第五章 1


 寒冷の気を含んだ風が、石造りの城全体を包み込むようにして襲ってくる。数日前までの穏やかな晩秋の日差しは、どこかへ行ってしまい、灰色の空が広がっている。第一騎士団の広場にある水時計は、日が沈みきってしまうまで、五時間近くあることを告げているが、日時計の方は、雲が太陽を隠してしまい用をなさないでいる。
 オスカーは考えた末、やはり出掛ける準備をする為に、厩舎に向かった。
“……こんな時は、あれこれと考えるよりも馬に乗って駆けたほうがいい。今からならちょうど王都を出て、次の宿場町あたりで宿を取ることになるが、酒場で軽く飲んで楽しんだほうが気分転換になるしな”
 沈んだ気持ちを振り払うようにオスカーは、広場を早足で通り過ぎようとした、その時。
「オスカー」
 オリヴィエが、庭園の方から手を振りながら叫んでいた。オスカーは、立ち止まりオリヴィエの方に向かった。
「どうしたのさ、そんな荷物を持って。旅支度? どこかに行くのかい?」
「馬の用意をしに。ジュリアス様の御用で、南の領地に視察に出掛けるんだよ 。剣の稽古が休みになっちまうんで、別の者を付けさせると、今し方、そちらに連絡しようと思ってたんだ」
「へぇ、いつまで行ってるの? クゥアンの年越しの祭りは、盛大だって聞いたから、一緒に祝えたらと 、ジュリアスに提案しに行こうと思ってさ。その前にあんたの予定を聞こうと思って来たんだけど、無理かな?」
「そうだな……半月ほどかな。大丈夫。年越しの祭までには戻ってくる。あ、このことは……」
 オスカーは、内緒だ……というように唇の前に指を置いた。
「南の領地で、どうも不正な動きがあるんで調査に」
「不正って?」
「秋の収穫の報告に不審な点があるんだ。随分前の王の時代に、配下に置いた地域で、クゥアンから派遣した領主も五代目で、土着化している。そういう場合は、自然とクゥアンに対する忠誠心も薄れるし、どんな人物かの情報も入ってきにくいんで、たまにお忍びで視察に行くんだ」
「なるほど。じゃ、帰ってくるまで、せいぜい剣の稽古を怠らないようにしとくよ〜」
 オリヴィエは、戯けた様子で言った。だが、オスカーの方は、頷いただけでいつものような軽口は叩かない。どことなしか沈んだ彼の雰囲気を察したオリヴィエが、「オスカー、何かあった?」と 尋ねた。
「いや……別に」
 オスカーは、首を振った。
「出掛ける前に、何かを溜め込んで行くのは良くないよ」
「ああ……う……ん、ちょっとな。ジュリアス様に……」
 オスカーは俯いて、ポツリと言った。
「おや? 夜遊びを、叱られでもしたのかい?」
 オリヴィエがそう言っても、オスカーは乗って来ない。彼は茶化すのを止めて、木陰にオスカーを誘うと、「続きを話してみなよ」と言った。

「今朝一番に、この視察の話を命じられた時に、少しジュリアス様とお話しする時間が出来たんだが、俺の今後についてお尋ねになったんだ……」
「今後?」
「俺は、ホゥャンに実家があって長子だから、いずれは帰るつもりなのか、と」
「勘当されたっていう実家?」
「疎遠になってる事は確かだけど、本当に勘当というわけじゃないさ。生半可な気持ちでは行くな、行くなら戻って来ないつもりで行けと父親に言われただけだよ。たまに季節の便りくらいは俺も出してるさ」
 “家を出ることについて、確かに父さんは怒っていた。だが、俺の気持ちは判ってくれていたはずだし、本当は許してくれていたはずだ……”
とオスカーは思いながら言った。

