モンメイから、ジュリアスたち一行が戻って一ヶ月が過ぎた。戦の事後処理がようやく落ち着き始めたものの、秋の収穫についての報告が、毎日のように各地から送られて来、多忙な日々を送っているジュリアスだった。報告書の中に、モンメイとの国境線あたりの鉱山からの
ものがあり、ジュリアスは、オリヴィエの事をふと思った。同じ城内にいるとはいえ、この一ヶ月は、執務関係の事以外では、逢えない日々が続いていた。
たまに食事を共にすることがあっても、それは私的なものではなく、元老院や、領主たちとの謁見を兼ねて……というものであった。オリヴィエは、騎士の試験
の為に、第一騎士団の者たちに指導を受けている……という話は聞いてはいるものの、その様子を、ジュリアスは一度も見ていない。
“そう言えば、第一騎士団の馬に子が産まれたという報告も受けていたな……” ジュリアスは、ふと思い立って、立ち上がった。
「ジュリアス様、どうかなさいましたか?」
彼の隣で、同じように書類に目を通していた文官が、顔を上げて尋ねた。
「少し裏庭を散策して来る」
ジュリアスが、そう言うと、すかさず控えていた側仕えの者が、薄手の長衣を、彼の肩に掛けた。ジュリアスは、執務室から廊下、そして庭園に出た。城の真正面にある大庭園とは赴きの違った小さな庭園である。ジュリアスの執務室や私室のある主塔からは、この庭園を挟んで裏庭にあたる所に、第一騎士団の者たちの兵舎がある。もちろん、彼らのほとんどが地位のある騎士であるから、城下にそれぞれの館を持ってはいる
のだが、ジュリアスの命にいつでも応えられるように交代制で、常にその兵舎に控えている。
“オスカーはいつになったら館を持つつもりだろう”
ジュリアスは、ふと歩きながら思った。オスカーの部下でさえ、城下にそれなりの館を構えているのに彼は、自分の館を持とうとしない。ホゥヤンから出てきた時に使うことになった第一騎士団の宿舎の一室に住まっている。もちろん騎士の称号を取り、騎士長の身分を得てからは、彼自身の側仕えが数名いるし、宿舎とはいえ、それなりの広さもあり、決して粗末なものではなかったが。
館の話が出た時、オスカーは、
“別に館があるのは面倒です。それに宿舎には、騎士見習いの若い者たちが在駐していますからね、誰かが監視役をしないと。羽目の外しやすい年頃ですからね
。俺だって羽目は外しますが、ちゃんと外した後の始末の仕方は知っていますからね”と、笑って取り合おうとしなかった。
ジュリアスは、もしや……と思う。ホゥヤン国を配下に置いた時、
オスカーにクゥアンに来るように勧めたのは間違いではなかったか? もちろんそれはオスカー自身が決断を下したことではある。だが、きっかけを作ったのは自分であり、その結果、ホゥヤン屈指の名家の長子である彼が、半ば勘当されたような形で、家を出ることになってしまった。オスカーが館を持とうとしない本当の理由は、自身の館をクゥアンに建ててしまえば、親子の決別が決定的なものになってしまうことを懸念しているのではないか。
“一生、私に仕えているだけの男ではない……”と、ジュリアスは呟いた。いずれは、どこかの領地を任せるか、元老院で共にクゥアンの執政を……と考える度に、それは私の希望であって、オスカーの希望ではないかも知れない……とジュリアスは懸念する。執務以外のことで、オスカーと話すと、会話はどうしても西方へ向かう準備の事や、馬の事
、最近ではオリヴィエとの事などになり、オスカー自身の事についての話が後回しになっていると思うジュリアスだった。
“一度、きちんとオスカーとは話し合っておかねば……”
あれこれと心に浮かぶ事柄に、なんとか終止符を打ち、ジュリアスは裏庭にある第一騎士団の兵舎前に来た。
