第八章 蒼天、次代への風

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  ジェイド公の葬儀の後、スイズ王城での動乱で時が、止まっていたような城下の町も、夏の暑さと比例するように、活気を取り戻し出していた。 
 スイズの国政は、前王からの旧派と、サルファーやスモーキーたちの新派を擁しながら、なんとかその体制を整えて動きつつあった。
 サルファーは北部代表として、スモーキーは教皇庁管轄地鉱山の総監督として政府入りが正式に決定した。クラヴィス暗殺の実行犯であることを悔いるジンカイトは、政府に代表入りすることに難色を示していたが、リュミエールやクラヴィスの説得があり、南部代表としてその身を置くことになった。
 スモーキーと共に教皇庁へ同行した仲間の鉱夫たちのうち、大男を含め大半のものは、スモーキーの監督の下、新体制へと移行する鉱山の現場に期待して、採掘場へと帰って行った。サクル親子は、農夫であった経験から教皇庁内にある果実園で働くことになり、ゼンは 、手先の器用さを買われ、サルファーの紹介で北部にある大きな鋼工房で見習い技師となった。

 ルヴァの故郷であるルダ国は、スイズとタダスの戦いの被害によって、国としての機能を完全に失い、元からの王族や議会でさえも自力での再建を放棄していた。教皇庁は、これを監視下に置き、期限付きで教皇庁管轄地とし、他国の援助の元 、復興を目指そうとしていた。
 だが、ルヴァは、ルダには戻らなかった。リュミエールはスイズの国政入りを、クラヴィスは教皇庁入りを彼に勧めたが、いずれにもルヴァは良い返事をせず、特にこれと言った 官職のないままに、スイズ王城と教皇庁の間を、行き来する執務官のようなことをしていた。リュミエールやクラヴィスの身の回りが落ち着いたら、ダダス大学へ戻って、研究職に就きたいという彼なりの希望があったからだった。
 それぞれの立場の中で、駆け足のように夏が過ぎ、秋になった。 
 市井の者たちも、平和な日々の中に、穏やかな喜びを見いだし ていた。戦争による影響と気候による不作に見舞われた収穫の少ない秋に不満の声が上がりそうになるタイミングを計って、教皇庁からは、教皇交代と、セレスタイトが聖地に召されたという発表が、大陸全土になされた。かつてないほどの祝い事になると、皆の心は浮き足立つのだった。

 そして、時おり冷たい風が吹くようになってきた十一月十一日、この日、クラヴィスは二十歳となり、成人の儀を迎える。と同時にその日は、新教皇の誕生する日でもあった。
 
 朝、早く目覚めたリュミエールは、今日という特別の日に、相応しい晴天と清々しい穏やかな風に安堵する。正午きっかりから始まる新教皇冠授与式には、本来ならば、セレスタイトが受け持つはずであったクラヴィスの付添人の役目をリュミエール とルヴァが、共に担うことになっていた。式典には、各国の要人も招かれており、リュミエールにとっても新王としての初めての大きな対外公務となるのであった。早朝から数人の女官のされるがままに、その支度を調えられたリュミエールは、 朝八時の鐘のなる頃にようやく開放されのだった。教皇庁に向かう馬車の支度をするように命じた後、リュミエールは、兄、アジュライトを見舞うため、彼の部屋へと向かった。

 民に打たれ瀕死であったアジュライトは、奇跡的に一命を取り留めていた。他の王族たちは湖の離宮に蟄居させられていたのだが、動かせぬ状態の彼だけは、王城内の私室に留まることになり、怪我がある程度癒えたものの足の不自由な彼は、今もそのままに私室に住まうことが許されていた。
「お早うございます、兄上」
 リュミエールは、いつものように兄に対する敬意を込めた声で挨拶をする。 自分を利用し、大勢の者たちを戦地へ送り込んだ張本人とも言える男だが、こうして命が長らえた今となっては、恨み事よりは、幼い頃からの思い出や、彼の尊敬すべき闊達さばかりが思い出されるリュミエールだった。
 アジュライトが意識を取り戻して以来、リュミエールは、忙しい公務や学務の合間をぬって見舞いにやって来る。最初の頃、アジュライトは、リュミエールとは目も言葉も交わさずにいた。負傷し、動けなくなったこの身を あざ笑いに来たのか?  と側にあった花瓶を投げつけたことさえある。それでもリュミエールは、見舞いを止めない。終いには、アジュライトは、リュミエールが来ると寝たふりを決め込むことにしたのだが、そうするとリュミエールは、竪琴を持参し、静かな小曲を一曲奏でて帰って行くのだった。そんなことを繰り返すうちに、ある時、リュミエールの奏でる曲が 、ふいに心を打ち、寝ているはずの瞳から涙が溢れてどうしようもなくなったことがあった。その日から、アジュライトから毒気が抜かれ、憑きものが落ちたように、頑なな態度が 彼から消えたのだった。
「もう行くのか? 式典は正午だろう?」
 すっかり衣装を調えているリュミエールにアジュライトは言った。アジュライトは、不自由な足を引きずって、ベッドからソファに移動しながら言った。彼にとってはその程度の動きもまだ大変らしく椅子に座るなり肩で息を整えている。
「ええ。少し早めに行ってクラヴィス様と、お茶をご一緒することになっていますので」
「そうか。……なあ、リュミエール、その姿のまま、式典に出るのか?」
 ふいにアジュライトはそう言った。純白の長衣の上に薄い水色の王衣をゆったりと重ね合わせ、随所に小さな真珠の粒が縫いつけてある非の打ち所のないスイズ王の正装である。
「はい、どこかおかしいでしょうか?」
 リュミエールは、自分の衣装を見回した。
「いや、衣装はいいんだ。その……粗末な衿止めは何なんだ? 色合いは衣装と似合っていて悪くないが、細工も古臭くて粗野だし、石には瑕が入ってるぞ。晴れの日に教皇様に失礼だろう」
 アジュライトは、リュミエールの襟元のブローチを差して言った。すると、リュミエールは、にっこりと笑った。