「で、どう考えているの?」
「考えてなかった。そんなことは。いや、それは嘘だな……心の何処かにはあっただろうけれど。ただ、今は、ホゥヤンに戻ることなど考えられない、と思ってた。西へ行くということもあるし…だから、ジュリアス様にはそう言ったんだ」
「ジュリアスは何て答えた?」
「そなたは一生、私に仕えているだけでいいのか……と言われたよ。もちろんですよ……と即答した後で、何か……俺は……複雑な気持ちになってしまったんだ。どうしてジュリアス様は 、そんな事をお尋ねになったんだろうな……ジュリアス様は、西に行く前に、俺の気持ちを確かめて置きたかったのかな……」
「たぶん……ね。西に文明があって、国があるなんてこっちが勝手に思っていることだもの。何が本当にあるかなんて判りゃしない……何もないかも知れないんだもの。莫大な費用と時間を割いて行くんだもの。何も得るものがなかった 、それどころか命を落とす者まで出ました……では、王として済まされないかも知れない……第一、この広大なクゥアンの王が、長期に渡って留守をして、その間に、国が荒れるようなことがあれば……。ジュリアス にしたら、万全を尽くして出掛けたいだろうね。オスカーのことも、きちんとしてから行きたいと思ったんじゃないかな」
「それじゃ、俺は、むしろ一緒に西に行かないで、ジュリアス様の留守の間この国を守っていた方がいいんだろうか……」
「ほら……オスカー。それだよ。ジュリアスの為に、でなくオスカーはどうしたいのか、その答えをジュリアスは知りたかったんじゃない?」
「俺が……?」
「うん、西へ行く理由。ジュリアスやワタシは、自分の出生について知りたいという目的があるだろ。ジュリアスが行くから自分も行く……それでいいのかって事だよ。それでいいならいいんだけどさ。どう?」
 オリヴィエに顔を覗き込まれて、そう問われたオスカーは、情けなさそうな顔をした。
「ホゥヤンから出てきて五年以上が過ぎた、今まではただ突っ走っていただけのような気がする……よく考えてみるよ……」
「一生、自分に仕えさせるのが王の仕事なのにね。ジュリアスにとっては、あんたは単なる家臣ではなく、オスカーがとても大事なんだよ」
 オリヴィエにそう言われて、オスカーは、小さく笑いながら頭を掻く。

