レアや……と呟いた後、微笑みを浮かべたまま、チャーリーはまた目を閉じた。何がレアなのか、そして何より体の具合はどうなのか、問いかけたい衝動が走ったがジュリアスはそれに耐える。数分して今度はまさにカパッ……という感じでチャーリーの目が見開かれた。
「ジュリアス様や……ホンマに……、ジュリアス様やん……」
小さな声ではあるがはっきりといつもの調子でチャーリーは言った。
「そうだ、私だ」
ジュリアスがそう答えた時、俄に背後が騒がしくなり、先ほどの看護師と医師が入ってきた。
「心拍数と血圧が上昇してきましたのでね……おお、起きられたましね。診察しましょうか。少しの間、外に出て貰えますか」
そう言われてジュリアスは廊下へと出た。しばらくして医師が出てくる。
「大丈夫ですよ。体の機能も順調に回復しています。事故の事をザッと説明しましたが、精神的にも落ち着いておられるようだ。二日ほどはこのままの状態で様子見し、その後安静に出来る状態でなら主星に戻ることも可能ですよ」
「怪我の具合はどうでしょう?」
「お若いのですぐに治るでしょう。帰りのシャトルの中で集中治療を受けられるといい。ですが主星に戻られた後は、外科や内科だけでなく心療内科などトータルケアが必要です。こんな大きな事故ですからね、むしろ心的外傷後ストレス障害の心配があります。時間の許す限り側についあげて下さい」
医師の言葉にジュリアスは深く頷く。医師が去った後、ジュリアスはチャーリーの側に戻った。少し枕の位置を高くして目を開けているチャーリーがいる。ジュリアスが入ってきたとたん笑顔になるが、やはり弱々しい。
「ジュリアス様、お医者さんからシャトルの事故の様子、簡単に聞きました。えらい大きい事故やったみたいで……。心配かけてしもて……こんな所まで迎えに来てもろて……申し訳ないです」
途切れ途切れに息継ぎをしながらそうチャーリーが言う。
「無事で……」
良かった……と言葉を繋げるつもりだったジュリアスだったが、思わず言葉に詰まり、ふいに涙が目に溜まったことにジュリアス自身も驚く。ホッとしたら勝手に涙が出たのだった。ジュリアスは俯いた後、チャーリーの胸の辺りに思わず顔を伏せた。
「わ……わわわわわ。な、泣いたらアカン、泣いたらアカン〜」
驚いたチャーリーは、精一杯の声でそう言う。
「ジュリアス様、堪忍。俺、無事やったし、泣かんといて。そやないとアカンやん。俺はジュリアス様を笑かす天命を背負った男やのに、泣かせたらアカン」
チャーリーはジュリアスの頭をそっと撫でながら言った。
「そうだ。私は、お笑い目当てでそなたの側にいるのだぞ。心配させたり泣かせるような事など言語道断だ」
ゆっくりと顔を挙げたジュリアスはわざと怖い顔をしてそう告げる。クスクスとチャーリーは笑って「ハイッ、チャーリー・ウォン。肝に銘じます」と敬礼して言った。言葉とは裏腹にその声は普段の彼の半分にも満たない音量で、途切れ途切れに掠れている。そのギャップが
不憫でもあり、可笑しくもある。
「本当に無事で良かった」
改めてジュリアスはそう言った。
「そやけど、怪我してしもて。この頬の傷、男前が台無しやん。アフターケアをちゃんとしたら跡は残れへんってドクターは言うてはったけど」
「命さえあればそのような傷などどうということもない」
「そうだ、チャーリー、そんな傷のひとつやふたつ、愛の妨げになどならぬ。屁の突っ張りにもならぬ」
とジュリアスの声色と口調を真似るチャーリー。
「……そのような引用は私はせぬが、今日は許そう」
久しぶりに聞くチャーリー節にジュリアスは目を細める。
「報道を見聞きしていない当事者ほどイマイチ事故の規模が判ってへんのやけど、会社の連中とかにも随分、心配かけたんでしょうね?」
ふう……と息を継ぎながらチャーリーは話を続ける。
「ああ。速報が出で、慌ててブレインルームから室長が呼びに来てくれたのだ。その後、すぐにGNNで特番が始まって……」
ジュリアスは事故の第一報から今に至るまでを、チャーリーに問われるままに話した。
訥々と語るジュリアスにチャーリーは相づちを打ちながら静かに聞き入っている。一通り、話し終えたところで、チャーリーが、「あ、そうや、俺、事故の数時間前……ジュリアスにメールしたんですけど……」
と言った。
「ああ……それならばこちらに向かうシャトルに乗った直後に受け取った。時間差が随分ふったようだが。ガンマ域に入ったけれどモニター越しの通信はまだだと……それであろう?」
「ええ。その後、もうそろそろエエかなーと思って通信ブースに行ったんですよ。でも手帳を座席に忘れてきたことに気づいて引き返したんです。仕事の事で頼んでおきたいことがあったし。で、引き返してきた直後、一回目の揺れがガターッとあって……その時、すっ飛んでこんな怪我をしたんです……。機内の照明が警告を示す赤いものに変わって、アラームが鳴り響いて……」
チャーリーは、そこで目をギュッと閉じた。
「座席が救命カプセル化するから動くな……って警告アナウンスが響いてました。俺はその時、怪我して床の上で悶絶してたんですけど、目の前の誰かの座席から蓋みたいなモンが現れて、繭みたいに包み込んだかと思うとカプセルになって、座席の下の格納スペースに吸い込まれて行ったのを見たんです」
