〜天真の災難・頼久のとばっちり・友雅の自業自得〜
天真が、息を切らして八葉の控えの間に駆け込んできた。それ自体は特に珍しいことではない。彼が騒々しく部屋に入ってくるのは常の事であったし、息を切らしているのも、頼久との稽古の後であればよくあることである。しかし、今朝はその顔に困惑と怒りと、そして羞恥を残している。明らかに何か「あった」のである。
「何事だ?」
と天真のただならぬ様子に頼久は尋ねた。他の者の視線も同様に天真に注がれている。
「な、何でも……ない……けど」
「まさか、怨霊がっ」
そっぽを向いた天真に、頼久は太刀を抜かんばかりに言った。
「違うって。何でもないって」
天真の頬は紅い。そしてどことなく心配そうにしているあかねからサッと視線を外した。友雅はそれを見逃さない。
「天真、何もなかったならその慌てようはないだろう? 個人的な事で慌てているのなら別にさほどの心配はしないけれどもね、土御門の屋敷内で、何かあったから慌てているのなら相談に乗ろうじゃないか?」
友雅に淡々とそう言われると、天真は話したほうが得策と思い直して、その場に座り込むと、少し決まり悪そうに話し始めた。
「頼久と稽古をつけた後、汗をかいたんで水をかぶってたらよ……、廊下のとこから誰かが呼ぶんで行ったら、部屋の中に来いって言われて……」
「天真センパイ、誰かって誰なの?」
詩紋は不思議そうに尋ねた。
「誰って、知らねーよ。よくわかんねーけど、たぶん……あんまし身分は高くないって風の女だよ。あかねとかにも、身の回りの世話をやく女がついてんじゃん、そういうの」
「で、その女に言われるままに部屋の中に入ったら、御簾越しに誰かがいて、また呼ぶんで中に入ったら……」
「おいおい、天真……御簾の中に呼ばれるままに入ったって?」
友雅は口元を扇で意味ありげに隠して言った。
「そしたら、結構きれいなねーちゃんが座ってて、それで……」
天真の頬は赤くなっている。こういう事とは極力、無縁を通してきた頼久だが、事態の先が見えてきて、落ち着かない風情である。
「ああ、天真……、皆まで言わなくていい。君もそういうことがあっても一向に不思議ではない歳だからね、私などは十五の頃には……」
「先走るんぢゃねぇ〜。友雅といっしょにするなーっ。何にもなかったんだからなッ」
天真はまだ赤くなりながら声を荒げた。
「おや? 御簾の中にまで入っておいて違うのかい?」
「それで、そのねーちゃんが、気に入ったとかなんとか言ってきて、それでヤバイ雰囲気になって……困るって言ったら、歳は幾つだというから、十七って言ったら、元服も済ませたその歳になって何を今更、初いことを……って言われたから、元服なんかしてねーって、言ったら、おお、後ろ盾なきことは悲しきかな、元服忘れとは哀れなことよのう……とかワケわからんこと抜かしやがったんで、カーテンみたいなヤツ、ぶっちぎって逃げてきた。それと鏡とか箱みたいなのも蹴り倒したかも……」
「それは天真、災難であったな。藤姫様付きの女房には、むやみに天真を誘うものなどはいないと思うので、別の姫様付きの誰かか?……しかし御簾や調度のお品までも壊したとあれば、後で何かお咎めがあるかも知れぬ……」
頼久は気の毒そうにそう言った。
「災難ってねぇ、頼久、普通これは災難とは言わないだろう?」
友雅はにやにやと笑いながら言った。
「いや、災難です。望まざる相手からいきなりそのような事、災難以外の何者でもありませんよ」
と言ったのは鷹通である。頼久、鷹通、天真は打ち揃って深く頷き合った。
「望まざるというけれど、美しい女に誘われたんだよ、嫌じゃないだろう、天真?」
友雅は天真に尋ねた。
「知らねー女だぜ、いくらきれいでも嫌だね、好きでもないのにンなことできるかよっ」
