アンジェリークが食事から戻ると、部屋のドアに小さなカードが差し込まれていた。
 二つ折りになったその紙片を開くと、細い流れるような筆跡がそこにあった。
『今宵は流星群が綺麗なので、公園の東屋にいる』
 来いとも、話しがあるとも書かれてはいない、今夜の自分の居場所だけを告げてある愛想のないカードを、アンジェリークはポケットにしまうと、チェストの上の鏡を見た。
「怖い顔……笑って笑って」
と強ばった口元を押さえると、オリヴィエにいつか貰った口紅をソッとつけた。
 オリヴィエの見立てで、よく似合うはずのその色が今夜はくすんで見えた。
 アンジェリークは乱暴にそれをふき取ると「夜なんだもの、口紅なんかつけたって暗くてよくわかんないもん」と自分に言い聞かせた。
 
 公園には、長い夜を楽しむカップルが何組もいた。
 あちらこちらに備えられた外灯も明るく、ざわついた空気が流れていた。アンジェリークはそんな公園の東屋で憮然と立ち尽くしているクラヴィスを見つけた。
「どうも……静かに星を眺める風情ではなかったようだ……」
 クラヴィスは夜の公園は静かなものだと思い込んでいたようで、アンジェリークを見るとホッとした様子でそう言った。
「少し……歩こうか……よいか?」
 クラヴィスはアンジェリークにそう言い、彼女が頷いたのを確認すると、公園の奧に向かった。小高い丘に繋がる公園の少し奥まったところまで来ると、さすがに人気がなく、静かだった。

「嘘をついた……」
 とクラヴィスはふと立ち止まるとそう言った。
「嘘……ですか?」
「今夜は流星群などない……お前を呼び出す為に私は嘘をついた。ただ一言、逢いたいと書けばいいものを、いくじのない事だ……」
 クラヴィスはそういうとアンジェリークの方に向き直った。

「明日……女王試験は終わる……」
 クラヴィスはポツリと言う。

「え? 明日なんですか? まだ少しあるかと……」
「夕刻に研究院から最新のデータが回ってきたのだ」
「そう……ですか……」
「忙しくなるな」
「はい……」
「体調を崩さぬよう」
「はい……」
 泣いてはダメだ……とアンジェリークは目を見開いた、もっと違う言葉が欲しいと叫びそうになるのを懸命に耐えた。

「アンジェリーク……よかった……な」
(何も良くはない……)アンジェリークの瞳から一粒涙がこぼれ落ちた。
 だが暗がりの中でクラヴィスにはそれは見えない。ただ俯いたアンジェリークが、自分の問いかけに頷いたとしか見えない。

「アンジェリーク……いつか湖での事だが……私は」
 そこでクラヴィスは言い淀んだ。
 長い沈黙だった。虫の鳴く微かな聲にアンジェリークは救われながら、次の言葉を待った。 だが何もクラヴィスの口からは返っては来ない。アンジェリークは不安に駆られてクラヴィスを見た。 クラヴィスもまたアンジェリークを見下ろすと、その瞳が涙に濡れているのがわかった。クラヴィスは溜息とともに、その細く小さな肩を抱き、そっと髪に触れた。クラヴィスは言葉より先にその指先で、愛を告白した。

「クラヴィスさま……」
「すまない……あの時はどうしていいかわからなかったのだ。私も同じ気持ちだということだけはわかっていたが、私は、私には、前にも同じような事があって……」
 クラヴィスは訥々と昔の話を話す。

「どうして、約束の時間の後に、もう一度お逢いにならなかったんですか?
 逢って話せば行き違いになった事なんかすぐわかるのに……」
「結局、彼女は女王になる事を選んだのだ。それならそれで仕方ないと私は思った……ただそれだけだ」
「私の事も……仕方ないと思っていらっしゃるんですね……女王になっても仕方ないって……」
 アンジェリークの声は悲しみというよりは怒っているように震える。

「それは違う。私は、お前に女王になって欲しいと心から思っている。好きだからこそ、そう思う。お前は新しい宇宙にとってかけがえのない存在だから、そして私にとっても」
 アンジェリークはその言葉に混乱していた。
「好きだから女王になって欲しい……って……だけど……」
「女王になれば聖地でいつも共にいられる。私は女王に忠誠を尽くす守護聖なのだから。私は絶えずお前の側にいて、共に歩むことが出来るだろう」
「あの……だったら前の時もそうなさればよかったのに……」
「いいや……あの時はそんな事は思いもしなかった。恋に終わりの音があるなら、きっと私はそれを聞いたのだ、だから女王である人と、共に寄り添い歩む事など考えもしなかった」

「じゃあ、私はあの……たった今からクラヴィス様の恋人でいいんですねっ」
 アンジェリークは気合いを入れて確認する。その様が可笑しくてクラヴィスは肩を震わせた。

「どうして笑うんですかー、だってちゃんと確認しなくちゃ。
 男の人って、パパもそうだったけど、言わなくても解るだろう、とかモゴモゴ曖昧な事、言っちゃって誤魔化すんだもの、クラヴィス様だって私の事、あの、好きなら、いろいろ考えないでとりあえず愛してるって仰ってくだされば、あっ、さっきから好きだって仰ってるけど、愛してるっておっしゃってないわ、私だって、こんなに悲しい想いしなくて済んだし、もう体重なんか3キロも減っちゃって、あ、丁度良かったかも。
 それに失恋したと思ったから女王試験頑張れたんだけど……でも、だけど、」
 半分泣きながら、支離滅裂になりつつ言うアンジェリークをクラヴィスは優しい眼差しで見つめた。

「うるさいぞ、アンジェリーク」
 笑いながらクラヴィスは言う。
「クラヴィス様が無口だから、私はうるさくてちょうどいいんだもの」
「この減らず口が……」
 クラヴィスはアンジェリークの唇に触れた。その瞬間、アンジェリークは固くなり押し黙った。

「お前を愛している」
 クラヴィスの呟きがアンジェリークの心に響く。
 頷いたアンジェリークの頭を自分の胸に引き寄せたクラヴィスは、アンジェリークにしか聞こえない小さな小さな声で言った。
「一度だけしか言わぬぞ。だが、明日からずっとお前に逢った時は、その証に必ず微笑み返すことにしよう、それでいいな?」

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