寝泊まりする場所のみではなく、馬術や戦術の訓練をするための広場もある。その一角で、剣の稽古をしているオスカーとオリヴィエの姿が見えた。オリヴィエは、モンメイ王子としての諸々の執務がない時は、 一日のほとんどを、この第一騎士団内で過ごしていた。
ジュリアスは、二人の側までそっと近寄って、木陰から様子を眺めた。オリヴィエは、刃の部分が木製の練習用の剣を持っている。
「構え! 上段!」
オリヴィエは、オスカーのかけ声に従い、立ち上がって、教えられた通りの構えをする。
騎士の試験の時に、剣さばきの正確さ、美しさを計るための剣舞、その稽古である。
「右、前! 中段、構え! 一歩引く! 下段、右! なんでだよ! 右って言っただろ? どうして前に出たんだよ!」
オスカーは、オリヴィエを怒鳴りつける。
「いつもはここで前に出るんじゃないか! 間違ったのはオスカーだろ。一歩引いた後、下段、前、前、後! 覚えろって言ったのあんたじゃないか!」
オリヴィエも負けてはいない。
「基本はそうだが、時々、急に違う型を入れて、すぐに対応できるかを試すこともあるんだよ。実戦では型通りに相手が攻めてくるわけじゃないからな! 判ったらすぐに反応しろよ!」
「そうならそうと最初に言えばいいだろ」
「最初から言ってたら、急に、にならんだろうが!」
「ああ、もう。わかったから、早く続けなよ」
オリヴィエは、ふくれっ面をしながらまた構えた。オスカーは、その構え型が気に入らないらしく、また文句を言っている。
「剣の稽古の時は、いつもあの調子なんです。最初は騎士長も、あんな口調ではなかったんですが」
木陰のジュリアスに気づいた別の若い騎士が、そっと彼に声を掛けた。ジュリアスが振り向くと心配そうな顔がそこにあった。
「オリヴィエは、長剣には、触れたことすらあまりないと言ってたからな。不出来な者を指導するのに、いちいち丁寧な物言いでは先に進まぬからな」
ジュリアスは、そう言って苦笑した。
「ですが、いくら第一騎士団内では無礼講とはいえ、あのう……元老院の方に聞かれでもしたらと思うと、私たち心配で……」
「気にせずとも良い。元老院から何か言ってくるようなことがあれば、すぐに私に報告を。オスカーに咎めのないようにしよう。それにしても二人とも、随分楽しそうだな」
ジュリアスが笑いながら、視線を二人に戻した時、また彼らの怒鳴り合う声がした。
「何度言ったら判るんだ! そこでいつも切先が、ぶれる。脇をもっと閉めて、腕の延長線上になるように剣を構えるんだと言ってるだろ」
「だから、それはこの練習用剣が、重量級の者に合わせた重い木で出来てるからだってば。ワタシの体に合わせたこっちの真剣だったら絶対にぶれないんだから!」
「言い訳だ。重いったってそんなに違わない。騎士になるのなんて辞めちまえ、へたくそ!」
「よくも言ったね、剣舞は流れるような一連の動きも大事だって聞いたよ。あんたのは無骨な剣さばきばっかりだけど!」
「また始まった……仕方ないなぁ」
若い騎士がそろそろ二人を止めようとするのを、ジュリアスが制した。
「私が止めよう。少し二人に話もあるので、しばらく控えていてくれ」
「はい、わかりました。では、私は失礼します」
若い騎士が去った後、ジュリアスは、木陰から出て、オスカーとオリヴィエに向かって、声を掛けた。
「二人ともいい加減にせぬか。口ばかり動いていて稽古になっていないようだな」
笑いながら歩いてくるジュリアスに気づくと、オスカーとオリヴィエは、言い合いを止めた。
「ジュリアス〜、聞いてたでしょ。オスカーの横暴な態度!」
「それは、そなたの剣さばきが、いま一つだから仕方のない事だ」
