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      優しい風       

「いい風が吹いていますね……」
 そう言いながら友雅の隣に座ったのは鷹通である。
「おや? 内裏の方はいいのかい?」
「これから出仕するところです。大臣に言づてがありましたもので。友雅どのがいらっしゃると聞いて立ち寄りました。友雅どのは、今日は神子どのとお出掛けにならなかったのですね」
「実は私も今日は内裏に用があって、行かねばならないのだよ。でも少し時間があったので、ご挨拶だけでもと思って立ち寄ったのだけれど……」
「もうお出掛けになられた後だった?」
「まあね。けれどすぐにお戻りになるようだよ。神子どのはお疲れのご様子なのでお休みされたようだ。今はお庭をご散策中らしい。で、私はというと白虎も封印し、何かしらのんびりしてしまっているところでねぇ」
「残りの四神はひとつ……いよいよですからね」
 鷹通の口調は固い。
「ああ、ようやく……ねぇ」
 鷹通とは違って、やんわりと気の抜けたような返事を友雅は返した。
「貴方はいつでも余裕がおありになるのですね。ふう……私はずっと不思議でした。何故、私が八葉に選ばれたのか、ここまで戦ってこられたのか……白虎の力をこの手にして尚更……」
 鷹通は目を伏せて呟いた。
「別に余裕ではないよ。あまりに日差しが心地よいのでね、気が抜けていただけだよ。ふふ……それにしても君ほどの人も、ここにきて緊張著しいのかい? そんな事を考えていたなんてねぇ」
「貴方のように文武両道に優れているわけでもありませんし、泰明どののように霊力に長けているわけでもない。頼久のように強くもなければ、永泉様のようにやんごとなきお血筋でもありません。そんな私が何故……」
「ふうん……そういう事で八葉が決まるのなら、イノリや天真、詩紋はどうなるんだい?」
「天真と詩紋は神子どのと共に、この世に来たのです。神子どののお気持ちを支える者としての意味もありましょうし、元の世界に戻る為に共に戦う意義も……。イノリは京に生きる民としてこの地を思う気持ちに長けているでしょう。当代随一の鍛冶匠として己を極めるであろう資質も伺えます。強い意思と若さという点では彼にはかないません」
「私が文武両道に優れていると言ってくれたけれど、すぱぬけて誰よりも……ということはないよ。ましてや、若くもなく……ね。私こそ八葉に選ばれたのが不思議なことだと思ったのだけれど……」
 友雅はそこで、扇をパチンと閉じた。
「八葉の資質なぞ、そんなものは初めからなかったのかも知れないよ。龍神は、ただ単に、たまたま神子の側にいた適当な者を選んだだけかも知れない」
「そのような!」
「そうやって適当に選んだ者がどこまで京を思い戦えるか……一興だろう? ……と、こんなことを言っては罰当たりかな。けれどね、鷹通。皆、自分が八葉に選ばれるべくして選ばれたとは思っていないだろうよ。何故自分が……と思いながらここまで来たのだよ」
「ああ……わかります……そうですね、永泉さまも随分、悩んでおられた。泰明どのも当初は何につけても事も無げにしておられたが、昨今は、何か目に見えぬものに向かって苦悩しておられる風情だ……。イノリも姉君とイクティダールの事で……。皆の苦悩も頭では理解していても、つい……。でも龍神は適当に八葉を選ばれた……などとは思えませんよ。ちゃんと貴方のような人を選ばれたのだから。全てを弁えていらっしゃる、とうてい若さや情熱だけでは敵わない……」
「そうそう。その点では私が選ばれた意味もあるねぇ。熱いだけでは疲れてしまうからねぇ、年寄りも必要なわけだよ」
「では、さしずめ私は貴方の後から皆を引き締める役所といったところですか?」
「言うね、君」
 二人がようやく笑い合った視線の先に、あかねが戻ってきた。
「何故自分が選ばれたのか……という疑問については、神子どのが一番持っていらっゃることでしょうね。違う世界からいきなり……。そう思えば、私の苦悩など露ほどもありません。必ずお守りしなくては……」
