第八章 蒼天、次代への風

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 激しい雷雨が過ぎた後の空に虹が出ていた。大きな虹は、空が夕焼けに支配されるまで消えなかった。教皇と皇妃、それにクラヴィスが、バルコニーで、沈みゆく夕陽を見終えたその後、ジェイド公領からの早馬が到着した。教皇の御前に通されたその使者は、常にジェイド公に寄り添っていた腹心の武官で、教皇も面識のある男だった。がっちりとした体つきと鋭い眼光を持った抜け目のなさそうな彼の顔が、尋常ではない。頭を下げただけで、挨拶もそこそこに彼は、ジェイド公の死を告げた。驚きで声も出ない教皇と、気を失わんばかりの皇妃、それに無表情のまま立ち尽くしているクラヴィスの心情を、無視するかのように、淡々と、教皇宛ての書きかけの文や 、側仕えの証言を延べ、その死が不慮の事故であったと主張し、彼らに質問をする余地も与えず、取り急ぐ無礼だけを、詫びてその場を去っていった。
 ジェイド公領に戻る道すがら、誰に憚る事もない静かな夜道で武官は、「仰せの通りに致しました、これで、良かったのですよね」と呟いた後、号泣した。

 ジェイド公の葬儀は、長年に渡る枢機官としての功労と皇妃の実の兄という立場、これからのスイズ国を担う一人であっただろう事を考慮し教皇庁の大聖堂にて執り行われることになった。今まで大聖堂での葬儀は、教皇一族直系の者とスイズ王しか行われておらず、一貴族としては異例のことであった。

 スイズ城の執務室棟、内務大臣の為の部屋だったところが、暫定政府の平民代表の者たちの執務室となっている。スモーキーたちも普段はここに詰めており、リュミエール自身も王の間にいるよりは、彼らと共にこの部屋にいることが多かった。いつもは賑やかなその部屋に、今日はスモーキーだけしかいない。他の者は、リュミエールをはじめとしてジェイド公の葬儀に参列する為に教皇庁に出掛けているのだ。スモーキーは、窓辺の席でぼんやりと外を眺めている。コトンとその背後で音がした。振り返るとジンカイトが、お茶の入ったカップを二つ持って立っていた。その一つをスモーキーに手渡すと窓枠に浅く腰掛けた。
「今日は仕事にはなりませんし、資料室に籠もってたら、リュミエール様が、お出掛けになる間際に貴方が残っていると教えてくれたんですよ。教皇庁に行かないんですか?  私はジェイドの武官仲間に知った顔があるから遠慮しましたけれど……」
「んー、お前みたいに顔見知りの者なんかはいないけど、やっぱり、気がすすまなくてなあ」
 スモーキーは、頭を掻く。
「本当に事故……と思っていますか?」
 ジンカイトは、自分たちしかいないのに声を顰めて言った。スモーキーは、すぐには答えず、ふぅ……と深呼吸した。
「昨日、クラヴィスとちょっと話してきた。何ひとつ自害の証拠はないそうだよ。ジェイド公が、残したという教皇様宛の書きかけの文を見せて貰った。クラヴィス暗殺計画の詫びは、涙を誘うほどによく書けている。その後のスイズの国政に心血を注ぐつもりだという内容も、素晴らしいものだったよ」
 スモーキーは、深く椅子に凭れて天井を見上げて言った。
「では、やはり事故と……」
「さあ、それはどうだかな……、全て出来すぎてる」
「?」
「自分の事に置き換えてみれば判るさ。もしお前がジェイド公だとしたら? 古い体制が一掃された国政の中枢に、クラヴィス暗殺を知っているかつての武官と、過去に曰くがあった男、つまり俺がいたら? ものすごく嫌じゃないかあ?」
 スモーキーは、わざと明るい口調で言う。
「それは嫌ですよ。配下に置くのならともかくも同等の位置にいるとは、我慢ならんでしょう」
「それにクラヴィスのこともだ。仮にも伯父でありながら殺そうとしたんだぜ。いくら許すと言われても。しかも教皇様となれば傅かんわけにはいかない。そんな状況で、お前ならどうする?」
「私なら、枢機官もスイズ政府からも引退し、自領に籠もって、後は悠々自適の余生を過ごしますよ。悔いる気持ちがあるなら、自領の中でてもやれることはあるでしょうし」
 ジンカイトの意見にスモーキーは頷き、椅子にきちんと座り直した。
「ジェイド公の引退に、彼を妬んでいた者たちは喜ぶだろうな。血の繋がりのないクラヴィスが、教皇になったことで失脚したのだと噂する者がいるかも知れないな。そして、ジェイドは、一線から退いたただの年老いた貴族としてどうでも良いような存在になっていくんだ……」
「彼の気質を考えれば耐え難いことでしょうね」
「潔く枢機官を退任し、今度はスイズの為に力を尽くそうとしていた矢先の事故……、まだまだ絶頂期にあった死ならば、反対勢力でさえ悪いようには言わない。誰もが惜しいお方を無くしたと、悔やみ、涙する。その死は美化され語り継がれるのさ。後味の悪い思いをしているのは、真相を知る俺たちとクラヴィス、それに教皇様と皇妃様くらいだろう」
「そうですね。教皇庁の大聖堂での葬儀など普通では叶わぬことですから」
「ああ。もしこれが自害したとなれば様々な憶測が飛び交い、家名に傷がつく。教皇庁での葬儀など出来ず、ひっそりと葬られるのみだからな。ジェイドは自分の死をも画策したのさ」
「ええ……」
「俺のことはともかく、クラヴィスを暗殺しようとしたこと、口封じのためにお前の弟を亡き者にしたこと……これは許されることじゃない。だからジェイドが自害したって自業自得だ……とずっと自分に言い聞かせてるんだがな」
 スモーキーは、また頭を掻く。
「私だってそうですよ。弟の死の真相を知った時は、殺してやりたいとさえ思ったのに。この気持ちは何なんでしょうね……」
 スモーキーは立ち上がり、ジンカイトの隣に立った。気分を入れ替えるように窓から顔を突き出し、外の空気を吸った。新芽を多く抱いた木々の枝が、さわさわと鳴り、鐘の音が響いてきた。教皇庁の鐘の音はスイズ城までは届かないが、ジェイド公の葬儀の始まる時間に合わせて、スイズ城内の聖堂の鐘が突かれているのだ。
「もう気持ちに折り合いを付けよう、俺たちにはやらなければならないことが沢山ある」
 スモーキとジンカイトは、胸に手を置き瞳を閉じた。鐘の音は、数分に渡って鳴り続け、その余韻が消え去るまで二人は、窓辺でずっと祈りを捧げていた。

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