◎冬の章◎
「メリークリスマス!」
知恵の木学園のホールに置かれた大テーブルに子どもたちとルヴァ、オリヴィエ、リュミエール、そしてゲストのオスカーが座っている。
「さぁさ、皆さん、戴きましょう、オスカーさんも遠慮なさらずに、なんと言っても貴方のお陰でいい物件が見つかったのですし、いつもオリヴィエとリュミエールが大変お世話になってるとか……本当にありがとうございます」
ルヴァは深々と頭を下げた。「い、いやぁ、俺は大した事は〜」
頭を掻きながらオスカーはリュミエールとオリヴィエに挟まれてバツが悪そうにしている。
「オスカー、どうぞ。安物のシャンパンでお口に合わないかも知れませんけれど」
リュミエールはオスカのグラスにシャンパンを注いだ。
「お前の注いでくれる酒ならドンペリもかなわないぜ……」
とオスカーが言うと、オリヴィエとリュミエールはほぼ同時にテーブルの下で、オスカーの足を踏みつけた。「しかし、なんでクリスマスなのに鯛のお頭付きなのよう……」
オリヴィエは笑いながらピンと張った鯛の尾を持ち上げた。
「お祝い事には鯛のお頭付きがお約束ではありませんか、あー、ヘンでしたか?」 「ま、いいか〜、美味しいしねー」
オリヴィエは鯛の身を突っつく。「よし、俺がターキーを取り分けてやらぁ」
ゼフェルはナイフとフォークをカチカチ言わせて立ち上がった。
「これはランディの差し入れなんですよ、今日のクリスマスパーティには出られないからって」
ルヴァは残念そうに言った。「サービス業だもんね〜海風飯店も予約客で大変なんだろうね。それにしてもターキーとはフンパツしたねぇ、ランディてば」
オリヴィエはゼフェルに皿を差し出しながら言った。
「無理しやがってよ〜」
「ゼフェルの作ってくれたクリスマスツリーも素敵ですよ、上海で一番、綺麗ですよ」ルヴァは窓の外の大きな柿の木にデコレーションされたクリスマスツリーを見る。
「へへへ……、ほら、食えよ、メルもティムカも、滅多に食えるもんじゃないぞ〜」
ゼフェルは年下の子どもたちの皿にターキーを取り分けながら言った。「あっ、オリヴィエ、てめーばっか、一人で食うんじゃねーよ、順番守れよな〜」
「早い者勝ちってね〜、ほーら、いただき〜っ」
オリヴィエはリュミエールの皿に残っていたターキーの切れ端を奪い、口に入れた。「何するんですっ、それは最後に食べようと思ってましたのに〜」
「アンタ、ターキー嫌いじゃなかったっけ?」
「切り分けて下されば大丈夫なんですっ」
「へっへーん、でも早い者勝ち〜。アンタは納豆でも食べてれば〜」
「そうですか……それなら、わたくしも……」
リュミエールはオリヴィエの皿からパイナップルを奪い取り、慌てて口に頬張る。「きゃぁぁぁ〜ワタシのパイナップルぅぅ〜、ちょっと、みんな〜、この残ったフルーツポンチはワタシのだからねっ」
「るせーんだよ、てめーにゃ、この缶詰の汁だけ残しておいてやるぜ〜」ゼフェルはモモの缶詰のシロップをコップに注ぎながら言う。 その横で、リュミエールがパイ包み焼きの大皿を皆に勧めている。
「ゼフェル〜わたくしの作ったこのパイの包み焼き、いかがです? 美味しいですよ」
「へぇ、旨そうじゃねーか、いつでも嫁に行けるぜ〜、どれどれひとつ……げぇぇぇぇぇぇっ〜」
「納豆のパイ包み、お気に召しませんでしたか? ふふふ〜」
「ちくしょ〜てめーの皿に鯛のお頭入れてやる」
「や、やめて下さい〜この腐ったような白い目で見つめられるとわたくし……」
「あ、こらゼフェル、そのお頭は後でかぶと煮にするんだから、乱暴に扱うんじゃないよっ」
「あー、皆さん大人気ないですよ、ほらほらオスカーさんがびっくりしてらっしゃるじゃありませんか、あー、すみませんねぇ、まったく。あー、ゼフェルっ、迷い箸するんじゃありません、お行儀の悪いっ」ルヴァは呆気にとられているオスカーに謝ったり、ゼフェルに注意したり、アタフタしている。その横で、オリヴィエとリュミエールはそれぞれの皿の中の物を奪い合って食べている。
「な、なんだかオリヴィエとリュミエールの性格の形成される原点を見たような気がする……」 オスカーは慣れない箸を持て余しながら呟いた。
◆◇◆
食事の後、ゲームやキリスト誕生の紙芝居を楽しみ、オリヴィエたちは知恵の木学園を後にした。遠くで七時を知らせる鐘が鳴っている。街にはクリスマスイヴをこれから存分に楽しもうとする大人たちが溢れかえっていた。
「ね、まだ早いし、ちょっと寄って行かない?」
オリヴィエは撞球[ビリヤード]場の前でオスカーを誘った。
「そうだな、久しぶりにやるか」「最近出来たんだよ、ここ。中國人のオバサンがさ、香港から来たんだって、広東語は話せるけど上海語はあまり出来ないもんで変な言葉で話すんだよ〜あ、ワタシも人の事、言えないけどさ〜」
オリヴィエはオスカーに説明しながらドアを開けた。
