第四章 5


   トゥンコウからは、クゥアン領域に入る。王都からは、まだまだ離れているとはいえ、要所、要所には、町や村が存在し、軍の駐屯地もある。身分ある者が、荒野でのように包家を張って寝るなどということはない。オリヴィエが、馬の扱いにも慣れてきたということもあり、ジュリアスと第一騎士団の者たちは、後陣を待たず、一足先にクゥアン王都を目指すことにした。

 前日、朝方近くまで、五元盤に興じていたジュリアス、思わぬことからオリヴィエの酒場遊びの相手をすることになってしまったオスカー や、久しぶりの町で羽目を外していた騎士たちは、共に、寝不足気味で、一日目は、ゆっくりと馬を走らせたのだったが、二日目は……。
 先頭をジュリアス、やや遅れてオスカーが走り、その直ぐ後ろを第一騎士団の者たちが続く。中央平原と呼ばれる牧草地帯は、遮る物も少なく、足場も良いとあって、彼らは思う存分に馬を走らせた。最後尾から付いて行くのがやっとのオリヴィエは、休憩の場所に辿り着く度に、もう少しだけゆっくり走ってくれと懇願するのだが、ジュリアスとオスカーから情け容赦なく、“そんなことでは第一騎士団は無理”と言われて渋々、また馬に跨るのだった。

 そして三日目の朝。クゥアン城までは半日の距離になった。人目があるため、一行は、それまでの旅の軽装から、正装に着替えて馬に乗った。ジュリアスは、王のみが着ることの許された黄金色の長 上衣を羽織っている。オリヴィエも、モンメイから持参した高い襟の付いた式典用の長衣を着た。ジュリアスのものよりはやや色が薄い金の地布に、銀糸で雲の刺繍が裾に施された美しいものである。オスカーたち第一騎士団のものは、 全員深紅の長上衣を身につけている。
「ジュリアス、ここはもう王都の中に入っているの?」
 今日は、最後尾ではなくジュリアスのすぐ横にいるオリヴィエが、そう尋ねた。
「ああ、入ったばかり……というところだ。このあたりはまだ田園ばかりだが、もう少し行くと賑やかな所になる」
 ジュリアスは、自分の王都を慈しむような穏やかな口調でそう言った。
「もうすぐクゥアン王道と呼ばれる城に続く一本道だ。坂を越えると城が見えてくる」
「いい所だね……」
 オリヴィエは気持ちの良い風に吹かれながら答えた。時折、畑仕事をしている農夫たちとすれ違う。彼らは、ジュリアスの存在に気づくと、大きく手を振った後、深々と頭を下げて一行が通り過ぎるのを見送る。やがて坂を越えると、人家が目立つようになり、やや遠くにある小高い場所に城が建っているのが見えてきた。と同時に、沿道には人が溢れ出す。

 ジュリアスの帰還を祝う声がまず上がったあと、オリヴィエの存在に気づいた民衆が、驚きの声を上げている。“あれは誰?”という声が、もはや囁きではなく、あからさまに一行の耳にも届いてくる。それを無視する形で、一行は沿道を、一気に駆け抜けた。やや行くと鉄製の巨大な跳ね橋のついた門が正面に見えてきた。槍を携えた衛兵が十人ばかり等間隔に並び、一行を出迎える。
「これより城内だ」
 ジュリアスたちは、馬の歩調を緩め跳ね橋を渡った。そこはまだ林の中といった風情になっており、木々の合間にぽつりぽつりと、お抱えの職人たちの小さな家が見えている。響いてくるのは鍛冶 や大工仕事の音である。林を抜けると、オリヴィエの目の前に、人為的に整えられた木々が広がった。その向こうに内城の外壁がチラチラと見え隠れしている。石造りのそれはモンメイのものに比べれば、 細い尖塔をいくつも持った造りをしていて、装飾的である。
「綺麗な城だね……あそこは主塔に続く正門になるの? 誰か出迎えているよ……」
 オリヴィエは、衛兵たちとも騎士たちとも違う衣装の者たちの存在に気づき、ジュリアスに尋ねた。
「元老院の者たちだ」
「ああ……なるほど」
 馬が近づくにつけ、その者たちの姿がはっきりとしてくる。いずれもジュリアスよりは随分年上の、身分のある者らしい風情をしている。お互いの顔が確認出来るほどの距離にまで近づくと、その者たちはその場に傅いた。
「無事、ご帰還祝い申し上げます」
 元老院の、おそらく一番上の地位にあると思われる人物が、よく通る声でそう挨拶を述べると、ジュリアスは馬から降りた。オリヴィエたちもそれに続く。
「出迎えご苦労であった」
 ジュリアスが労いの言葉をかけると、元老院の者たちは、顔を上げ立ち上がった。
「モンメイ国オリヴィエ様、ようこそクゥアンへお越し下さいました」
 オリヴィエの姿を見ても、沿道の民衆のように動じることがないのは、モンメイ陥落から同盟国への経緯が、既に知らされているためである。誰よりも早く動き情報を伝達するのも第一騎士団の役目でもあった。