「やっと笑った。視察の道中は、いろいろ考えるのにちょうどいいと思うけれど、息抜きをするのにもいいからね。あんたのことだから、宿場町の酒場にお馴染みさんがいるんだろう?」
 オリヴィエは、オスカーの脇腹を軽く小突いた。
「もちろんさ。今回は特に寄りたい所があるんだ、とびきりの美人が港町で待ってるのさ」
「まったく。ちょっと元気になってきたかと思ったら。とびきりの美人って本当?」
「ああ。体格がよくって、俺が乗っても、ぜんぜん平気で……」
 一国の王子であるオリヴィエを相手に、こんな話題でも交わせるほどに親しくなった事を、不思議に、そしてまた嬉しく思いながら、その美人を思い出すよう な仕草をして、オスカーは言った。
「お熱いことだねぇ。でも、ほっそりしたのが好みかと思ってたけど、そうでもないんだね」
「しかも……」
 オスカーは、そこで小声になった。辺りを見回すと、オリヴィエの耳元で「……生娘だ」と言った。
「ちょっと待ってよ。さっき俺が乗っても平気って言ったじゃないか。どうしてそれが生娘なんだよ?」
「いや、まだ乗ったことはないんだ。乗っても平気だろうと思うだけで。けれど、たぶん最初に乗るのは、ジュリアス様だろうなぁ。俺はその次あたりで……いや、オリヴィエが先かな」
「……やだ……あんたたち、そういう趣味してたんだ。ワタシはごめんだね、そういうの」
 オリヴィエは、眉を顰めた。
「一体、何の話だと思ってるんだか」
 オスカーは、笑いを噛み締めて苦しそうに腹を抱え出す。
「なんだよ?」
「視察の道中、少し足を伸ばして、インディラの港に寄ろうと思うんだ。船を造ってる所だよ」
「なぁんだ、船の事か……。人が悪いねっ」
 オリヴィエは、オスカーの背中を叩くと、「じゃ、造船は進んでるの?」と尋ねた。
「リュホウ様が手配して下さったおかげで、良い材木が大量に手に入り作業も一気に、進んでいるという。インディラ港の職人から、もうかなり船も出来上がってきたと報告があったんだ。それで、少し遠回りにはなるけれど、方向は同じだし見てこようと思ってな」
 兄の名前が出るとオリヴィエは嬉しそうに微笑み返した。
「山の麓のモンメイでは、木だけは沢山あるからねぇ。インディラの港か……どんな町なんだろうね、海って見たことないよ」
「俺の故郷のホゥヤンから、ずっと南下した所にあるんだ。ホゥヤン領ではないけどな。他の地方からの船も出入りしているし、漁業も盛んな賑やかな町だ」
「モンメイでは、海とは無縁といってもいい暮らしだったけれど、余所の国では、船での荷物の運搬もされているんだよね。海って、魔の海の印象が強くて怖い感じがしていたけど。ねぇ、魔の海……って本当に、その海域に入ったら戻って来られないような代物なの?」
 オリヴィエは、頭の中に地図を思い浮かべて言った。
「あのあたりは、潮の流れが、とても複雑なんだ。海底も突然、浅瀬になってたりして、ついその海域に入ってしまって座礁したり、行方不明になった船は数知れないと聞くぜ。地元の漁師たちは絶対に近づかないようにしているらしい。けれど、もう随分前から、地元の漁師たちに依頼して調べるように頼んである。季節や時刻によっても違うからな。きっと潮の流れが、緩やかになって越すこともできる日時があるはずなんだ。それに造船中の船は、今までにない大型船なんだ」
「そんなに大きいの?」
「もともと、モンメイを配下に置いた場合、様々な物資を輸送するのに、陸路より海路を取ったほうが、より多くの荷物を送れる……ということで始めた造船だからな。ジュリアス様と元老院は、モンメイは、必ず配下に置くつもりだったから……すまん」
 オスカーは、モンメイ人であるオリヴィエを思いやって、最後に詫びの言葉を付け足した。
「モンメイとは長い間、国境付近の鉱物資源の事で揉めていたからね。父王から、随分その事で、煮え湯を飲まされるような事があったんでしょ。モンメイを攻めた事なら気にしないでいいよ」
「この大型船の設計を作らせた時に、ふと設計士が呟いたそうだ……これくらいの大きさを持つ船ならば、魔の海の潮の流れにでも負けない……と。ジュリアス様は、その一言に、可能性を見出されたのさ。この船が西に行くために使えるかも知れないと。それを現実的にするためには、いろいろと改良を加えねばならず、秘密裏に俺が動いていたんだが、元老院は、未だに物資輸送の為の船と信じているだろうな」
「なるほど……ね。西へ行く準備の最後の詰めは、元老院の説得ってわけだ。ジュリアス、大仕事を残してるわけだ」
「何かお考えがあるらしいけれど、そこらあたりは俺ではどうしようもないし。俺は自分の出来ることをするまでさ。造船の進捗を見る、とか」
 オスカーの言葉を聞いて、オリヴィエはにっこりと笑った。
「ふふ、よく考えてみるよ……なんて言って、結局、どうするかはもう決めてるんじゃない。あんた、クゥアンで待ってるつもりなんて、ぜんぜんないじゃないか。ジュリアスが待ってろ、と言ったって、連れていけと絶対、ごね倒すくせに」
「あ……そ、そうか……な」
 痛いところをつかれてオスカーは、また頭を掻く。
「オスカーは留守番。その美人の生娘には、ジュリアスとワタシが楽しく乗ってあげるから、しっかり城を守ってたら?」
 追い打ちをかけるようにオリヴィエが言った。
「嫌だ! 俺も乗る!」
 オスカーはそう言うと、自分の口調が幼い子どものようで、笑い出した。そして、照れくさそうにオリヴィエを見た後、「ありがとう」と呟いた。
「ワタシと話して良かったでしょ。さ、早く行ってきなよ」
 オリヴィエは、オスカーの背中を押した。オスカーは頷く。
「剣舞の稽古、さぼるんじゃないぞ」
「判ってます、騎士長!」
 オリヴィエは大袈裟に敬礼し、オスカーを見送った。荷物の入った麻袋を、肩に掛けるとオスカーは、元気よく駆けていく。
「港の美人によろしくねー」
 オリヴィエは、オスカーの後ろ姿に叫んだ。振り向いたオスカーは、親指を立てて、白い歯を見せた。

 ちょうど戻って来るのは、年越しの祭りの少し前になる。造船の様子を報告しながら、三人で夜明けまで酒を酌み交わして、新年を迎えることが出来たらいいな……と、オスカーは思っていた。
 それが、叶わぬことになるとは、知らずに……。

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