第三話
「はーい、ジュリアス。今からちょっとアンタの執務室に行こうと思ってたんだけど」
オリヴィエは執務室棟の回廊で、ジュリアスを呼び止めた。
「そうか。だがあいにく、謁見室に客人を待たせているのだ」
「客人っていうのは、ウォン財閥の総帥だろ? 庭園に出店を出す計画があるらしいって、あれってマジ?」
「さすがそなたは情報が早いな。きちんと決まってから皆には言うつもりであったが。今回の女王試験は聖地で行われるから、飛空都市のように一般の店舗がないからな。年若い女性は細々とした買い物が好きだという。それで女王候補たちが日の曜日に、些かでも楽しめるのならば良いことだろう」
「年若い女性でなくても、そういう買い物はワタシも好きさ。そこまで気を回すことが出来るなんてさすが……だねぇ」
「いや、これはウォン財閥からの申し入れなのだ」
「へぇ……って感心している場合じゃないねぇ、女王試験の事、どうして洩れてるわけ? ウォン財閥の情報網ってそこまでスゴイの」
「どこでどう入手したのか……情報源を突き止めねばならぬが、陛下自身も、その申し入れには賛成なさっているので、面談の上、きちんとした計画ならば協力者として迎え入れたい、と仰っている」
「陛下ってば、自分も楽しみにしてるクチだね、まぁ、ワタシにとっても嬉しいことさ。でさ、謁見が終わって、人物的に問題ないようだったら、教えてよ。後で、コンタクト取りたいんだ。用って言うのは、その事を伝えたかっただけ。個人的にちょっと取り寄せたい宝石とかあるんだ」
オリヴィエはウィンクして見せた。
「承知した。では」
ジュリアスは、オリヴィエにそう言うと謁見室に向かった。
「ジュリアス様がお越しになりましたーー」
と扉の前で女官が述べ、重い扉が開く。椅子には座らず床に跪いている男がいる。緩くウェーヴの掛かった髪を白いリボンで束ねている。着ているスーツも変わり織りの白いスーツである。
「チャーリー・ウォンでございます。この度の謁見、真に光栄でございます……」
(随分、大きくなった……よかったな)
ジュリアスは傅いたままのチャーリーの背中を見て思った。あの時の少年が、そのままウォン財閥の総帥として成長したことが、嬉しかったのだ。
後は、彼がどういう人物に成長したかが問題である。大抵はその顔付きや眼光を見れば判る……とジュリアスは思っている。
「ご苦労であった。顔を上げて座るといい」
ジュリアスは、チャーリーと向かいあう位置にある椅子に腰掛けた。おずおずと立ち上がったチャーリーは、やや顔を上げたがまだ視線はジュリアスと合ってはいない。
「失礼して、座らせて戴きます」
チャーリーは遠慮がちに椅子に身を落とし、ようやくジュリアスと向かい合った。幼い時の面影を残す顔の輪郭に、ジュリアスは微笑んだ。だがその瞳は、あの時の少年のものよりも、ずっと冷たく鋭く、そして力強い。それは決して悪いことではない。きちんと成長した大人ならば、当然のことである。
チャーリーの方は、ジュリアスの事を覚えていないらしい。というよりもあの時の秘書が光の守護聖様だったとは思いもつかないのだろう。
「この度の出店の件、ここに改めまして企画書を持って参りました、それでですね…小間物の出店の他に、出来ましたなら、庭園にもう一軒、カフェを造りたく思うのですが……つきましては………あ、あの……どうかいたしましか? 何かご無礼な事を……」
チャーリーは、自分を見つめている光の守護聖を不審に思い、慌てて言った。
「いや、失礼した。懐かしかったもので、つい」
「は?」
「またいずれの時にか話すこともあるだろう。よい、企画書の件、続けてくれ……」
ジュリアスはそう言うと、ニッコリと笑った。その笑みに気が緩んだチャーリー・ウォンは、水を得た魚のように蕩々と計画を話し出したのだった。一生懸命話しているうちに、主星標準語が崩れて訛ってゆく、その様子をジュリアスは楽しげに聞いていた。
「……ええ計画かと思います。聖地の皆さん同士コミニュケーションもとれますし」
「しかし、それではそなたの方の利益率が薄い……いやむしろ赤字では?」
ジュリアスはチャーリーを試すように言った。
「はい……確かに。でも、聖地に我が社のカフェの支店が、あるというのは、宣伝効果バツグンなんです。たとえ聖地店が大赤字やったとしても。損して得取れと申しまして……」