「いいんです。クラヴィス様も、これの事はご存じですし、実は、これは今日という日に相応しいとても大切なものなんです」
「特別なものなのか?」
「ええ……。城に戻ってから、私の昔からのものが収めてある部屋から探し出したんです。乳母が覚えていてくれました。これは、私の実母が私のために用意してくれたものなんです。丸くてどこも尖っている細工がないから、赤ん坊をくるむ布を止めるのに丁度良いからと。最初から、私はこれを持っていたんですよ!」
 少し興奮したようにそう言ってからリュミエールは、あわてて言葉を付け加えた。
「申し訳ありません、兄上。お話が判りませんよね、これには事情があるんです……あまりにも突飛なお話しで、信じて頂けるかどうかわかりませんけれど……」
「お前がそんな風に興奮するなんてよっぽどのことなんだろうな。その事情とやらは、帰ってからゆっくり聞かせて貰うのを楽しみにしてるよ。けれど、それを身に付けたいのなら 、目立たない所にした方がいい。衣装が豪華なだけによけい古ぼけた感じが目立つ。お前は、新王として注目されている。平和になったとはいえ、他国の、特にダダスの王や貴族たちは、お前の出方を虎視眈々と見ているはずだ。些細なことでも、そこから付け入ろうとする者がいる。今日は、一分の隙もあってはならないんだぞ。華美にせよと言っているのではない。はっきりとそれとわかる瑕のついたものを目立つ所に付けるのは良くない。 事情を知るクラヴィス様は何も思わないだろうが、他の者には無礼に映る。何か謂われのある大切なものなら衣装の下につけて目立つ所には、王家の公式用の装飾品をつけて行け」
 アジュライトの言葉に、リュミエールは、ブローチを外し、長衣で隠れる場所へと付け替えた。
「兄上、ご忠告ありがとうございます。私、そんな風にまでは考えていなくて……」
「衣装を調えた女官長は何をしていたんだ? 止めなかったのか?」
「いえ……部屋を出てから、やっぱりこっちの方が良いと思って、私が勝手に付け替えたんです」
「ふん」
 アジュライトは、少し意地悪そうな顔をしてリュミエールを見た。
「兄上、やっぱり……兄上には、人の上に立つ才がおありなのですね……」
 リュミエールはそう言いかけて、じっと兄を見つめ返した。
「何の嫌みだ?」
「改めて席を設けてお話しすべきことなのですが、今、ルダに関してひとつ案件が回ってきています。ルダの復興……。教皇庁は、これをスイズとダダス両国で受け持つように提案しましたが、ダダスは自国の経済状態を鑑み 、拒否しました。そして、ルダを廃国とし、教皇庁管轄地にすべきだと提案しました。けれど教皇庁は、鉱山の立て直しで手一杯です。現在、ルダは一応、教皇庁預かりとなっていますが、ここにきて今後十年間の条件でスイズが租借すべし……という案が持ち上がりました」
 突然、話し始めたリュミエールに、アジュライトは首を傾げる。
「何だ、突然……。十年間の租借って。要するにルダは責任を持ってスイズが十年かけて元に戻せ、ってことだろう? そんな都合の良い案件を出すのはダダス側だな? 確かに戦争を仕掛けたのはスイズだよ。けれど 、ダダスはそんな案件を突きつけられる立場じゃないだろう。こちらの勝利目前で退いてやったのに」
 アジュライトは、面白くなさそうにそう言った。
「案件には続きがあります。十年経過した時、ルダを国として復活させるか、あるいはスイズの支配下に置かれるのか、の選択肢があります。それは、ルダの民の投票によって決定されます」
 リュミエールの話に、アジュライトはそれがどうしたと言わんばかりの顔をした。
「努力次第によっては、ルダは、スイズのものになる可能性もある……ってか? 可能性はほとんどないな」 
「私は兄上にルダに行って頂きたいのです。新しい指導者として」
「なんだと?」
「ルダが欲しいわけではありません。現在、ルダの復興はまったく進んでいません。元からのルダ官僚と、こちらから派遣した者たちの間で、指揮系統が一本化できずにいます。それなりの力を持った方たちに、それとなく打診してみましたが誰も皆、ルダに行くことを……」
