ごしていたわけではないようだ。お互いにな……もう今後は気にするな。もう良いと言われたことを、いつまでも気にされると困るものだと言うこと に、今、気づいた」
 クラヴィスは、自分にも言い聞かすように言った。
「大人になったもんだな、クラヴィス。本当にお前の兄さんの気持ちが判った……かあ?」
 スモーキーは、クラヴィスの肩を叩きながら笑う。ジンカイトは、彼のクラヴィスに対する態度に困惑したように曖昧な笑みを浮かべている。
 和やかな雰囲気が生まれたクラヴィスとジンカイト、それにスモーキーの後ろで、どこか居場所なさげに佇むリュミエールの背中に、ルヴァは、優しくそっと手を置 くのだった。

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