「その、損して得とれ……というのは、ウォン家の家訓なのか?」
ジュリアスは、笑いながら尋ねた。
「あ、いや……そういうわけでは、祖父はそういう考え方のようでしたが、父親の方は、損したらその倍取り返せ……みたいなごうつくばりでした」
「そなたの企画、よく判った。陛下もこの度の企画については賛成なさっており、全ての決定権は私に一任されている……」
ジュリアスはゆっくりそう言うと、再び企画書に目を落とした。
「はい……あの、それで……」
チャーリーが少し身を乗り出して不安そうに尋ねた。
「企業としてのウォン財閥には、何の問題もない。二、三、その情報収集の仕方に強引なところがあるようだが……日の曜日の出店は、そなた自身がするというのは真か?」
「はい。聖地での仕事ですから、我が社で一番信用の於ける、誠実で責任感のある人物を選びましたっ」
チャーリーは大真面目でそう言った。
「そうか……その言葉、このジュリアス、しっかりと聞かせてもらった。では、企画書の件、早急に進めるように」
「ありがとうございますっ。では、さっそく戻りましてっ」
チャーリーは立ち上がると、ジュリアスにペコペコと頭を下げながら、退室した。謁見室を出たとたん、チャーリーは、ガッツポーズを取った。
「やった〜、悲願成就やーー、こんなに早う聖地と直で商売できるなんて〜。いや〜、チャーリー大したモンやー、すごいぞ、すごいぞ、チャァーリー、やったねやったね、チャァーーリ〜」
扉の前に立っていた女官は、彼の呟きに眉を潜めたが、チャーリーの方はおかまいなしである。
「なんや光の守護聖はんって怖いお人やと思ってたけど、そうでもないやん。大企業の総帥らしく、ビシィィィ〜とオトナなムードで決めるつもりやったのに、なんか調子狂たなァ。っーか、あんまし偉大な人の前やと、しょーむない見栄なんか効かへんって感じ? それにしても始終ニコニコしてはったけど、やっぱり俺の訛りが、ヘンなんかなァ。まぁええわ、はよ帰って、カフェ ド ウォン聖地店の準備しやなアカン。あ、しもた。あの光の守護聖はんの好みの飲み物、聞いといたら良かった。ごつっうハイソそうな人やったし、口に合う飲み物あるかなァ……戻って、聞いとこ」
チャーリーは振り返った。……が、そのすぐ後ろにジュリアスがいた。
「コホン……独り言にしては声が大きいようだな」
「ももも、申し訳ありません、嬉しくてつい……」
チャーリーは気まずそうに頭をペコンと下げた。
「飲み物は、エスプレッソを用意して貰えると嬉しいのだがな」
「は、はいっ。あの普通のでよろしいですか? 金粉とか真珠の砕いた粉とか入ってたほうが……」
チャーリーにしては気を利かしたつもりである。
「ごく普通のでよい。そなたのカフェに行く日を心待ちにしている」
「はっ」
チャーリーは深々と頭を下げて、ジュリアスが通り過ぎるのを待った。ジュリアスの方は心の中で、あの日チャーリーから手渡された名刺の事を考えていた。
(執務室に戻ったら、探さなくては……)
それを使った時の、チャーリーのリアクションを思うと、可笑しくて自然と笑いが込み上げてくる。
(なんや、また笑いを堪えてはるみたい……俺やっぱりヘンなヤツとか思われてるんやろか……それとも、聖地ってよっぽど笑いに飢えたトコなんやろか……そやなァ、お固そうなトコやしなァ……。そやけど、笑ろてくれはったていうことは、受けたちゅーことやん。よかったンとちゃう?)
ジュリアスの背中を見て、チャーリーはしみじみと思った。
さて、主星に名だたる大企業ウォン財閥の、現段階の社史の最終頁には、『カフェ・ド・ウォン 聖地店 オープン』と記されている。たった一行アッサリと。『ウォン印のヒヒン軟膏』から、ここに至るまでのエピソードは、総帥であるチャーリーすらも、まだ知らない部分がある。彼が、それをジュリアスの口から直接聞くことになるのは、まだもう少し先の事である。
しかし、それらのエピソードは、社史に公式に記載されはしない。恐らくはウォン家の当主に、潤色されつつ言い伝えられるのみであろう……。
おわり
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