第八章 蒼天、次代への風

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 身分の低い寵妃の子とはいえ、間違いなく現スイズ王の血を引き、身分的には申し分ない。何より思慮深く、思いやりに溢れた彼ならば……。
 スモーキーは嬉しかった。自分が生きて行動してきたことを、誰かが両手を広げて全て受け止めてくれようとしているような気がして。ルダの崩壊した村の辺でリュミエールとルヴァに出逢ったこと、鉱山の事故現場から生還したクラヴィスとの再会、教皇庁へ向かう道中の事、そして彼らの身分を知った時の事、それらに確かな意味があり、その答えを今、 はっきりと見つけたとスモーキーは確信していた。喜びや感謝が、涙という形になってスモーキーの中から溢れ出ていた。

「ジェイド公以外に誰が相応しいというんだ? 彼に匹敵するほどの身分の者などスイズにはいないぞ」
 サルファーにとっては、そんなスモーキーの心の中などは判らず苛ついている。
「スイズの第三王子だ……」
 スモーキーがそう言うと、男たちの間で一斉に、ざわめきが起こった。
「スイズの末の王子は、ダダス軍に捕まり殺されたか、行方不明なんだろう?」
 誰かが言った。スモーキーは「生きている」と答えた。
「名前も知らないぞ。成人の披露目すらしていない子どもなんだろう?」
 また別の誰かが言った。
「歳は、確か十五か、十六になったばかりだと思う。確かにまだ若い。だが、どんなに素晴らしい王となるだろう」
 また涙がスモーキーの頬を伝っていく。
「ふむ……儂は知っておるぞ。だいぶ前じゃが、教皇庁での演奏会に出ておられたのを一度、遠目だがお見かけしたことがあるでのう。竪琴を見事に奏でておられた。上手いだけではなく、心に染み入るような音色で。お優しいお方だとは思うが、その時は、まだお小さくてのう……ほっそりとした儚げな風情の王子様じゃった。あれでは兄王子たちを押さえて、王となる器があるとはとても見えんが……」
 長老は、首を横に振る。
「昔はそうでも、今は違う。俺が今、泣いているのは……複雑な涙でな……その理由を一言では語れないけれど……俺がその第三王子ど出逢ったことは、運命だったと声を上げて叫びたいほどだよ。、そのことに感動しているんだ、この涙は……」
 スモーキーがきっぱりと言い切ったことで、北部の男たちはさらに困惑していた。
「あんたが泣いてまで言うんなら、その末の王子は本当にご立派なお方なんだろう。だが、今はどこにいると言うんだ? 俺たちの力になって貰うのにどうすればいいんだ?」
「いや、所詮、王族なんだぞ。協力なんかするもんか!」
 そんな声も聞こえる。黙り込んでいる者たちは、スモーキーの返事を待っている。
「ジンカイト……すまないが、リュミエールを連れて来てくれないか? 俺は、この様なんでな」
 スモーキーは、涙をようやく拭って言った。ジンカイトは「え?」と言ったまま固まっている。
「リュミエール……だよ」
 スモーキーがもう一度そう言うと、ジンカイトは、「あ、ああ……」とまだよく判らない風情で、リュミエールを呼びに走った。“まさか、まさか……”と、思いながら。ジンカイトは、ただスモーキーが呼んでいるから……とだけ告げて、リュミエールを連れて来た。何事かとクラヴィスとルヴァも一緒に後を追ってくる。彼らは、スモーキーの泣き顔を不審に思い、彼の近くにしゃがみ込んだ。
「スモーキー、どうしんだ? 傷が痛むのか?」
 クラヴィスは、さっき手当したばかりの彼の左手を確かめようとする。
「バカ。こんな傷で誰が泣くかい。ああ、もう様ァないなあ、俺は!」
 スモーキーは涙を拭き、いつものように照れ隠しで頭を掻いた後、リュミエールに向かって言った。
「すまんな、リュミエール……でも、俺もそれが一番良いと思ったんだ」
「え?」