ジュリアスは、情け容赦なくオリヴィエに言った。
「酷いよ、ジュリアスまで」
ふくれっ面をしたオリヴィエに、ジュリアスは尚も言った。
「オスカーは見込みのある者には厳しいのだ。そなたの動きはしなやかで悪くない。随所に気迫も見られる。後は要所要所で、剣を止める姿勢を取る時に、きっちりと動かずに静止すること。もう少し上半身の筋力をつければ良いのだ
。春の騎士試験までは、まだ間がある。その間に充分に体を鍛えればいい」
「うん……そうだね。そんな風に言ってくれたら、ワタシだって素直に聞くけどさ」
「俺だって同じ意味の事を言ってるじゃないか」
オスカーは口を尖らせている。
「オスカー、そなたの悩みは既に解決しているようだな」
ジュリアスは、オスカーの顔を見ると鼻先で嗤うように言った。
「え? 何? 悩みって?」
オスカーが何かを言おうとするより先に、オリヴィエが聞いた。
「オスカーは、そなたから、敬称や敬語を使わぬように言われて、悩んでいたのだぞ。モンメイ王族であるそなたに、そのように振る舞えと言われ、どうしたものか……と」
「そうは言ったけど、怒鳴りつけろとか、へたくそよばわりしてもいいとは言わなかったよ」
オリヴィエはオスカーを睨み付けながら言った。
「俺だって、ここまで長剣が、使えないとは思ってもいませんでしたからね。俺が注意をする度に、その注意の内容よりも、様を付けただの、敬語を使っただの、言葉使いにひっかかって訂正するように言われるんでは、稽古になりませんでしたからね」
オスカーはジュリアスにそう訴えた。
「そうか。まあ、なんにせよ、そなたたちが仲良くやっているようで安心した。私の方も、幾分落ち着いてきたようなので、今宵は、夕餉を供にせぬかと誘いに来たのだが、どうであろう」
ジュリアスは、二人の肩に手を置いて言った。
「本当? オスカーも一緒なんだね。久しぶりだね、三人での食事なんて。あの荒野の包家、以来じゃない?」
オリヴィエは嬉しそうにオスカーを見た。
「あの……俺も……ですか?」
「なかなかそれぞれに都合があって時間が取れなかったからな。もちろん、そなたに予定が入っていなければ、だか?」
「はい、もちろんご一緒します。ありがとうございます」
「さてと、そうと決まったら稽古の続き……と行きたいとこだけど、この剣舞って、ジュリアスも出来るんだよね、見せて欲しいんだけど、いい?」
「そうだな。参考になるかも知れない」
オリヴィエに言われて、ジュリアスはその気になり、長上衣を脱いだ。
「オスカー、剣を貸してくれ。オリヴィエ、もっと下がっていよ」
オスカーは、腰につけていた剣を、鞘から出し、ジュリアスに差しだした。もちろんそれは真剣である。受け取ったジュリアスは、手に馴染ませるよう、何度も柄を握りしめ、準備が整うと頷き、オスカーに合図を送った。
「構え! 上段!」
それが剣舞の始まりのかけ声である。右、前、中段、構え、一歩引く、 下段、前、前、後……定められた型を、ひとつひとつ正確に一通り決めていく。切先はまったくぶれることはない。二巡目に入って、ジュリアスの動きが早くなった。先ほど
と同じ型の繰り返しだが、次の型に移る合間が短い。それなのに一巡目の時よりも、剣の重さや、気合いが伝わってくるようである。
「剣舞はあくまでも剣の型を見るためのものなんだ。踊りじゃない。だから早くても、剣身全体に、気迫が感じられなくてはならない」
オリヴィエの横にいたオスカーが、小声でそう言った。オリヴィエは黙って頷いた。
「ここからだ、本当だ……三巡目」
