水夢骨董堂細腕繁盛記外伝 『花影追憶』 
  リュミエール回想録/冬の君子花
 

 わたくしは絵が好きで時間があると、よく街にスケッチに出掛けました。ある時、外灘の外れでスケッチをしておりますと背後から声をかけられました。身なりのいい紳士で、わたくしのスケッチを覗き込むと、とても優しい目をして言いました。

「ここからだと黄浦江の様子はあまりいい位置ではないね、どうしてパブリックガーデンで描かないのかな?」
 パブリックガーデンから見る黄浦江が一番美しい事は、写真で見た事があるのでわたくしも知っておりました。それはそれは美しい公園だという事も。でもわたくしは決してそこに足を踏み入れるまいと心に誓っておりました。

 パブリックガーデンは英吉利人が同胞の為に故郷の庭に似せて作り上げたものでしたが、中國人の税金と労働力を使ったのに【犬と中國人は入るべからず】と看板を打ち立てたのだと園長先生から聞かされておりました。まだ幼い頃、園長先生の奥様に連れられて所用に出掛けた帰り、パブリックガーデンの前を通りかかった時に、あまりに美しい薔薇が咲いていたので中に入りたいとわたくしは、ねだった事がありました。

 当時、奥様の事をお母様とお呼びしていました。お母様は少し困った顔をして「私は中國人なので入られないのですよ、リュミエールだけ見ておいで」と仰いました。幼心にわたくしは言い知れぬ怒りを感じ、それ以来、決してこの公園には入るまいと誓ったのでした。
 
 わたくしに声をかけてきたその紳士は、自分は画家なのだと言いました。そして小脇に抱えたスケッチブックを見せてくれました。わたくしはその絵の素晴らしさに感嘆し夢中でページを繰りました。その紳士は別れ際に当分の間、パブリックカーデンで写生しているので見においで、とわたくしの頭を撫でました。わたくしは一晩中悩み、次の日、学校が終わるとついにパブリックガーデンに足を踏み入れてしまったのでした。

 公園の中は写真で見るよりもずっと美しく、わたくしはその画家の傍らに座り、スケッチをしたり、憧れの巴里の様子などを話して貰いながら時を過ごしたのでした。 そういう日が幾日もあって、画家は学校を卒業したら自分の助手にならないかと言いました。絵が仕上がるまでは、上海にいるが半年ほどすれば仏蘭西に帰るつもりなので、よければ一緒に来ないかと。

 旅費は言うに及ばす支度金まで出して貰えると言うのです。仏蘭西に行くのが夢だったわたくしにこれ以上の話はありません。

 わたくしは直ぐにでも了解のお返事をしたかったのですが、その頃、上の学校に行くか否かの進路相談に入っていたのと、黙ってパブリックガーデンに出入りしている事、今までお世話になっておきながら、何のご恩返しも出来ずに自分だけ上海から出る事に良心の呵責を覚えて即答できずにいたのでした。

 
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