とキッパリ言い切った天真の言葉に、頼久、鷹通はまたもや頷いた。
「いや、だからだね、美しい女は、見た瞬間に、好ましいと思うだろう? それは好きになった……と言うことではないのかい?」
「好ましいと思っても、ンなことするのとはまた別だろう?」
天真たちの視線が、友雅に注がれている。
「…………」
友雅は、今、自分に躙り寄って、些か蔑んだ眼差しを浴びせているメンツをまじまじと見た。どう考えても分が悪い。友雅が退散を決め込もうとした。その時。
「この時代にあっては仕方ないことだよ。だって、赤ちゃんがちゃんと産まれて育つ率ってとても低いんだよ。だから友雅さんみたいに、何人もの人と関係を持つことだって、この時代にあっては、それなりに意義のあることなんだよ。皆が皆、頼久さんや鷹通さんみたくお固い人だったら、平安朝は出生率が低くて滅んでしまうよ」
とキッパリ言いきったのは詩紋である。
「詩紋……君、若いのによく社会の事情ってものをわかっているねえ」
思わぬ助け船にホッとする友雅である。
「天真センパイ、その女の人も強引だったかも知れないけれど、御簾まで倒して逃げ出すなんて可哀想……。据え膳食わねば男の恥って言うでしょう。また今度……くらい言ってあげれば良かったのに」
「し、詩紋……お前、据え膳の意味わかってンのか?」
怯む天真である。詩紋は当然と言うようにこくっと頭を下げた。
「まぁ、皆も詩紋を見習ってだね、少しは柔軟になりなさい……というところだね」
友雅は余裕を取り戻しそう言った。
「で、友雅さんはいっぱいお子さんいるんでしょう? さっき15歳の時には……ってチラッと言ってたから、もしかして一番上のお子さんって僕たちと同い年くらいだったりしてーー」
詩紋のツッコミは屈託がない分、恐ろしい。
「ハッ……先日、偶然お逢いした友雅どのの歳の離れた弟君はもしや……」
頼久の呟きに、いがみ合っていた友雅と天真の手がピタ……と止まった。
「なんだよ友雅。マジでオヤジだったんだな、父親と書いてオヤジと読むんだぜ」
「違うっ、あれは本当に年の離れた腹違いの弟だっ。私の父が年甲斐もなく余所の若い女性に……。鷹通、なんとか言ってやってくれ」
今まで無言で事の成り行きを見ていた冷静な鷹通に助けを求めたのは、友雅の誤算であった。
「確かに私は治部省の人間ではありますが、戸籍に関する事を漏らすわけにはまいりません。特に身分のあるお家柄の方々にはそれぞれ複雑なご事情もおありですから」
「そ、そういう意味で何とか言ってやってくれとと言ったわけではないっ!」
「もうっ、天真くんも友雅さんも止めて。友雅さんがパパさんでも私いいもんっ。今、独身だったら不倫じゃないんだもんっ」
思わず言ってしまってから、顔が赤らむあかねであった。
「バカ、あかね、お前、何言ってンだよっ」
「そうだよ、あかねちゃん、16歳でいきなし子持ちになっちゃうんだよっ。しかも上の子はあかねちゃんと同い年くらいで、後、何人も……、もしかして十人くらい子どもがいたりするんだよっ、昔、流行ったコメディドラマみたいに仲良く暮らしたりできっこないんだからね。それでも、いいのっ」
「う゛……」
「ご安心下さい、神子どの。庶子の場合、神子どのが直接面倒を見るなどということはございません。しかし経済的援助が必要ではありますが、例えば十人お子がいるとして、一人当たり……」
鷹通は頭の中で養育費を計算し出した。
「皆、いい加減にしなさいっ。私には子どもはいないのだよ。実は私は子の為せにくい体質のようでねぇ……」
少し目を伏せて友雅は言った。口元を扇で隠しているのは、それが冗談である証のようで怪しいものがあるが。一同はいきなり静まりかえった。
