兵が退いた後、広場の片隅で怪我人の手当をしていたクラヴィスとリュミエールの元に、スモーキーが帰って来た。右肩から腕にかけてベッタリと血が付いている。怪我をしているのかと思ったクラヴィスは、慌てて傷薬の入った瓶を持って駆け寄って来た。
「あー、違う、違う。これは誰かの返り血だ。あ、でも、こっちの手当、頼む」
スモーキーは、片手を挙げ傷をクラヴィスに見せた。ざっくり……と左手の甲が切れている。大男とゼン、サクルと父親、他の鉱夫たちも、スモーキーの姿を見つけそこに集まって来た。それぞれに怪我はしているが、誰も欠けてはいない。
「ルヴァ様? ルヴァ様は?!」
リュミエールはルヴァの姿が見えないのに気づくと、取り乱した様子で辺りを見回した。
「あ〜、います、います、こ、こに……います」
ルヴァは、リュミエールのすぐ後ろの木陰で地面に伏さんばかりにして座り込んでいた。肩で息をしている。
「はあ、もう、無我夢中で処刑台を倒し終えたら、スイズ兵に槍で突かれそうになってしまってですねぇ……、そっ、それで、落ちていた剣を夢中で振り回したら、その人の足に当たってしまって、血がサーッと……。か、可愛そうに……。それで、お気の毒で膝がガクガクしてしまって、ここまで必死に逃げて来てしまいました……」
「お気の毒って、なあ……」
ルヴァの蒼白な真顔と、その口調のギャップに、鉱夫たちの肩は笑いで震えている。
「お怪我がなくて何よりでした……」
リュミエールは心底、ホッとした様子で、ルヴァの横に座り込んでしまった。殺伐とした雰囲気が、僅かに消えたのも束の間、サルファーが険しい顔をして、スモーキーとジンカイトを呼びにやって来た。
「すまない。ちょっと来てくれないか?」
サルファーは、向こうに固まっている男たちの方を示しながら言った。
「今後の事か?」
「ああ。王城側が善処するつもりがないことは判った。明日、城へ押しかけようと思うんだ。ともかく……こっちへ……」
スモーキーとジンカイトは仲間から離れ、北部の男たちの集まっている場所に移った。十人ほどの壮齢の男たちが座り込んでいる。さきほどの長老もいる。
「北部の村の代表たちだ。彼らは最初から嘆願書を出すだけでは済ませられないって言ってたんだ。それを俺が、流血は避けよう、王の返事を待とう……と宥めて広場に待機させた。だが、こうなっては、俺も最初の計画通りにするしかないと思ってる」
サルファーは険しい表情をしたままだ。
「最初の……計画?」
「城に乗り込み王どもを討つ。王子も荷担する大臣たちも!」
スモーキーとジンカイトは驚きで言葉が出ない。
「考えてもみろ。王の代が変わったとして、次の王になるのは、噂じゃダダスとの戦争を率先して起こした中の王子だ。上の王子は温和な人物らしいが、派手好きでこんな最中でも宴ばかりを開いてるようなヤツだ。彼らはどっちもまだ二十五かそこらの若さだ。戦争が終わったところで、ヤツらがスイズの国政を担う限り、生活が良くなるとは思えない。後、何十年続くんだ? こんな世の中が! その次に賢王が生まれる約束があるわけでもない、ヤツらの子だぞ、どうせ同じような暴君だ」
「しかし……王を討ったとしても……後の政権を誰に……」
ジンカイトは言い淀む。
「ルダやダダスは、王はいるにはいるが、全権を持っているわけじゃない。元老院や選民が議会で国政を行っていると聞く。スイズもそうすりゃいい。北部や南部から代表を出して、いろんな決め事を皆で決めるんだ」
サルファーの横にいた男がそう言うと他の者たちも大きく頷いている。
「だが、平民だけじゃ無理な部分もある。貴族層をまとめあげるにはやっぱり貴族の誰かの協力がいる。それで、俺たちは考えたんだ。新しいスイズの王に、ジェイド公を推薦しようと」
