「小黄、ありがとう、茶は私が入れるから、君は下がっていいよ」
 黄は、緑の為に一歩退き、軽く会釈した。

「緑さん、どうぞ。丁度お茶を入れようとしていたところなんですよ……」
 手が小刻みに震えているのを隠して、わざと明るい声で李がそう言ったのは、まだ扉のすぐ向こうにいるかも知れない黄に聞かせる為だった。緑は、その李の困惑したような表情を見逃さなかった。

「アイヤー、老師、お久しぶりです。お変わりになりませんね」
 緑は、そういってコートと手袋を椅子の上に置くと、握手を李に求めた。それは、あたかも旧知の仲を誇示するかのようだった。それがわざとらしい芝居である証拠に緑の目は笑ってはいなかった。

「ご配慮くださったんですね、すみません。突然、私の昔を知る貴方がいらっしゃったので、動揺しました。お恥ずかしいことです」
と李は小声で言った。

「やはり上海での事はお隠しになっていたんですね? 関さん……いや貴方はいつも愛称で呼ばれていましたね。ルヴァさんと。その方がしっくりくるのだが……」
「祖父の命を受けて上海を出た時から、私は関大地という名を捨てました。ましてや愛称のルヴァなど自分でも忘れてしまっていました。今は、李と名乗っています。隠し立てするつもりはなかったのですが、血気盛んな学生たちの気持ちを思うとついつい告白しそびてしまい、今となっては……」

「こんな世の中ですから。よけいな事は言わない方がいいでしょう」
「けれども、私がここにいるとよくわかりましたね?」
「宵闇亭のマスターに聞きました。彼とは親しかったわけではありませんが、オリヴィエたちが出入りしていたのを知っていたので、いろいろと事情を尋ねたんです。それに、書家としての李老師の名は一昨年前に展覧会で、一等を取られてからよく聞きますし」

「そうでしたか……。で、クラヴィスさん、お元気にしていらっしゃるでしょうか? しばらくの間、あの店はバラバラになってしまった知恵の木学園の者たちの連絡先になっていました。私もオリヴィエやリュミエールからのハガキを、何度か転送してもらったりして……けれど、昨年あたりから、それも叶わなくなってしまいました」
 李……関大地ことルヴァは、緑が自分に逢いに来た理由を探るように、オリヴィエという名を出した。

 

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