「……そうでしたか……友雅殿、そうとは知らず軽々しいことを……」
頼久は深々と頭を下げた。
「友雅さん……私もパパさんだなんて言ってごめんなさい」
あかねは申し訳なさそうに俯いた。
「いや、わかってくれればいいのだよ。けれど神子どの、さっきの言葉嬉しかったよ……とっさの言葉だけに、あれは神子どのの本心と思っていいのだね?」
友雅は既にあかねの手を取っている。
「友雅さん……」
あかねがこくんと頷づいたのと、ほぼ同時である。友雅の手はあかねの肩に回り、その細い身体を包み込むようにして、控えの間の奥に設えてあった几帳に誘っていた。
「と、友雅どのッ」
「友雅、てめぇ!」
頼久と天真が同時に我に返った時には、友雅とあかねは、すでに几帳の影……。
「無粋だねぇ、私とて八葉の一人。龍神の神子に手を付けるなどということはすまいよ。ただ、ちょっとね……」
几帳から飛び出た友雅の手があっちに行きなさいと言わんばかりにヒラヒラしていた。
「天真、何か友雅どのが、ああ仰るのなら、何かお話しがあっての事では……」
と鷹通がその場を冷静にその場を納めようとした。
「け、けど……ちょっと……って何なんだよッ」
先ほど何処ぞの女房の御簾を壊してしまったことがあったから、天真にしては我慢強く几帳の前に立って叫んだ。
「だから、ちょっとだけ、なんだよ」
友雅は邪魔くさげに答えた。
「友雅どの、ちょっとだけとは、どのような?」
頼久も心配そうに尋ねた。
「しつこいねぇ、君たち。安心しなさい、ちゃんと寸止めにして置くから……」
友雅の声にあかねの小さな叫びが重なった。
「きゃー、友雅さん、だめぇぇ……あぁン」
「あかねぇぇぇっっ、ああンって言うんじゃねーーッ」
「み、神子どのッ、ご無事ですかッ」
………天真と頼久が几帳の中に踏み込んだのは同時であった……。
今朝の騒ぎなど露も知らず、やって来た藤姫は、几帳の下敷きになって喘いでいる天真、頼久、友雅を見つけて思わず叫んだ。
「まあっ、皆さま。いかがなされたのですか? ……友雅どのまで……一体、これは……あっ、まさか怨霊の仕業? み、神子どの、神子どのはっ!」
「藤姫ちゃん、私は大丈夫……なんだけど」
「ああ、よかったですわ」
「うん、寸でのとこで飛び退いたから。けれど、皆さんがお団子状になっちゃって……」
あかねは、情けなさそうな顔をして床を指さした。
「ぐ……頼久……退けぇぇ、重い〜」
「と、友雅どの、その手を……ああっ、おやめ下さいッ」
「人聞きが悪いねぇ。目の前にあるんだから仕方ないじゃないか」
淡い薄桃色と若竹色を重ね合わせた優美な織物の中でうめきが聞こえる。
「なんだかいつものパターンぽいね、あかねちゃん。今日は僕たちで出掛けようよ」
ちゃっかりあかねの肩に手を置いて微笑んでいるのは、もちろん詩紋である。
「ご一緒いたしましょう」
と鷹通は何事もなかったように言い、詩紋とともにあかねを階に誘った。
「で、でも……」
「冷静な判断を失うとああいう事になります、皆様には頭を冷やす時間が必要です」
鷹通はそう言い放つと、あかねに向かってニッコリと微笑んだ。詩紋もコクコクと頷く。
「かわいそうにね、友雅さんってああいうキャラじゃなかったのに」
「それを言うなら頼久どのもかなり……」
「天真センパイだって、僕たちの世界じゃ結構コワモテタイプだったんだよ」
「そうだったのですか?」
「鷹通さんはそのキャラ崩す気はないの?」
「もちろんです。詩紋こそどうなんです?」
「僕はこのままで……」
「私もです」
爽やかに笑い合う二人の背中をあかねはじっと見つめて思うのであった。
(こわいよー、二人とも〜)
お・し・ま・い
◆◇◆
え? これの……どこが友雅さんお誕生日記念かって……グハッ(吐血)
洸月院TOP 贈り物へ戻る
|