 と小首を傾げたリュミエールは、その場にいる北部の男たちの視線が全部、自分に向けられていることに気づいた。
「このお方か? 何でここに……?」
 サルファーが、呟く。
「本当にそうだって言う証拠はあるのか?」
 サルファーの横にいた者が疑う。
「な、何……でしょう?」
 と小さな声でリュミエールは言い、説明を求めるようにスモーキーを見た。
「訳あって出逢った。そして一緒にここまで来た。証拠って何だ? 紋章入りの指輪とかそういうものか? そんなもの知らない。俺とリュミエールの目を見て信じて貰うしかない」
 スモーキーがそう言うと、考え込んでいたサルファーが、スッと頭を下げた。他の男たちも慌てて同様に頭を下げ始めた。
「信じます。詳しいご事情はまだ判りません。ですが、少なくとも貴方様は、今、ここで俺たちと一緒に行動を共にして下さっていました。今の状況を把握していらっしゃるはず。どうか……」
 サルファーは、ずっと頭を下げたままの姿勢で、王を討つために城に向かおうとしている計画をリュミエールに向かって述べた。新しい国王としてジェイド公を立てようとしていたことも。それをジンカイトとスモーキーに反対されたことも。そして、ジェイドに代わる人物として、スモーキーがリュミエールの名を挙げたことも……。
 いきなりの事でリュミエールは驚きのあまり声が出ない。ルヴァはリュミエールの背中をそっと押そうとしてた手を思い直して止めた。
“これは……リュミエール自身が決めなければ……”、と。
 スモーキーもクラヴィスも口を閉じたまま、頷きも微笑みも返さない。
「どうか、ご決断を!」
 サルファーは、頭をさらに下げた。
“王になれと? このわたくしに……”
 リュミエールの心臓は限界まで高鳴っている。
“自分の命の保身の為だけに教皇庁へ逃げ込もうとしていたわたくしが? そのまま一生を教皇庁の中で楽師として生きられれば……と思っていたわたくしが? 父や兄に代わり王に……。政治の事はまだ判らない……けれどそれは、お断りする理由にはならないのでしょうね……真摯に学んで、経験を積めば済むこと……”
 黙り込んだまま何も答えないリュミエールに、男たちの表情が硬くなっていく。
“鉱山も、農村の様子もこの目で見てきた……そして何よりも今まで見えていなかったスイズの王城の実態も……わたくしだけ逃げることはできない……”
 リュミエールは、俯いていた顔を上げた。
「私で……お役にたてるのであれば、明日一緒に城に参ります」
 静かにリュミエールがそう言った後、北部の男たちの間で一斉に歓声が上がった。
「あの……けれど……」
 と、リュミエールは慌てて呟いた。その声は喜び合っている北部の男たちには届いていない。リュミエールの方もとっさにそう言ったものの、その後の言葉を継げすに黙り込んでしまった。
“流血は避けたいのです。王と兄上たちと対峙することになっても、どうか……”
と彼は言いたかったのだった。けれども、向こうの出方によってはそんな悠長な事を言ってはいられないことは判っている、新王として推される以上、覚悟をしなければ……とも思う。
 言葉にする前にまず考え込む、思いつきで軽はずみな発言はしないリュミエールの性格を、スモーキーはこの道中で判っているつもりだった。彼の中でどんなにか葛藤があるかと思うと居たたまれない。スモーキーは思わずリュミエールを抱きしめた。父親が息子を抱くように。
「すまん。リュミエール、これが一番正しいと思うんだ。お前にとっては辛いことかも知れないけれど。俺はこの身を捨てても必ずお前の力になるから」
 スモーキーは、潤んだ目でそう告げた。
「私もですよ、リュミエール」
 ルヴァもリュミエールの背中に手を添えた。クラヴィスはリュミエールの目を見て、何も言わずに微笑んだ。

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