「確かそこから機外へ続くパイプを通って放出される仕組みなのだな。GNNのニュースで説明していたぞ」
「俺も座席に戻らなアカン……と必死で這うようにして戻ったんですよ。シートベルトを締めたとたん、もうカプセルの蓋が迫り出して来て、痛いやら怖いやら何がなんやら……。完全に中に閉じこめられたと思った瞬間、ガクンと揺れて、後は意識が遠くなってました……。俺ね……やっばり強運ですよ。もしあの時、手帳を取りに引き返せへんかったら、座席に戻ることはでけへんかった。通信ブースはシャトルの前方やったから戻れたとしても脱出に間に合ったかどうか……。さっきドクターから聞いたんですけど、記録によると俺の救命カプセルが出た直後に三度目の致命的な爆発が起こってシャトルの前部は大破したらしいです」
いつものような派手な身振りも面白おかしい表情もなく、淡々と話すチャーリーに、ジュリアスは彼が無事だったことに心から安堵する。
「助かって良かったなあ……俺。またジュリアス様に会えて幸せや……」
チャーリーは、しみじみとそう言った後、少し妙な感じで笑って目を伏せた。
「ん? どうした?」
ジュリアスはそれが気になり問う。
「ふへへへ……へへ」
いつもの陽気さと力強さがない分、よけい意味不明な笑い方である。
「なんなのだ、その笑い方は?」
「俺……ものすごーー珍しい、エエもん見て……コホッ、コホッ」
チャーリーは掠れた声を整えるよう咳払いをする。
「珍しいもの? そういえば、先ほど目を覚ました時、レア……と言っていたが?」
「さっき……幻覚を見たんやと思ってたんですけどね……。そや……俺の携帯、ありませんか? 上着のポケットに入れてたから無事やと思うんですけど……」
そう言われたジュリアスはベッドの横にあるロッカーを開けてみた。チャーリーの上着がかかっている。その内ポケットを探ろうとした指が一瞬、止まる。ダークな色合いのスーツなので一見して判らなかったのだが、そこには大量の血糊
べっとりとついていた。その時の様子にジュリアスは心を痛めつつ、そっとチャーリーの携帯電話を取りだし、手渡した。
「画像を撮ってあるのか?」
ジュリアスが問うとチャーリーは曖昧な返事をした後、携帯を操作してジュリアスの方に向けた。
カシャッ……とシャッター音がした。
「私を……撮ったのか?」
何故、チャーリーがそうしたのか判らぬまま、ジュリアスは彼の返事を待つ。
「うん、OK。バッチリや。はい、ジュリアス様」
チャーリーは嬉しそうに言いながら撮ったばかりの画像を見せる。
「あ……」
ジュリアスは小さく叫んだ後、そこに写る己の姿に愕然した。
「髪はボサボサ……というよりゴワゴワ。無精髭が生えてて、スーツは皺くちゃ、ネクタイはひん曲がってる……世にもレアなジュリアス様の姿……。バカにしてるのと違いますよッ。いつもの完璧な美貌に退廃的なムード
が加わって、ものすごーーーーワイルドでカッコエエ〜」
心からうっとりとチャーリーはそう言っているが、ジュリアスは渋い顔をしたままだ。
「そなたの事故の知らせが入って、とるものもとりあえず政府の一便に飛び乗ったのだ。その後は救命カプセル回収の知らせを待っていて、身繕いなどする余裕がなかった……」
「……そんな思いをさせてしもうて……。そやけど、ホンマに素敵や」
チャーリーはジュリアスの頬から顎にかけての辺りに触れた。
「伸びかけた髭がチクチクする……うへへへへ〜。ああ……俺、怪我さえなかったらその無精髭で、体中、ジョリジョリして欲しい〜」
「いい加減にせよ。いくら褒められてもこのような有様で人前に出ていたなど情けないことだ。そなたも無事と判ったからすぐにでもきちんとしてこよう。確か控え室のあるフロアにシャワールームもあったはず」
「えぇぇ〜、勿体ないぃぃ〜。ん〜そやけど写真は撮ったし、そや、いっそ待ち受けにしよ」
とチャーリーが言った時、その携帯はジュリアスの手の中にあり、素早く削除キーが押されていた。
「ウォン・グループ代表の地位にある者がこんな待ち受けを使うなど有り得ぬ」
「あーー、何しますねんっっ〜」
と叫んだわりには余裕のあるチャーリー……。
“ふっふっふ、そうくるやろと思ってあの画像は、撮った瞬間、隠しフォルダーにも保存済やし、主星の俺のマシン宛てに送信
した。しかもポスターにも耐えうる最高画素で撮ったし! 怪我はしててもそこらあたり、俺にぬかりなし! そやけど、身繕いを忘れるほど心配してくれはったんやなあ。クスン……ジュリアス様にそんなに思われて俺、シアワセもんや〜”
ジュリアスはジュリアスで……。
“チャーリーのことだ。どこかにバックアップを取ったのであろう。しかし……まあ、よい。そういう事に気持ちが回るようであれば怪我や精神的なダメージもさほどではあるまい”
心の中の思いが顔に出で、二人は穏やかに微笑み合ったのだった。
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