 オリヴィエは、元老院の者たちに向かって特に言葉もかけず、黙礼した。緊張が走る中、ジュリアスがそれを感じ取って、明るい口調でオリヴィエを誘った。
「オリヴィエ、疲れたであろう。ゆるりと過ごすがいい、さあ、我が城へ。第一騎士団の者も、これにて解散とする。オスカーは今しばらく供をせよ」
「はっ」
 オスカーは、他の騎士団の者に、馬の手綱を預けるとジュリアス、オリヴィエに随行した。その後に元老院の者たちが続く。
 主塔の中に入ると、ジュリアスは元老院の者たちに、謁見の間で待つように指示した。入れ違いに、物腰の柔らかな初老の男と側仕えの女たちが、ジュリアスを出迎えた。
「私どもは、これよりオリヴィエ様の身の回りのお世話をさせて頂きます」
「ありがとう。しばらく判らないことも多いので世話をかけると思うけれどよろしく」
 オリヴィエは、元老院たちに対する態度とは違う優しげな顔付きで、そう挨拶した。そして、ジュリアスの方に向き直り、「これから元老院の人たちと謁見?」と尋ねた。
「ああ、報告が残っている。ここ数日は残務処理に追われることになろう」
「では、ワタシも一緒して改めて挨拶しておきたいんだけれどいい?」
 オリヴィエの顔付きが、また険しくなっているのにジュリアスとオスカーは気づく。
「オリヴィエ……元老院の者たちの無礼、先に謝っておく」
 ジュリアスはオリヴィエに向かって小声で言った。
「ジュリアスってば気が早いね、まだ何も始まってないのに?」
 先にジュリアスがそう言ったことで、オリヴィエは気が緩み、いつもの調子に戻ったようだった。
「そなたは彼らにあった瞬間に感じただろう。モンメイでそなたに対して向けられていたであろうものと同種の視線を」
「ああ……そうだね。どんなに欲しくても手に入らなかったものがやってきたんだからねぇ」
「すまぬ。やはりそうなると気づいていたのだな」

 謎めいたジュリアスとオリヴィエのやり取りをオスカーは、一歩下がって聞いている。“どんなに欲しくても手に入らないもの……”とオリヴィエが言ったところで、その言葉の意味に気づき、オスカーはハッとした。
 元老院は、ジュリアスの父の兄にあたるツ・クゥアン卿とその身内を始めとして、主になんらかの形で王家に関係する者たちで構成されている。
 そういう意味では、自らが金の髪を持つ者の一族ではあるのだが、いずれもジュリアスのような容姿を持ってはいない。身分的には申し分のない地位にいるものの、ジュリアスがいる限りは、それ以上は決して望むことはできない立場にある。同じ血を引く者同士とあっては、ジュリアスと自分の娘の婚姻を望むことも出来ない。そこにオリヴィエがやって来た。自分たちとは血縁関係のない金の髪を持つ者が……。

「ここまで先読みするのはどうかと思うけれど、ワタシは決して元老院の者たちの姫には手を出さないから安心して」
 オリヴィエは笑いながらそう言ったが、その言葉には真剣さが伺える。もしそんな事があって、子が産まれたとしたら……その子を擁立し、ジュリアスに取って変わろうとすることも可能かも知れない。金の髪を持つジュリアスの支持は、クゥアンのみならずこの大陸では絶大である。だが、いいかえれば、金の髪を持つ者の一族ならば誰でも、民衆からその支持を得ることが出来る……とも。ジュリアスが多くの者から愛されているのは、彼が賢王 であると共に、金の髪を持つ者であるから……。
「そこまで気を使う必要はない。だがいずれにせよ、当分はこざかしいこともあるかと思うが我慢してくれ」
「それそれ。その事も含めて、ちょっと言っておきたいこともあるんでね……。さ、謁見の間に案内して。ワタシのやり方で先手を打っておくから」
 オリヴィエは軽く微笑んでジュリアスを促した。

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