1927.8.31 Wednesday
 四馬路・美楽園

 廊下の突き当たりの事務室の扉を軽く叩いたオリヴィエは、中にいるはずの緑の返事を待たず扉を開ける。意味深に呼びつけたられたことに対して一言文句を言ってやらないと気がすまない。
「ちょっとカティス! どういう……つもり?」
 語尾まで強気で言えなかったのは、向かい合う形で四脚置かれた応接セットの椅子のひとつに、誰あろうサクリア財閥総裁の姿があったからである。
「ジュリアス様?!」
 オリヴィエの後にいたリュミエールが驚きの声を上げる。ジュリアスは眉間に皺を寄せた険しい顔付きのままで、ごく小さく会釈した。オリヴィエとリュミエールは、慌てて頭を深く下げる。
「そなたたちもオスカーのことで?」
「そうなんです。ここ数日、連絡は取れないし、事務所には怪しげな男が見張ってるしで……」
 オリヴィエがそう言うと、ジュリアスも同意するように頷いた。
 
「さあ、これでメンツは揃った。オリヴィエ、座れよ。ああ、そっちじゃない、お前は俺の横に座れ」
 空いている席は、ジュリアスの隣か、カティスの隣しかない。となれば当然、ジュリアス様の横が良い、と座りかけたオリヴィエに、すかさずカティスが言う。なんでワタシが ! と、文句を言う間もなく、リュミエールがスッと動き、ジュリアスの横の席に座った。そしてオリヴィエに、“ここはとりあえず緑氏の言う通りに……” と目で言った。大人げない態度と知りつつもオリヴィエは、不機嫌極まりない態度でドサッと椅子に座ると、ややカティスの方を向き直り、「説明して貰おうじゃないの さ」と言った。
「ミスター緑、オスカー事で何かご存じならば……」
 オリヴィエとは対照的に、礼儀正しく話し出したジュリアスを、カティスはいきなり止めた。
「失礼。その前に、商談の席ではないのだから、そのミスター緑というのは止めて戴きたい。好きな名じゃないのでね。カティスと呼んでくれないか。私も君の事はジュリアスと呼ばせてもらってもいいかな? そちらの……リュミエール君もね。少々込み入った話になるだろうから、互いに 忌憚なく話せるようそうしよう」
 オスカーの事で、平常心を失っている者たちに、自分だけが何かを知っている余裕を見せつけて、カティスはそう言った。
「承知しました。では、カティス。貴方は何を知っているのです? オスカーは、私の依頼した仕事をしてくれていたが、それが一段落後ついた後、何の連絡もないまま なのだ。口頭で伝えたことをすぐに報告書として提出してくれることになっていたのに、こんなことはかつてないことだ。それに、彼は雇用関係のみでなく、私の最も大切な友でもあるのだ。もし何かあったのならば教えては貰えぬだろうか?」
 普段は冷静なジュリアスの声が思わず荒くなっている。
「オスカーが聞いていたら、涙するようなセリフだな」
 カティスは、軽く笑って、チラリ……と壁際の書棚の方を見た。それがジュリアスの言葉を軽くいなしたように見え、本人のジュリアスがカチンと来る前に、隣に座っていたオリヴィエが、低くドスの効いた声で「茶化すのはやめなよ。アンタにとっちゃ、オスカーは、ただの顔見知り程度だろうけど、ワタシたちは違うんだから」と言った。
「おや、仲間はずれは寂しいなあ。俺だってオスカーとは結構、懇意だったんだぜ。夏場は、長期休暇を取る運転手の代わりに雇ったこともあるし、どこからの依頼で我が社を嗅ぎ回っていた彼を、部下が袋叩きにしようとした時も、俺が止めてやったし。それから 俺の経営するダンスホールの踊り子にちょっかい出した彼を……」
 タラタラと続くカティスの物言いに、オリヴィエがキレかかったその時、リュミエールが「カティスさん。そろそろ本題に入って戴けませんか?」と静かな優しい声で言った。けれどもその目は 、オリヴィエ以上に据わっている。
“こ、怖!”
 オリヴィエが、ピクッと反応する。そして、これ以上、リュミエールを怒らせると知らないよ……と言わんばかりの目でカティスを睨む。ジュリアスの眉間の皺は限界まで寄っている。カティスは、降参したというように両手をあげて、一息つくと、再び話し出した。
「皆でよってたかってそんなに睨むなよ。結論から言うと、オスカーは大丈夫だ」
 その言葉にその場の凍てついた空気が一気に緩む。
「オスカーは、俺が預かってる。その経緯の説明だな。オリヴィエ、リュミエール、お前たち、オスカーと一週間ほど前に城内で婆さんから玉を貰ったよな?」
「う、うん」
「すまんが、ちょっとジュリアスに知ってるとこまでで良いから話してやってくれ」
 カティスは煙草に火をつけると、立ち上がりそのまま窓際へと移動した。
「何だよ……もう」
 オリヴィエは文句を言いながらも、ジュリアスに向かって、その事を話し出した。かいつまんで言うと二、三分程度のたわいもない話は、すぐに終わり、ジュリアス、オリヴィエ、リュミエールは、『で、それがどうしたのだ?』と言わんばかりの視線を、一斉にカティスに送る。煙草一本も吸い終えていない彼は、仕方なしに、それをもみ消すと、そのまま窓際の書庫に凭れた。そして……。
「さあ、お待ちかねの人物のご登場だ」
 カティスは、書棚を足で軽く蹴った。その拍子にカチャと何が外れる音がした。書棚が横にスライドし中から隠し扉が現れる。そこから、オスカーが気まずそうに顔を覗かせた。左肩と頭に包帯が巻かれている。他にも口の端に青痣がある。
「ジュリアス様、ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
 オスカーは深々とジュリアスに向かって頭を下げた後、オリヴィエとリュミエールに「すまんっ」と言った。
「無事だったのならそれで良いが、何がどうしたのか説明して貰いたい。その傷は?」
 ジュリアスはホッとした表情を見せてはいるが、その口調は厳しいものがある。
「何だよ。勿体ぶって書棚の後なんかに控えさせておくことないんぢゃない?}
 オリヴィエは、カティスをまた睨み付ける。
「いきなりオスカーに逢わせたら、どうしたどうしたと、五月蠅くなると思ってな。ま、せっかく綺麗どころが集まって貰える機会なんで、勿体つけてみたんだが」
 カティスは、飄々とした態度のまま、悪びれる様子もない。
「オスカー、座りなよ、ここ空いてるからっ」
 オリヴィエは、さっきまでカティスが座っていた席をポンポンと叩く。カティスは、かまわん、座れよ、と言うように頷く。オスカーは、フラフラした足取りで着座した。カティスは壁際から、まるでこの場を統括するかのように、デスクの 前の椅子に着くと、皆を見渡した。
「二十八日の深夜、手負いのオスカーが俺のとこに転がり込んできたんで保護した。手当をしている最中に気絶してしまったんで、何もわからぬまま一日が過ぎ、やっと目が覚めたオスカーに事情を聞き、俺の判断で、皆さんに集まって貰った……というわけだ。
オスカー、経緯を自分で説明できるか? 何なら俺が説明してやろうか?」
 カティスは、顔色の優れぬオスカーに尋ねた。
「大丈夫、話せます……」
 オスカーは、静かに話を始めた。
 

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