わたくしはかつて一度だけ誰にも行き先を告げずに家を出た事がありました。その時はもう二度と知恵の木学園には帰るまいと思っていたのでした。
その頃、わたくしは進路の事で悩んでおりました。中学校の成績は大抵、知恵の木学園の園長先生の実子である大地君、ルヴァと愛称で呼んでおりますが、彼が一番で、わたくしが二番でした。
ですから、普通であれば奨学金が支給されて上の学校に行けるのでしたが、日本租界の学校でしたから仏蘭西人であるわたくしには援助しかねると政府からお達しがあったのでした。園長先生は私費で仏蘭西租界にある高等学校に行かせると仰いました。
それがわたくしにとって一番良い事だと、わたくしも喜ぶであろうと園長先生はお思いになっているようでした。
実際、わたくしは勉強が好きでしたし、もしも奨学金がすんなりと支給されていたならば、それを受け入れただろうと思います。けれども私費で上の学校へ行かせて貰う事は、わたくしにはどうしても心苦しかったのです。
知恵の木学園の子は大抵は尋常小学校を出ると近くの工場や商店で働くか、職人の元に弟子入りしたりしていました。成績が良く志のあるものだけが中学へ行きましたが、この時代にあってはそれはとても贅沢な事でした。
わたくしは園長先生の申し出をお断りし、実は……と胸の内に秘めてあった事柄を打ち明けたのでした。
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