翌日、土曜日。フィリップのファームは、夏休みに入っているため、ジュリアスも乗馬に出掛けない。午後になっていつになくゆったりとした時間を二人が過ごしていると、電話が鳴った。内線ランプが点っていることから執事からのものだと判る。
「おくつろぎのところ、申し訳ありません。外線からお電話が掛かっております。外務省からです。外線2番に繋がっております」
「外務省? 繋いで」
執事とのやり取りから外線へと切り替える間際、チャーリーは、ジュリアスに向かって振り向いた。
「何やろ? 心当たりは聖地担当課くらいのもんやけど。お役所って土曜日休みやのに家に掛けてくるなんて何かトラブルでもあったんやろか?」
「聖地管轄課なら向こうとの時差の関係もあるから常に誰かが出勤しているのだろう」
ジュリアスは、ジグソーパズルをしていた手を止めて答える。
「あーもしもし。チャーリー・ウォンです。お電話代わりました……え? はい、ええ。荷物? ……それやったら会社の倉庫に……ええ? そうなんですか。いや……かまいません……はい、そうです。……ええ……」
チャーリーは、首を傾げつつ、相手に問われるままに返事をし、電話を切った。そして直ぐさま、執事へ内線電話を繋げた。
「あ、さっきの電話の事やけど。うん。小一時間ほどで外務省から俺宛に荷物が届くそうやねん。かなり大きい木箱がひとつ。届いたら教えて」
内線電話を切った後、チャーリーはジュリアスの座っているソファに戻った。
「外務省から荷物?」
電話の内容を聞いていたジュリアスが問う。
「さっき聖地から、例の転移装置経由で届いたらしいんですよ。大きな木箱で中はわからんそうですけど……」
チャーリーは首を傾げる。
「カフェの備品の類ではないか? 使われずに返却処分となったものでは?」
「ロゴ入りのカップと違うかな……思たんですけど、二人掛かりで運ぶほどの大きな木箱に入ってるのは何でやろ? それにカフェの備品やったら会社の倉庫のほうに送って貰った方がええと思ってそう言うたら、木箱の宛名に、俺の自宅に届けるよう指示が書いてあったって言うんですよ。それで土曜日やのにこっちに電話が掛かってきたというわけです。ホンマ、何やろ……」
やがて一時間ほどして件の荷物がウォンの館の玄関先に届いた。電話で聖地管轄課の職員が言ってたように縦横150センチほどもある大きな木箱である。四辺はしっかりと釘止めされている為、執事は警備員の手を借りてそれを解体して、中味を取り出した。麻布にくるまれた何かが入っている。
「テーブルと椅子が二脚……のようでございますが……」
執事は、布を途中まで剥ぎ、露わになった部分を見て、背後で見守っているチャーリーとジュリアスに言った。
「ええ? テーブルセットやて?」
チャーリーは執事の手元を覗き込み、布を剥ぐのを手伝った。
「ホンマや……。カフェのテーブルや……。ジュリアス様、しかも8番のテーブルですよ」
テープルの縁に取り付けられた小さな番号入りのプレートを確認してチャーリーは言った。
「チャーリー様、封書が同梱されておりますよ!」
執事は神鳥のエンボス加工がされた白い封筒を見つけて差し出す。
「真紅のロウで封印されてる……」
チャーリーはそれをジュリアスに見せた。
「これはルヴァのイニシャル刻印だ」
「開けてみます……あれ……これ、音声用のマイクロディスクや……。ジュリアス様、リビングのオーディオで再生できます。すぐ聞きましょ」
「うむ」
「このテーブルセットはいかがいたしましょうか?」
別館に戻りかけた二人に執事が慌てて声を掛ける。
「これ中庭の……リビングから続きになってるテラスに運んで。今ある鉄製のテーブルセットと取り替えて」
「木製ですが、屋外に置いても大丈夫でしょうか?」
