やがて、燭台の蝋燭が費えて消えた。オスカーは、うとうとと居眠りをしては、風が扉を叩く微かな音にハッとして目覚める……を繰り返している。ギィと扉の軋む音がし、誰かが階段を下りてくる気配に、オスカーは目覚め、とっさに剣を掴む。長い髪の影がオリヴィエである事を示していた。
「オリヴィエ様?」
オスカーは、小声でそう言うと立ち上がった。
「オスカー? まさか……ずっとここで待ってた?」
「もうすぐ夜明けです。早く領主の館まで戻りましょう」
唖然とするオリヴィエに、オスカーは、何事も無かったかのように言った。
「うん……」
オリヴィエは、ただ頷いてオスカーの後に続いた。外はまだ薄暗い。
「オスカー、もう一人のあの子と一緒だったんじゃないの?」
「そういうわけには参りませんから。昨夜は楽しい酒をありがとうございました」
皮肉を言ったわけではない、とオスカーは思っていた。だが、オリヴィエにはそう聞こえる。オスカーと二人して羽目を外したつもりだったオリヴィエは素直に謝った。
「ごめん……ごめんなさい。ワタシはてっきり貴方も……」
「どうかお気になさらないで下さい。王都に着けば、貴方はモンメイの王子として、束縛された生活を送らねばならないかも知れません。モンメイ城から出たこともなく、場末の店で遊んだこともないと仰ったからお付き合いしました。一夜、楽しまれたのなら、俺としても嬉しいことですよ」
オスカーは、オリヴィエを見て、微笑みながら言った。その顔に安堵したオリヴィエは、照れくさそうにしながら、小さな声で、ありがとうと言った。
「ねぇ、オスカー」
「なんでしょう?」
「それ、それ。ねぇ、そういう物言い、やめようよ。あの酒場みたいに、話してくれないかな? さっきとても楽しかったからさ」
「呼び捨て、敬語なしっていうあれですか? 無理ですよ。貴方はモンメイの王子で、俺はただの騎士です。堅苦しいのは嫌だと仰るから、これでも充分、儀礼から逸脱して話しています」
「ほとんど年も同じなんだし。たぶんクゥアンに着いたら、ワタシたち同僚になるんだし」
「同僚?」
オスカーは立ち止まって振り返ってオリヴィエに聞いた。
「ここに来る前にジュリアスに申し出たんだ。クゥアンに着いたら、ワタシは賓客として特別扱いはされるらしいけれど、何もしないでいるのは辛いから、第一騎士団所属にしてくれって」
「それで、ジュリアス様は何と?」
「オスカーがいいなら、いいってさ」
オリヴィエはにっこり笑って言った。オスカーの方は、一瞬困った顔をしながらも、キッパリと言った。
「それはお受けできかねます。第一騎士団は……」
「判ってる。第一騎士団の連中は、ジュリアスを守るためにあって、彼の元で働いている。皆、馬や剣の扱いに優れた騎士揃い。ワタシなんかが入ると足手まとい……って思ってるんだろ?」
オスカーの続きを制して、オリヴィエが強引に言った。
「…………」
その通りであるため、オスカーは答えられないでいる。もちろんオリヴィエの身分の高さを思うと、怪我や命の危険さえ付きまとう事をさせられないという思いもある。
「確かにね、馬の扱いについては皆の足もとにも及ばないけれど、努力する。大剣は扱えないけれど、短剣なら……」
オリヴィエは、上着の裏にしこんであった護身用の短剣を取りだした。
「見ててごらん……あの木……あんたの背丈と同じくらいの所、折れた幹のちょっと横あたりね……」
オリヴィエはそう言うと、短剣を投げた。それは真っ直ぐ、彼の言った通りの場所で止まった。
「ほぉ……」
思わず感嘆の声を上げたオスカーに、オリヴィエは気を良くしてさらに言った。
「弓も使える。剣は持たせて貰えなかったから、護身用に与えられていた短剣や狩り用の弓で、内緒で練習してたんだよ」
「内緒で……ですか?」
