一枚の古い金貨があった。 ディアは、緋色の布を貼ったトレイの上に、そのコインをソッと置いた。 「勝者は何でも願いが叶えられるっていう、あの伝説の?」 ディアは喜々としてそう言うと、改めて、コインの乗ったトレイをズイッと皆の前に差しだした。 「古い記録によると、それは叶えられなかったようですわね、邪な気持ち、我が儘な願い、そういったものは全て叶えられないようですわ」 「迷信だ……と言ってしまえばそれまでだが。私は聖地を去られる陛下が、後に残る我々に交流を図るようにとのご配慮のようなものだと解釈している」 「でもカティス様の時の願いは、ちゃんと叶えられたんですもの。わたくし、陛下と共に聖地に上がって間もなくの頃でしたけれど、カティス様が嬉しそうになさっていたの、覚えていますわよ」 「前は、カティス様が見つけられたんですか? 何をお願いされたのかなぁ?」 「女王陛下交代のある年は、例えて言えば、新芽が芽吹く春のようなものだ。新しい女王の強い力によってあらゆる生命は、逞しく育つ。たまたまカティスの望みはそれに乗じたに過ぎぬ」 「けれども、こういうモノは信じてこそ楽しいのですわよ。女王試験も無事終わりました。新陛下の戴冠の儀式、そして今の陛下が聖地をお下がりになるまで僅かな間……聖地が一番慌ただしいこの時期だからこそ、こう言ったイベントもまた楽しいのですわ。どうぞ皆様頑張って下さいね」 「ディアは些か楽観的すぎるように思う。今の時期は、戴冠式はまだとはいえ、聖地に女王陛下が二人存在する特別な時期。それだけにこの宇宙も聖地も不安定だと思える。コインの事は、古から伝わる行事のひとつに過ぎぬ事を念頭に置いて各々行動するように」 「願いが叶うって、やっぱりホントじゃないのかなぁ」 「聖地の奥まったとこにある大きな樹があるんだけど、カティス様の頃から傷みが激しくて、どうしても元気にならないんだよ。そういうのを治して欲しいって言っても無理なのかなぁ……」 「だからよう、そういう曖昧な願いじゃなくて、物理的な欲求をすればいいんじゃねぇか? もしオレがコインを見つけたら、20875年式のレアなエアーバイクが欲しいって言うつもりだ。なんでも願いが叶うって言った手前のメンツで、どっかから都合つけるだろう、陛下もよぅ」 「でもそれって、我が儘な願いに入るんじゃないのか?」 「本当のところ、どうなのでしょうか? わたくしも、それは迷信の域を出ないものと思うのですが、聖地という場所柄、そして陛下の計り知れないお力を思うと、一抹の期待を寄せずにはいられませんが……」 「そうだな。前回のカティス様の例は、曖昧すぎて、本当のところはどうなのかわからない。もっと以前の事について何か文献は残っていないのだろうか?」 「特に記録はないようなんですよ。さっきディアが言ってたような事例は、公的な文書として残っているわけではなくてですね、口伝えのようなものに過ぎませんし。カティスの場合も、私たちがカティスから直接聞いただけで、記録されていたわけではありませんし」 「前々回はどうだったのさ? クラヴィスとジュリアスも参加したんでしょ?」 「幼かったのでほとんど覚えていない」 「願い……って言ってもさ、ワタシたち、金銭的に困ってるワケでもないし、欲しいモノって手にほとんど入る環境じゃないの。ゼフェルの欲しいっていうエアカーだって、そんなモン、本当はお金を積めばなんとかなるんだろー、陛下に頼まなくてもさ」 「ヴィンテージエアカーのオークションで、大枚はたけば済むんだけどよ。でもオークションにも滅多に出ないんだ」 「ま、待てよッ、ンなこと頼んだってなー、オレは絶対に守んねーからなー」 「あ〜も〜貴方たちの願いは、全部、叶えられっこありませんよ。我が儘な願いはダメだとディアが言ってたでしょう〜」 「おーおー、若いって熱いねぇ〜、あ、若くないのも一人混じってたけど。結構盛り上がってるじゃない。ま、仲間同士のいいコミニュケーションってヤツからしら〜、これがコイン探しのイベントの本来の目的?」 「オリヴィエは判っているようだな。私もこの事は、女王が交代しても残された守護聖同士、互いにコミニュケーションを取り合い、聖地を守ってゆくように……、という意味が込められてのものと解釈しているのだ」 「そそ。ま、あんまし必死になるのも大人気ないってカンジ。偶然、見つけたら、その時はそれなりにオネガイさせてもらうけどさ」 「それなりに……ってどのようなお願いなのですか、オリヴィエ?」 「アタシねぇ、女王陛下のお衣装ねぇ……一度着たいんだけど、あのばさばさの羽、豪華よねぇ」 「……ロザリアが補佐官で正解だったようで……」 「オリヴィエッ、本当なのか、その話しはッ。き、着せ合いとはっ!」 「り、両方だ。当たり前ではないかっ、それにアンジェではなく、もう陛下とお呼びするようにと、通達は出してあるはず。まったくアンジェリークもアンジェリークだがっ」 「結局、オリヴィエまでもああいう態度か。仕方のないことだ……」 「ああ、執務室に戻る。ときにオスカー。そなたがコインを手にいれたら何を願う?」 「ジュリアス様と遠乗りに出掛ける休日が、いつも穏やかな良い天気であるように望みましょうか……」 「いささか、個人的すぎるきらいはあるが、まずまずの望みと言えよう……」「はっ」
