『誰も知らないウォン財閥の社史』
第一話
第一話 ジュリアスが、主星の片田舎にあるその町を訪れることにしたのは、そこが名馬の産地だったからである。 買い付けたばかりの一頭に乗り、共もつけずに遠乗りに出てしまったことは、久しぶりの休暇に、彼にしては珍しく浮かれていた証拠であった。光の守護聖としてはもちろんのこと、学業もこなさなくてはならない年頃の彼にとっては、何ものにも囚われずに一日を過ごす のは、夢のようなことだったのだから無理もない。 ジュリアスは、心ゆくまで草原を駆けた。そして帰路に着こうとしたその時、馬の様子がおかしいことに気づいた。馬は、僅かだか足を引きづっているようだった。なんとか木陰まで歩かせて休ませたが、そこから先、一向に動こうとしない。 ジュリアスが、途方に暮れていると、行商人と思しき大荷物の男が、馬を引いてやってきた。 「どうしたんや?」 男は、この地方の言葉でジュリアスに尋ねた。 「どうも馬が足を痛めてしまったようなのだ」 「あんた、えらいエエ服着てるなぁ。ははん、町に馬の買い付けに来た、ええしの子やな」 男の言葉の大意はわかるものの、正確な意味がいまひとつわからないジュリアスは何と答えていいか戸惑った。 「ちょっと見せてみぃ」 男は、屈み込んで馬の足を丁寧に触り始めた。 「ああ、ホンマや。後ろ足、熱持ってるな。ええ馬買うたから、嬉しなって乗り回したんやろ」 男は、ニヤリと笑った。日に焼けたがっしりとした体と、人なつっこい笑顔だった。 「ええ薬あるんや、この程度やったらすぐ効くで」 男は荷物の中から、小さな容器を取りだした。 「それは?」 ジュリアスは訝しげに尋ねた。 「ここら辺が名馬の産地なんは、エエ草があるからや。この地方の草を食べて育った馬は、足も皮膚も強い。特にこの薬の原料の薬草は、動物の炎症に効く。とりわけ馬にはよう効くんや。ちょっと独特の匂いがするやろ。これが馬にとっては、リクライゼーションちゅうんか、ごつっうリラックスするみたいでな」 男は、そう言って自慢げにその軟膏の入った容器を、ジュリアスに差しだした。 「……ウォン印のヒヒン軟膏……?」 ジュリアスは、その蓋に貼られた粗末なラベルを読み、クスッと笑った。 「笑わんといてぇな。判り易ぅてエエやんか。ウォンいうのは俺のことや。俺が作って売ってるんや。地元では、そこそこ売れてるメッチャエエ薬なんやで。主星全域で売りたいんやけど、いろいろ難しい問題もあってアカンねん」 ウォンは、ジュリアスの馬の足に薬を塗ってやりながら言った。 「見ててみぃ、そやな、この程度の炎症やったら小一時間も経たん間に効いてくるでぇ。それまで、ちょっとここで待っときぃな」 ウォンは、木陰の切り株に座るようジュリアスを誘った。 「ああ……」 「馬がちゃんと走れるようになったか俺も確かめたいし、アカンかったら、俺の馬をアンタに貸したるさかい安心し」 「ご親切、ありがとう」 ジュリアスは素直に礼を言った。しばしの沈黙が二人を包む。ジュリアスは先ほど、ウォンから渡された薬の容器を、手持ちぶたさに掌の中で転がしていた。 「ホンマ、ええ薬なんやけどなァ。なんとかならんかなァ」 とウォンは項垂れて独り言を言った。 「何故、主星全域で売れないのだ?」 「それに使う薬草は、この辺りでしか採れへんねん。栽培してるのは、俺の住む村だけでな。で、この薬の処方と権利を売ってくれ言うて、大手薬品会社が来よってな、けど、断ったんや。そしたら販売ルート阻まれてしもうた。口コミで、ちょこちょこ都会から、注文も入ってたんやけど、配達に使こうてた運搬会社が軒並み、運賃値上げしよってな。コストかかってしゃーないようになってしもうたんや。その上、薬品会社、コレに似た軟膏を発売しよったんや。けど、あっちのはパチモンや。俺のは化学物質なんかいっさい使こうてないんやで」 「卑怯なことをするのだな……」 それが自由経済というものだ、ということはジュリアスにもわかってはいる。目の前で落ち込んでいる男にかける言葉は、とりあえずはそれしか思い付かなかったのだ。 「聖地の光の守護聖様は、馬好きやねんてな。どこのメーカーの薬使ってはるんやろなァ。どこのでも負けへんだけの自信はあるのになァ。聖地御用達ってどうやったらなれるんやろ。知ってる?」 と何気なく言われて、一瞬息を飲んだジュリアスである。 「聖地で使用するものは、飛空都市の流通ルートを利用している。まず書類を取り寄せて提出。その審査の上、厳選されて、そこから製造業者と飛空都市側の代表との間で面談が行われて、また審査の上、契約がなされる……はずだ」 首座の守護聖といえど、まだ年若いジュリアスは、聖地の経済的な事までは掌握していない。だが聖地と飛空都市、主星を結ぶ経済ネットワークの成り立ちくらいは知ってはいる。 「さすが、ええしのぼん、よう知ってはるわ。よっしゃ、こうなったら、イチかバチか直で聖地に乗りこんだるでぇ〜」 ウォンは項垂れていた顔をパッと上げ、ジュリアスを見ると、親指を立てて陽気に笑った。 「上手くいくと良いな」 ジュリアスが釣られて微笑みを返したその時、彼の馬が、嘶きと共に、痛めた足で地面軽く蹴った。 「効いたみたいや。ゆっくり走ったらなんとか町まで行けるやろ。町に着いたら、しばらくの間は、日に三度、この薬塗ったってや」 「すまなかった。この薬の代金を払いたいのだが、今はあいにく持ち合わせがないので、これで……」 ジュリアスは、持っていた鞭を差しだした。持ち手に小さなラピスをはめ込んだ特製のものである。 「そりゃまぁ、足痛めた馬やから鞭なんか使われへんけど……うわ、ごつっうエエ品やんか……ああ……あんた」 ウォンは、優しい目でジュリアスを見返した。 「ほとんど使うた形跡あらへん。バンバン叩きまくって走らせてたアホボンとは違うんやなァ。こんなエエモン、貰いすぎや。薬の代金はいらんし、そやな、自分の住んでるとこに帰ったら、この薬のこと褒めといて。アンタの所属してる乗馬クラブやったら、金持ちも多いやろ、 多少送料がかかっても平気やろ。ドーンとまとめて注文したって。へへ、損して得取れちゅーてね」 ウォンは鼻の下をこすって照れたようにそう言った。 「わかった……」 ジュリアスは、ウォンに向かって頭を軽くさげてから、馬に乗った。 「気ぃつけてな、さっきのこと、期待せんと待っとくし。へへへ」 ウォンは大声で去ってゆくジュリアスの背中に声をかけた。 ウォンの元に、飛空都市より聖地御用達認可の通達が届いたのは、それから三年後のことであった……。 |