「うん。危ないことは大っぴらにはさせて貰えなかったからね。小さい頃、何になりたかった? 男の子なら騎士だろう? ワタシは、王様になるんだろうと思っていたから、騎士はなれなくてもいいんだと思ってたんだよ。でも、ある時、兄様がいるから王様にはなれないらしいと知って、騎士になろうとしたんだけど……」
オリヴィエはそこで小さく笑った。
「騎士にもなれないって……さ。じゃあ、ワタシは何になるんだろう? 兄様は、武術に優れていて立派な騎士でもあるのに、王様にもなれるのに、どうして弟のワタシは何にもなれないんだろうって。絵や音楽も一通りはやったけれど、モンメイは、そこらあたりやっぱり辺境なんだよね、ワタシに教えてくれた才能ある人たちは、皆、中央に行ってしまった。それに、やっぱりワタシは騎士になりたかったから……」
オリヴィエが語るのを、オスカーはただ黙って聞いていた。
「父上が死に、モンメイを出ることができたけれど、やっぱりワタシはモンメイの、お飾りの王子止まりで、騎士にはなれない?」
オリヴィエの生い立ちについては、この道中で折りに触れ何度も聞かされている。その度にオスカーは、自由でのびのびと育てられた自分の子ども時代と比べて、彼に同情せずにはいられない。
「ジュリアス様も王であられるが、騎士としての称号もお持ちですから……、努力によっては、もちろん、オリヴィエ様も……」
オスカーの言葉にオリヴィエの顔が輝いた。
「どうすれば騎士になれる? モンメイでは、馬と剣の試合があるんだけど」
「クゥアンでは、年に二度、試験があります。剣舞と、足が早くてどう猛、天敵がいないのですぐに増えてしまうラジェカルという獣を狩ります。その結果で騎士としての称号が与えられます。ただ狩るだけでなく、いかに、回りに被害を出さず、獣を美しく仕留めるかなども評価に入ります。騎士になれば、ジュリアス様より自分専用の馬が二頭と剣、俸禄が得られます。騎士にも、いくつか階級があって、
これは年に一度、昇級の為の会議で決められます」
オスカーの説明にオリヴィエは深く頷く。
「騎士団では特別扱いはできません。まだ騎士の称号はないけれど、見込みのある準騎士の少年たちが数名おり、その者たちと同様に扱わせて頂くことになりますが、それでもよろしければ……」
「ありがとう。頑張るから」
“俺はどうして、いつも墓穴を掘ってしまうんだろうか……”と思いながらオスカーは頭を掻く。
「一番上が金なんだよね。それはまだ貰えなくても、銀か……その下は何?」
「銀の下は、白、青と続きます。一番上は……」
オスカーはそこで小声になった。
「金じゃないの?」
「いえ……一番上は一応金ですが、それと……炎です」
言いにくそうにオスカーは言った。
「炎?」
「ジュリアス様が、炎は金や銀も溶かすからと、そういう階級を創られたんですよ」
「ははん、炎の階級って、アンタなんだ。アンタの為に創ったんだ」
オスカーの気まずそうな物言いにピンときたオリヴィエは、言った。
「いや、俺の他にも何人かはいます……この事には、複雑な経緯があって……」
「いいって。オスカーが優れた騎士だっていうのは、この旅の道すがら、もう充分判ったよ。実際に戦ってる所を見たわけじゃないけど、ね。炎の騎士かぁ、素敵だねぇ」
「はぁ……ありがとうございます」
「これでワタシも一応は第一騎士団の所属だ。だったら尚更、その言葉使いはないだろ? 同僚どころか、アンタはワタシの上官だよ? こっちが敬語つかわなきゃ」
「そ、そんなことは……」
できないとばかりにオスカーは首を振った。
「酒が入ってたとはいえ、さっき酒場では出来ただろう、友みたいに普通にね」
友……、という言葉に、オスカーはジュリアスを思い出した。