オスカーが、また呟いた。“え? 本当って何が?” そう聞き返そうとしたオリヴィエは、ジュリアスから伝わってくる威圧感に思わず声が出せなくなった。ジュリアスの型は、最初に戻って、上段の構えに移る。だが、その動きが一巡目、二巡目とは明らかに違っている。要所の型そのものは同じだが、左右前後への移動が、ただ体を水平に移動させているだけではなく、跳躍が入っている。
その為に、まさに一連の動きが流れるように早い。しかも、その飛んでいる合間にも、剣自体は、前方に向かって真っ直ぐとゆるぎがない。剣を軸にしてジュリアス自身が移動しているかのような印象がある。
やがて、最後、下段の構えから、ジュリアスは、剣を立てるようにして持ち、下から上に向けて切り上げた後、腕を真っ直ぐに伸ばし、剣を体の左右に回した後、頭上に持ち上げ、
剣の旋回を繰り返した。そして「はぁッ!」と、力強い短い掛け声の後、彼は静かに手を下ろした。
「これがクゥアン一の剣さばきなんだよ」
オスカーがそう言うと、オリヴィエは、大きな溜息をついた。
「試験では、ここまでする必要はない。せいぜい二巡目あたりの動きまで。だから、オスカーはそなたに跳躍や剣の旋回を見せていなかったのだろうが、オスカーは
、私よりは遥かに上手いぞ」
少し息を切らしたジュリアスが、剣を、オスカーに返しながら言った。
「何を仰るんです。この剣は俺に合わせたものだから、ジュリアス様には、重いはず。それなのにあんなに早く。敵いませんよ」
「ジュリアス、とても素晴らしかったよ。オスカー、ワタシが悪かったよ、明日から心を入れ替えて稽古するから」
オリヴィエは、オスカーとジュリアスに向き直って真剣な眼差しで言った。
「随分と殊勝になってしまったな、それでは張り合いがないのではないか? オスカー」
「そうですね、でも、まあ、これで情け容赦なく、しごけますよ」
オスカーに言葉に、顔を引きつらせたオリヴィエの様子が可笑しくて、
ジュリアスは笑った。同じようにオスカーも。
「何だよ、二人して! 今に見てなよ!」
そして、ふくれながらオリヴィエも、笑い出す。晩秋の日差しの中、穏やかな時間が過ぎていく……。
「あ」
ジュリアスから返された剣を鞘に収めようとしたオスカーが、短く小さな声をあげた。
「どうした?」
「いえ、大したことではありません。鍔(つば)に割れが。すぐに修理に出しますから」
剣の柄と刀身との境目に挟み、柄を握る手を保護する役目をはたすそれは、丈夫な鉄で出来ている。各自の好みに合わせ、龍や花などのの文様や、家名などを彫り込ませて作る場合が多く、オスカーのものは、馬と
盾と剣が合わさった実家の家紋が入れてある。
「もうずいぶん古いものでしたから。それにモンメイ戦の時に既に傷でも入っていたのでしょう。ちょうど手入れに出そうと思っていたところでした」
オスカーは、剣をきっちりと鞘に収めた。
“モンメイでは、剣の鍔が割れるのはよくない兆しだよ”
オリヴィエは、そう言いかけた言葉を飲み込んだ。あまりよくないことをあえて言うこともない……と彼は思い、口をつぐんだのだった。刃は傷ついたり折れたりしても仕方のないことだが、鍔が傷つくと、滅多にないことだけに、モンメイの男たちは縁起が悪いと言って剣と供に自身も清めの儀式を行い、別の剣を新調
してしまう者までいる。
クゥアンやホゥヤンでは、そういう言い伝えはないらしく、オスカーとジュリアスが、その事を気にしている様子はない。すぐに、最近産まれたらしい馬についての話を
彼らは、話し出した。
“ま、新しい剣を手に入れるための方便って気もするけどさ……”
オリヴィエだけが、この小さな予兆に、ほんの少しだけ心を震わせていた。
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