「アイヤー、夢[モン]さん、久しぶりあるね〜」
小太りの愛想のよい女が店の奥から出てきた。
「美美媽媽[メイメイマーマ]こんばんわ〜」
「ふふ、オリヴィエがね、夢の中に出て来た王子様に似てるんですって。だから夢さんなんて呼ぶんですよ、ちなみにあのオバサン、あんな風でも名前は美美[メイメイ]」
リュミエールは小声でオスカーに説明すると、壁にかけてあるキューを適当に選び出した。「夢さん、今、ポケットテーブルしか空いてないケド、いいかね?」
そう言いながら美美は一番奥のテーブルに案内した。
「オスカーからどうぞ」
オリヴィエがサーブをオスカーに促すと、オスカーは手球に軽くキスをしてスポットに置いた。力強いストロークで打つと、いい音がして色とりどりの球がテーブルに散らばった。それをオスカーは確実に落として行った。最初はオスカーが勝ち、次がオリヴィエ、リュミエールはこの二人よりは腕が劣り、ハンデをもらってやっと一回勝ったのだった。
「昨日もまた抗日運動のデモがあったんだってな」
オスカーはそう言いながら、チョークをキューの先に付け、青緑色の羅紗の上にイメージラインを思い描く。反射角度を計りながら、キューボールの右上を撞く。それはクッションに当たりオブジェクトボールめがけて転がってゆく。「少し撞きが甘かったか……」
と打ったと同時にオスカーは呟いた。ポケットに吸い込まれるはずの球は寸での所で止まった。「ああ、虹口の紡績工場でね、陸軍の連中まで出て、大騒ぎだったんだって。よかったよ、知恵の木学園も引っ越しが決まってさ。あの辺り、最近治安がよくないもんね」
オリヴィエはオスカーがミスをしたのを確認するとそう答えた。オスカーはリュミエールに代わると、オリヴィエの横に座った。「ウチの店の近くにも阿片窟が出来たんですよ……表向きは普通のレストランなんですけれど。なんだかこの頃、上海の街も暗雲立ち込めて来た感じがしますね……あっ失敗」
リュミエールはショットミスをすると、申し訳なさそうにオリヴィエにチョークを渡した。「こりゃダメだ」
当てなければならない球が他の球に邪魔されて、撞きようのないのを見てオリヴィエは嘆いた。「無理だな。この勝負、俺の勝ちだな」
オスカーは球の位置を見ながら笑みを浮かべた。オリヴィエはしばらく考え込むと、意を決して、テーブルの端に腰掛けた。チョークをタップに擦り付けると、思い切りキューを立てて握った。「オリヴィエ、いけません、マッセ なんて無理です」
リュミエールはオリヴィエを止めた。「まかせときなって」
オリヴィエは指を立ててブリッジを作り、狙いを定める。
「真剣な顔のオリヴィエもいいもんだな」
オスカーは笑いながら成り行きを楽しんでいる。 今、まさに撞こうとしたその時、美美の叫び声がした。「あーっ夢さん、マッセダメヨーッ」
その声にオリヴィエは狙いを外し、撞きはずした手球をかすってキューはテーブルの青緑色の羅紗を引き破いた。「あちゃ〜」
オリヴィエが叫ぶのと同時に美美はテーブルに駆けつけ、オリヴィエの襟首を掴んだ。「ちょっと、夢さん、このハリガミ見なかったアルカ?」
美美は壁に貼られた【マッセお断り】の紙を指さす。「見たけどさ〜」
「クロス全部ハリカエよ、ベンショウするヨロシね?」
「ひぇぇぇ〜今お金ないんだよ〜来年まで待って、ね、ね」
「来年のコト言う、オニ笑うアルヨ、すぐ払うネ」
「本当にないんだってば〜」「……夢さん、オトコマエあるね、前から目をつけてたアルヨ、体で払うアルヨロシ」
「え?」
「もう今日は店じまいヨ、皆カエルヨロシ、夢さん、奥の部屋行くヨ、今夜はネムラセナイアルカラネ」
「そ、そんな〜」
「ダイジョウブ、中國四千年のヒヤクアル、飲むヨロシ、朝までビンビンよ〜」
「た、たすけて〜」
美美は、オリヴィエのネクタイを掴んで離さない。「仕方ありません、貴方も男なら覚悟しなさい、美美さんよさそうな女性じゃないですか、ビシッと決めておいでなさい」
リュミエールは腕組みをして言い放つ。「でもワタシは若い女の子の方がぁ〜」
「ちょっとシツレイね〜、だれが女アルヨ。これでもワタシ男アルヨッ、美美は源氏名アルネ」
「ぎゃぁぁぁぁぁ〜、たすけて〜リュミエールぅぅぅ、ほらっ、オスカー、【攻】ならアンタ得意でしょ〜っ」美美はオリヴィエを引きずって奥の部屋に消えていった。オスカーとリュミエールは唖然としそれを見送った。
「止めなくていいのか?」
「いいですよ、クロスを破いたのはオリヴィエですから。なんとかするでしょう」
「冷たいんだな」
「わたくしは貴方と二人っきりになるチャンスが出来て嬉しいだけです」
「な……ゴクッ」
「帰りましょう、家まで送って戴けますか?」
「あ、ああ」★ next ★
注
◆マッセ ビリヤードの使う技のひとつ。垂直に近くキューを立てて撞く方法。撞き外しクロスを破る可能性があるので、禁止している店も多い。