“クゥアンの軍に入ると決めた時、ジュリアス様も同じ事を言われたな。これからも、友として、あるいはせめて兄のように……接して欲しいと……お二人とも、立場は少し違うが、俺のように泥まみれになって、友だちと野を駆けた経験がおありにならないんだよな……”
また自分と比べて考え込んでしまったオスカーに、オリヴィエがそっと言った。
「やっぱり無理?」
「いえ、そんなことは。判りました。第一騎士団としての立場の時は、遠慮なくそのようにさせて頂きます。ですが公式の場では……」
「判ってる。ありがとう、オスカー。アンタとは良い友だちになれると思うんだ。悪いことも一緒に出来るような、ね」
オリヴィエは、意味ありげにそう言った。
「悪いこと……」
「あー、でもクゥアンの女はもう、いいや。兄様が言ってた通り、イマイチだったから」
オリヴィエの開けっぴろげな言い様に、オスカーは驚いて尋ねた。
「え? 何か女が、失礼な事でも?」
「ううん、それなりに良かったけどさぁ、胸はあるんだけど、全体的に体が薄くて抱きごこちが良くない。それに綺麗な子よりか可愛い子の方が好きだし」
「は、はぁ、痩せていて綺麗なのは好みじゃないと?」
「綺麗な顔が見たけりゃ鏡を見ればいいし」
堂々と臆面もなくそう言ってのけたオリヴィエに、オスカーはクスッと笑った。
“おかしな人だな。それが嫌味には聞こえない。女のように儚げな顔をしているかと思えば、酒場でのように俺も顔負けの風情で女を口説くし……”
「ねぇ、オスカー、そろそろ夜が明けるね、王都まであとどれくらい?」
オリヴィエは少し不安そうに言った。
「まあ五日……というところでしょう。もしかしたら第一騎士団とジュリアス様は、先に王都に向かうかも知れません。
先にもどってオリヴィエ様を、お迎えする式典の用意を調えてはどうだろうかと、ジュリアス様が仰ってましたから。そうすれば、三日程度で戻れます。オリヴィエ様は……」
オスカーがそこまで言った時、オリヴィエが睨んだ。
「今、様ってつけたよ」
オスカーは困った顔をしながら渋々、言い直す。
「あ、えっと、オリヴィエは、後続の馬車や兵士たちと一緒にお戻りくだ……何か変だよな……戻って下さ……戻ればいい……、ああ、そう、戻ればいい……んじゃないかな……と」
しどろもどろになりながらオスカーは、やっとそう言った。
「そのうち慣れるってば」
「本当ですかねぇ……」
オスカーは溜息をついた。オリヴィエは首を左右に振る。オスカーはもう一度、わざと大きく溜息をついた。
「ほら、そんな風に嫌味っぽく溜息がつけること自体、慣れてきた証拠だよ」
オリヴィエは楽しそうに笑う。そして、「いろいろと手間をかけるけれど、立派な騎士になるから指導よろしくね、騎士長殿」
軽く頭を下げてそう言った。
「よろしく……よろしくお願いします、だろう? 礼はこの場合もっと深く頭を下げて……」
オスカーの言い方が、精一杯頑張って言ってみた……という風情の棒読みで、威厳もなにもあったものではない。オリヴィエは腹を抱えて笑い出した。
「し、失礼な! 言え言えと仰るから頑張ってみたのに。もう結構です。今まで通りに俺は話します!」
「ごめん、ごめんってば」
オリヴィエは、拗ねて歩き出したオスカーの肩を抱くようにして謝るが、笑いは収まらない。
「知りませんよ」
と答えながら、オスカーも口の端に笑いが込み上げる。
「あ、そうだ。ジュリアスと第一騎士団が、後続を待たずに先にクゥアンに向かうならワタシも一緒だよ。見習いとはいえ、もう第一騎士団所属なんだもの」
「ついて来れなくても泣き言は許しませんよ、それでよければ」
オリヴィエに笑われた仕返しのようにオスカーが、そう言った。
「ふん。もう随分、馬にも慣れたよ。見くびって貰っちゃ困るね」
自信たっぷりに言ったオリヴィエだったが、翌日から、クゥアン到着までの三日間は、後々まで彼が、“悪夢の強行軍”と言い続けるほどに辛いものとなったのだった。
■NEXT■ |