◆◇◆ ……結局、コインの見つからぬままに最後の女王謁見の日が来た。 いつもは、薄絹のカーテンの奥に控えているだけの女王が、今日は、ディアよりも前に立っていた。 「クラヴィスはどうしたのでしょう?」 「申し訳ございません。只今、館の方に使いの者を……」 「皆の挨拶は、済んでいる。そなただけだ」 女王は一歩前に出て、微かに礼をする。この時に、ねぎらいの言葉を掛け合う場合もある。だがクラヴィスは立ち上がり、女王の前から下がろうした。始終無言である。 だが、その時、無表情だったクラヴィスの目に一瞬の戸惑いが走った。側にいたディアはそれに気づいた。 「クラヴィス、なにか?」 「コインが……」 「まぁ、見つけたのね! クラヴィス、願いはあなたのものですわよ。陛下にお願いをお伝え下さい。人払いをいたしましょうか?」 またすぐに無表情に戻っているクラヴィスをよそに、ディアははしゃいだ声をあげた。他の守護聖たちは、一応は、無言で事の成り行きを見守っていた。 「いや……それには及ばぬ……」 「ではクラヴィス。あなたの願いを陛下に伝えて下さい。代々の女王の力を借りて、その願いが心正しきものであるなら叶えられるでしょう」 「私の願いは……」 「願いは……陛下のこれからの人生が幸せであるように……」 パタン……という扉の閉まる音で、残された皆は我に返った。 「ク、クラヴィス様……カッコイイ〜」 「クラヴィス様ってば、決めちゃったってカンジだったね」 「ンなとこにあるとは思わねーもんな。あ〜オレのレアバイクゲットの夢は消えたぜ〜」 「んもぉ〜陛下ったら、自分の肩先に置いとくなんて、お茶目サンだねぇ〜、ゲッ、まだ陛下の御前だった……」 「ディア……どうしましょう、大変……」 「陛下どうなさったの? 何が大変なんですの?」 「……伝説のこのコインはその力の封印を解き放ち、聖地に残る代々の女王の力を寄せ集め、もちろん、わたくしの力も少し……そして、その願いを叶えてしまった……」 「クラヴィスは、陛下の人生が幸せであるように、と願ったんですのよ、どうしてそれが大変……あ!」 「わたくしの人としての幸せは……クラヴィス……クラヴィス」
◆◇◆ 雨降って地固まる……の諺の通りに、一週間後、元女王陛下アンジェリークと、元闇の守護聖クラヴィスは、二人揃って聖地から去って行った。 突然の守護聖交代に付きまとう悲劇も、この場合起こらなかった。クラヴィスから離れた闇のサクリアは、まったくもって上手い具合に、とある辺境の星の公園に捨てられていた生まれたての赤子の上に留まったのである。先刻まで己に宿っていたサクリアの行方を追ったクラヴィスは、このベンチの上で空腹に泣いている赤ん坊を、そっと拾ってくるだけで良かったのである。 「めでたしめでたし、ってか。なんか調子良すぎて面白くねぇ。オレん時とエライ違いじゃねぇかよ」 「それにしても、あの古ぼけたコインにそこまでの力があるとは思いも寄らなかったぜ、まったく」 「クラヴィスの願いは、とても純粋でだったから、ああいう結果になったのでしょうね」 「クラヴィス様ってば、最後まで無口だったけど、シアワセそーだったですよね」 「そーそー。自分でもどういう態度取っていいのかわかんなかったみたいでさ、目だけで困ったよーな嬉しいよーな表情してんの、思い出しても可笑しいよ」 「ジュリアスもよ、納得いかねー顔しながら、幸せになるがよい、とか言ってやがんの。あれちょっと寂しかったんじゃねーか」 「あ、僕もそう思う。ジュリアス様、この子の事は安心してまかすがいい……とか言いながら寂しそうだったよね」 「不思議なものですね、こんなに小さな体から、クラヴィス様と同じサクリアを感じます」 「ところで、ジュリアスのヤロー、どうしたんだよ。守護聖の定例会議だからって、こんな赤ん坊にまで召集かけといて、わかりゃしねぇのに」 「わからずともよいのだ、その場の雰囲気を感じとることくらいは、その子にも出来よう。職務怠慢な守護聖には決してさせぬぞ」 「例のコインは、ロザリアの管理の元、宮殿の奥深くで、次代の女王交代があるまで封印されることになっているそうだ、一連の騒動は終わった。皆の者も心を引き締めて執務に励むがよい」 「今度、あのコインにお目にかかるのは、いつでしょうね……」 「前例から見て、聖地の時間にして五年から十年くらいでしょうかね。あ〜私はいないような気がしますねぇ〜」 「何言ってるのさ。ワタシはいるよ、絶対! それでぇ、コイン見つけて、クラヴィスみたいに、アンジェリークに言うのさ、アンタのシアワセ祈るよ……ってね。んでもって、アンジェとラブラブエンディング〜」 「オリヴィエ様〜、アンジェも同じ気持ちならいいけど、違ったら、最悪だよね。アンジェったら別の誰かと出ていちゃうかも」 「だからアンタはまだお子さまだって言うんだよ、アンジェが本当に好きな人と出ていく事ができたら、最高じゃない。好きな人のシアワセが一番、そういう清い心にコインの力が働くんだから。たとえアンジェと出ていくのがジュリアスだったとしても、ワタシは心からおめでとうを言うね!」 「な、何をそっ、そなたは言っているのだ、この私が、アンジェ……いや陛下とっ」 「あ、そうかぁ、どんなに相思相愛でも、アンジェの力が尽きる時にいないと無意味なんだよなぁ、やったー」 「おーランディ、おめーにも勝算あるぜ。残ったモン勝ちってヤツ」 さて……次にこの伝説のコインの封印が解かれたのは、聖地時間で七年後の事であったが、それは、また別のお話…………。 |