 神子の姿を見て鷹通はまた少し固い表情で呟いた。
「今のセリフ、頼久かと思ったよ。くく……鷹通、君、神子どのが好きかい?」
「ええ。尊いお方であるばかりでなく、明るくて愛らしくいらっしゃる。もう嫁いでしまいましたが、妹を思いだします」
「妹君ねぇ……」
「ええ。友雅どののようにはお慕いしておりませんのでご安心下さい」
 鷹通は、友雅が言葉を継げないでいるのを楽しむように、にっこりと微笑んだ。そして、縁側に座っている二人を見つけたあかねは、元気よく手を振りながら駆け寄ってきた。
「鷹通さーん、友雅さん、おはようございます」
「おはようございます、神子どの」
「おはよう、神子どの
「あれぇ? お二人とも、内裏にご用と伺ったのに。あ、さぼってるとか……」
「私は、大臣にご用があり、使いの最中に立ち寄ったのですよ。友雅どのはさぼっておられるご様子ですが、神子どのがお戻りになるのを待たれていたようですよ。一目、お逢いしたかったそうです」
「鷹通、君、そういう事を言うかい」
「おや、お気に障りましたか? さて私はそろそろ失礼いたします。友雅どの、内裏へ使いがおありなら、私で変わりができるものならば、お引き受けいたしますが」
 苦笑している友雅を残して、鷹通は立ち上がった。
「では御願いしようかな。明江の更衣どのの所へ伺ってくれるかな」
「明江の更衣さま? 確か弘徽殿にお仕えなさっていらっしゃる?」
「弘徽殿に上がるのは初めてかい? 私からの使いだと言えば通してもらえるよ」
「は、はぁ……」
「杜若などいかが?……と伝えておくれ」
「かきつばた……それだけをお伝えするのですか?」
「頼んだよ、鷹通〜」
 怪訝な顔をしながら去っていく鷹通を見送ると、嬉しそうに友雅はあかねを見た。
「さて、鷹通が代わってくれたので用は済んだよ。今日は神子どのと過ごせる」
「行かなくて、本当によかったんですか? それに何だか友雅さん、ニヤニヤしてるけど……」
「ああ、近々催されるお薫物合せがあってね。明江の更衣から当日のお召し物のしたくを手伝って欲しいと頼まれていたのだよ。他の方々との兼ね合いもあって、私の意見を参考にしたいとね。で、杜若の色目のお衣装などいかが? と鷹通に言伝たというわけ」
「明江の更衣さんって友雅さんのお親しい人?」
 と気もそぞろな様子で言ったあかねに、くすっと笑って友雅は答えた。
「妬いていて下さるのかな? 神子どのは。帝のお側にいらっしゃる方に早々軽はずみなことはできないから安心しなさい」
「じゃあ、鷹通さんに、言伝たりしてお怒りにならない?」
「そうだねぇ、少し気分を害されるかも知れないけれど、元来はお優しい方だから大丈夫だよ。それに明江の更衣のお側には、他にも愛らしい方々がたくさん仕えていらしてね、さぞかし鷹通には目の保養であろうよ。いずれも積極的な方ばかりだしねぇ」
「友雅さん、鷹通さんにさっきの仕返ししたんでしょう」
「まあね。最近、鷹通も成長したのか、からがいがいがなくなってきたからねぇ。ふふ……でもまあ、口で私を負かそうとしたって十年早いのだよ」
「友雅さんったら意地悪してる時、すごく楽しそうなんだから……」
「では、次は神子どのに意地悪をする番だね。私は、今からでも、鷹通の後を追って、明江の更衣の元に伺った方がいいかな?」
 あかねの頭の中に、華やかな十二単衣の女たちに囲まれて笑い合う友雅の姿が過ぎった。
「い、いやかも……」
「聞こえないねえ」
「う゛……」
 握り拳になっているあかねの手を、友雅はそっと取った。固くなっている手を小指から順に開かせると、その小さな掌の中に自分の手を滑り込ませた。
「今日は一緒にいたいのだけれど、迷惑ではないよね?」
 こくんと頷いたあかねを、友雅はそのまま引き寄せて自分の隣に座らせた。
「龍神は、貴女を愛し結ばれるようにと、私を使わされた、と信じたいものだねぇ……」
「え?」
「独り言だよ……ふふ……」
 友雅は、少しだけ寂しげに笑うと、あかねには、優しく微笑みかけた……。



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