「嫌がってるか……そりゃそうだろうな。それで、私に行けと?」
「はい。強引とも言える強い力で半ば、無理矢理にでも動かねばルダはずっと荒れ地のままになってしまいます。もう戦争は終わっているのに、ルダでは、元からのルダ王族、スイズの役人、ダダスの役人の間で牽制し合っている所が見受けられ 、無法地帯と化している所もあると聞きます」
「だろうな……」
「十年間での復興は困難な道だとは思います。誰もがもうルダは駄目だろうと諦めていて、自領として欲していたダダスでさえ放棄し、できるものならやってみろと言わんばかりです」
「けれど、私が表に出ることを承知しないだろう、民も他の者たちも……。あのルヴァとか言うルダの文官はどうだ? ダダス大学首席だったと聞いたぞ?」
「ルヴァ様は、手を貸すことは出来ても指導者にはなれない、と仰いましたし、ルヴァ様にもおやりになりたいことがあるようです」
「ま、いくら才があっても、あの人の良さそうな男が、こんな状況下で、人の上に立つのは無理っぽいな……」
「正式に議会にはかけていませんが、内々に兄上の事を話し合いました。サルファーもスモーキーも、他の貴族議員たちも、承知してくれています」
「お前が責任取ってやれ……というわけだな」
「ええ。でも、私は兄上のような方になら、お任せできるとと思うのです。それに寵妃お母様の為にも……」
 寵妃は、前王と正妃、上の王子とともに湖の離宮に蟄居させられたままである。アジュライトのいる王城に移ることを申し出たのだが、彼女だけが王城に戻るのを良しとしない王妃の承諾の得られぬままになっていた。母親の事を言われるとアジュライトは、しんみりとした顔になった
「そうだな……。あの勝ち気な母上のことだ。ルダに移った方が、正妃母上といがみ合って暮らすよりも良いかも知れない」
「寵妃お母様の華やかなご性格なら、ルダのご婦人方ともすぐに仲良くおなりだと思います」
「リュミエール、私にルダをまかせて本当に良いのか? また好き勝手するかも知れんぞ? 復興を果たして力を蓄えたら、お前に打って代わり、王座を狙うかも知れないぞ?」
「私は、スイズ王座など欲しくはありません。欲しいのは和平だけです。兄上にお任せすることで、ルダの民が幸せになり、世の中が平和になるのならいつでも玉座を明け渡します。けれど……、また戦争をしかけるようなことになれば、その時は容赦致しません」
 きっぱりとリュミエールがそ言うと、アジュライトは、穴が空くほどリュミエール顔をじっと見た。
「お前……はっきり物を言うようになったなあ……」
「はい、お陰様で」
 にっこりと笑ったリュミエールに、アジュライトは、まいったと言うように両手を挙げた。
「わかった。議会で承認されれば、誠意をもって従う。話し込んでしまったな、早く教皇庁に行って来い」
「はい。このこと……ありがとうございました」
 リュミエールは、襟元のブローチに手をやって、礼を述べた。アジュライトは、少しだけ頷いて早く行くように、リュミエールを手で払った。
 アジュライトの部屋を出たリュミエールは、用意されていた馬車に乗って教皇庁に向かった。閉ざされた日よけの中からそっと外を覗き見ると沿道は、式典の後にあるパレードを待つ民で 、既に覆い尽くされていた。派手な式典を嫌がったクラヴィスだったが、大聖堂の中に入れない民の為のパレードだけは外せないと説得され承知したのだった。馬車に乗ったクラヴィスが 、目前を通るまで、まだ何時間もあるというのに待っている民の顔は、皆、明るく、誰が乗っているのか知らないスイズ王家の馬車にまで歓声を上げ手を振ってくれている。リュミエールは、先ほどの兄の事とともに、心の底から込み上げてくる喜びに包まれてクラヴィスの元へと向かっていた。

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