「ジェイド公ならどこからも文句の付け様がないだろう。ジェイド領は豊かでどこよりも整備されている。民からの不満の声も聞いたことがない。身分も申し分ないし、皇妃様の兄上でもあるんだからな。きっと良い方に導いて下さる……これが最初からの計画だ。南部のあんたたちにも承知して貰えるか?」
サルファーは、スモーキーたちから同意を得られるものと思い込んでいるらしく、話し終えると笑顔になった。だが、ジンカイトもスモーキーも返答しないばかりか、目を座らせて怒りに肩を振るわせている。
「ジェイドはだめだ。絶対にだめだ……」
ジンカイトは俯き、低い声で呟いた。
「何でだ!」
練り上げた自分たちの計画にケチを付けられたことに北部の男の一人がカッとなって怒鳴った。
「待て。理由があるなら聞こうじゃないか」
サルファーに促され、ジンカイトは顔を上げた。
「私は、ジェイドの武官だったんだ……」
「何だと?!」
「幼い頃、ジェイドに弟と共に拾われ、教育を受け武官となった。我らの恩義につけ込み、ジェイドは、表には出せぬ仕事を我ら兄弟に押しつけて来た。確かに頭は切れる。誰でも彼でも戦地に送るような馬鹿なことはすまい。だが、お前たちが思うような高潔な人物では断じてない」
「俺たちだって、ジェイド公が、まったく埃の出ない人物とは思ってない。大貴族ならばある程度の事は仕方ない。けれど、何より、教皇のお身内であるジェイド公ならば、今よりはまともな国政を行って下さるのは確実だろう、そう思ってのことなんだ。スモーキー、あんたもジェイド公を王に推すことに反対か?」
サルファーに問われたスモーキーは「ああ。賛成は出来ないな」と、やるせないような顔をした。
「ジェイドだけはスイズ王にはさせられない。私の弟はヤツに口封じの為に殺され、私も命を狙われた。それに……何があったかは言えないが、決して私怨だけで言ってるんじゃない!」
ジンカイトは思わずクラヴィス暗殺の事を言いかけて思い留まった。
「それで、あんたは南部に農民として下ったのか?」
「ああ……。このスモーキーもかってジェイドと繋がりがあったんだ。彼はジェイド領に隣接する領地の子息だったんだぞ」
「あんた……鉱夫のリーダーだと言ったじゃないか? 貴族なのかっ?!」
サルファーの眉が上がる。
「ずっと過去の話だ。領地はジェイドに取られ、直接、手を下したわけではないがジェイドのせいで両親は死んだ。若かった俺はヤツに刃を向け、罪人として鉱山に送り込まれた
。まあ俺のことはともかくも、ジェイドは自分の為には身内さえも手に掛けるような男なんだよ……」
スモーキーとジンカイトの話しに、北部の男たちは黙り込んでしまった。
「ジェイド公を王に据えようと思い立った時、これ以上の案はないと思ったのに……。それなら、貴族たちも、他国も教皇庁も納得し、政権交代も夢ではなく実現できると思ったのに……。ジェイド公の代わりになるような人物は誰もいないじゃないか……他の大貴族は腐りきった王族の連れみたいなもんだ……」
サルファーは、悔しそうに地面を拳で叩いた。男たちは無言になる。そして、溜息の後、サルファーが再び口を開いた。
「あんたたちは納得できなくても、やっぱりジェイド公に……」
顔を上げながらそこまで言いかけた時、サルファーは、スモーキーの目に涙がいっぱい溜まっていることに驚いた。
「それほどまでにジェイド公が憎いのか……」
そう呟いたサルファーに、スモーキーは「違う」と短く答えた。と同時に溢れた涙が、彼の頬を伝って落ちた。彼は、溢れ出る涙を拭おうともせず、まさに堂々と泣き続けた。彼の涙の意味が判らない回りの男たちは、互いに顔を合わせて首を傾げる。
「一人だけいるんだよ。王に相応しい人物が……誰からも文句のつけようのない身分の……今、気づいた……」
スモーキーは、泣きながら、まっすぐに前を見据えたまま言った。その目に、離れた所で鉱夫たちの手当をしているリュミエールの姿が映っている。
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