◎冬の章◎

 

 二人は撞球場を出て歩き始めた。さすがのオスカーもリュミエールのさっきの思わせぶりな言葉に口数が少なくなる。

(さっきの言葉の意味は……普通ならここで畳み掛けるように口説くんだが、相手はリュミエールだからな、下手に手出しするとまた酷い目に遭うし……いや、しかし今回は俺も感謝されてるようだし、接吻くらいは……とか言ってたし、それになんと言っても今日はクリスマスだ……その気になったのかも知れないし……)

「送ってくださってありがとう、オスカー」
 リュミエールはブツブツ独り言を言っているオスカーに声をかけた。オスカーが悶々と考えながら歩いている間にもう水夢骨董堂の前まで着いてしまったのである。

「リュミエール……」
 このまま黙ってドアを締めてしまうオスカーではない。足で戸を遮るとリュミエールの手を取り、外に引き寄せた。その勢いでオスカーはリュミエールを抱き留める。

「暖かい……」
 リュミエールは珍しく抵抗せずにじっとしている。
「俺はいつだって暖かいんだ……体の奥で愛の炎が燃えてるからな」
 オスカーは、リュミエールの体を少し離し、その唇に口づけようとした。リュミエールはとっさに俯いた。

「わたくし……いい物件が見つかったら接吻くらいしても良いと言いました。約束ですから、あの……でも、わたくしは男ですし……」
「いいんだ、愛に性別は……ない」
 オスカーはリュミエールの顎をそっと持ち上げる。憂いをおびたリュミエールの瞳が水夢骨董堂の街灯に照らし出されて光る。少し辛そうな表情が殊更オスカーをそそる。

「綺麗だ……」
「オスカー……」

(あと三インチ……)

 リュミエールは、観念したのか、ついに瞳を閉じた。オスカーはそれを確かめると、頬にかかったリュミエールの髪を払い、唇を近づけた。

(あと一インチ……ああ、やっと)

 その時、ずっと背後でオリヴィエの声がした。

「リュミエール〜、オスカ〜、よくもワタシを見捨てたね〜っ。必死で逃げてきたんだからっ、あっ、チャック開いてた、やば」
 オリヴィエは息を切らしながら走ってきた。

「あ、あらっ、なーんかお邪魔だった雰囲気……かしらっ……」
 二人の怪しげな雰囲気を感じ取ったオリヴィエはオスカーとリュミエールを交互に見ながら頭を掻いた。

「まぁ、いい。仏蘭西行きの旅費はなくなったんだし、機会はいくらでもあるさ、貸しにしておくさ」
 オスカーは溜息をつきながら言った。
「え? 何? 借りって? あら? オスカー、帰るの? 中で一緒にお茶でもどう?」  帰ろうとするオスカーにオリヴィエは声をかける。

「クリスマスイヴなんだぜ、そんな暇はないね、これから俺を待つレディのとこに駆けつけなきゃならないんでね」
 オスカーはそう言うと後ろ向きで手を振りながら帰って行った。背中が少し寂しそうである。

「相変わらずだねー、さ、リュミエール入るよ、何そんなとこに突っ立ってんのさ〜」
 リュミエールはオリヴィエに続いて店の中に入ると、鍵を締め、ガラス戸の部分に取り付けたカーテンを閉じた。そしてクルリと向き直るとオリヴィエに背後から抱きついた。

「な、何よう〜」
「オリヴィエなら平気なんですけどね、こうして抱きついても……」
 さらに頬をリュミエールは寄せた。

「そりゃ、子どもの時から一緒にいるんだもん、寝るのもお風呂も一緒だったんだもの、空気みたいなもんなんじゃないの? 腐れ縁とも言う〜ははは」
 オリヴィエはリュミエールの腕に抱かれながら答える。

「さっき……見てたでしょう?」 
 まだ抱きついたままリュミエールは小声で言った。

「しーらない」
「オリヴィエ、妬いてるんでしょう?」
「まっさか〜なんでアンタがオスカーとキスして妬かなきゃなんないのさ〜」
「ほーらやっぱり見てた」
「チッ〜、ひっかかったか。別に妬いてるワケじゃないけどさ、なんとなーく邪魔してやりたいと思っただけ」
「ふーん、そうなんですか」
「そういう事。ところでいつまでワタシに抱きついてんの? そんなにワタシが好きなら抱いてやろうか? その気はないけど、リュミエールだったらいいかな」
「またそういう事を言いますか〜、この体勢からだと背負い投げは無理ですけど、脳天逆落としなら出来ますよ〜」

◆◇◆

 大晦日、上海神社は初詣の客でごったかえしている。新年まであとわずか。参道を並ぶ人々の脇には、暖かい飲み物や饅頭を売る屋台や子どもの玩具を売る出店などが賑やかに客を引いている。
 水夢骨董堂としてはこんな物日を見逃してはいられない。寒さをこらえて本日は出張出店なのである。参道脇にムシロを敷き、その上に所狭しとガラクダ類を並べ、それらしい何点かを目立つように置く。オリヴィエはルヴァから奪ってきた渋い茶縞綿入れのハンテンに鮮やかなローズ色のマフラーをして震えている。リュミエールはジャンケンで勝ったので一張羅の黒いウールのコートにブルーのマフラー姿である。オリヴィエほど震えていないのは、出掛けにちゃんと携帯カイロに揮発油を入れて来たからである。

「せっかくこんなとこまで出店だしてんだし、寒い中つったって商売してんだもん〜」
「でも諸葛孔明の羽根扇だなんて……孔明は西暦二百年頃の人ですよ、あこぎにも程があります」
「でも嬉しそうに買ってたからいいじゃないの〜、孫の土産にするんだって、三十円もぶんどっちゃった」
「売る方も売る方なら買う方も買う方ですね、酔っぱらってたでしょう、そのお客さん」
「うん、もうヘベレケだったよ〜」
「バカですねぇ、それなら五十円取れば良かったのに。妙なとこで人がいいんだから、オリヴィエは」
「バカだってぇ〜」
 オリヴィエはリュミエールのマフラーを締め上げた。

「は、はなしなさい……あっ、裏のお茶碗屋さんで仕入れた洋皿、手に取りましたよ、あのご婦人。オリヴィエ出番ですよ」
 リュミエールは接客するようにオリヴィエの脇腹をつついた。仕方なくオリヴィエはマフラーを放した。

「やはり日本のお方は焼き物にはお目が高いですね。これは仏蘭西はブルボン王朝より流出の皿なのでございますよ。この薔薇の絵の見事な事! こんな露天の出店ふぜいには過ぎた骨董、贋作だと? ご冗談でございましょう。わたくし共、こう見えても南京路付近にレッキとした店を構えております。本日は大晦日という事で、わざわざ日本租界の皆様の為に出向いているのでございますよ〜。証拠? ほら、この皿の後ろに【R17】と書いてございましょう。これ即ちルイ一七世殿下のお印なのでございますよ〜」

 オリヴィエは妙に丁寧な日本語で手を揉みつつ皿を勧める。
「オリヴィエ、その【R17】ってただの品番では……」

 リュミエールは客に聞こえぬように仏蘭西語で呟くと、白い目でオリヴィエを見た。オリヴィエはリュミエールにウィンクすると、ツンと客の方に向き直った。

 と、その時、港の方から外国船の汽笛が一斉に鳴り響いた。

「あ、新年になったんだね」
 オリヴィエは客に包んだ皿を渡して礼を言うと、神社の方向に向き直りパンパンと柏手を打った。リュミエールも同じ様にして頭を下げた。

「新年好《おめでとう》。今年もどうぞよろしく、オリヴィエ」
恭賀発財。こちらこそ、よろしくね、リュミエール。仏蘭西に行く夢は当分叶いそうにないけど、頑張ってまた稼ごうよ、今年も上海《ここ》でね」


−冬の章 終−


◆恭賀発財
 おめでとう、今年も儲かりますようにの意味


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