「うん。特殊コーティングしてあるから大丈夫。大切なものやから大事に運んでや」
チャーリーはそう言うと、ジュリアスと共にリビングへと急いだ。
「音声メッセージ ……再生しますよ……」
チャーリーは、カードリーダーに小さなディスクをセットしスイッチを入れる。ピッと電子音が鳴った後、微かな雑音。そして……。
【あーー……えーっと……もう、いいんですかねー……】
と小声が聞こえ、それに被さるように【いいって。もう、早く喋れよー】という声。
「ルヴァ様と……ゼフェル様?」
チャーリーがボリュームを調節しようとした時、今度はちゃんとルヴァの声がはっきりと聞こえてきた。
【チャーリー、ジュリアス。こんにちは。ご無沙汰しています。すみませんねー、こういうメッセージの方法に慣れてなくて、あーー緊張しますねー、だから手紙の方がいいって言ったんですけど、ゼフェルが……】
【うっせーな。声の方が判りやすくていいんだよっ】
【はいはい。どうせならお顔も見せられたらいいんですけどね。それは許可がおりませんでしたので、声だけで……ね。こちらは皆、元気でやってます。代わりありませんよー。えーっと、ですね、先日はカフェの事で来て戴いたのにお逢いできなくて申し訳ありませんでした。カフェが撤退になってしまったのはとても残念でした。でも彼処が無くなるととても寂しいと、私たちだけでなく執務官や側使えたちからも意見がでましてね、週末だけ宮殿の女官さんが交代で管理してくれることになったんですよ。それで……】
以降、設備類を残してくれた御礼など細々した事をルヴァがゆったりと話しだす。テーブルが送られてきた理由がなかなか伝えられず、横で聞いていたゼフェルが業を煮やしたらしく、割り込みが入る。
【話がぜぇんぜんっ進まねーよ。つまりそれで、カフェのテーブルも八つもいらねーだろうって事になって六つに減らすことにしようと思う。
余った二つのうちのひとつは、クラヴィスが庭に置くって持ってったけど、もうひとつは……コホン……落書きもしてあるし誰も貰い手がなくてな。けど、捨てるのもなんだし
、じゃあ返すよ、って事。そうそう、ロゴの入ったカップの事な。もうカフェ・ド・ウォンじゃないわけだし使うのどうかって声も上がったけど、まだ割れてもいないのに廃棄なんて勿体ないわ
〜……って庶民派な陛下が言うもん……いや、仰るんもんで、そのまんま使ってもいいかな? っーか、いいだろ? えっと、それとな、カフェの名前だけど、新しい名前は、カフェ・ド・チャーリーって事になったから。これもいいよな? どうせ今までも、『チャーリーんトコでお茶しようぜ』とか『待ち合わせはチャーリーさんの所で』とか皆、言ってたしな。そういうわけで、担当官が睨んでるからもうそろそろメッセージも終わる。ま、そういうことでよろしくな。えっと……ジュリアスにもよろしく伝えてくれ。じゃあな。……ルヴァ、おいっ、ルヴァ
、最後に何か言えってば……】
【あー、そうことなんですよー、じゃあ、チャーリー、ジュリアス、さようなら、お元気でね……えっと、それから……お幸せにね……】
メッセージが終わった後、チャーリーとジュリアスは、無言のまま顔を見合わせた。チャーリーは慌てて、もう一度音声を再生する。二度目を聞き終わった後、二人は何故か神妙な気持ちになりつつ、深呼吸し立ち上がった。リビングの大窓の向こうテラスには、彼らがディスクを聞いている間に、テーブルセットが運ばれて置かれていた。チャーリーは窓を開ける。テラスの部分は中庭とはエアーカーテンで遮断されていて少しは夏の暑さを凌げるようにはなっている。
「昨日の今頃、聖地でお茶してたのに……、もう二度とこのテーブルでお茶するなんてあれへんと思ってたのに……、またここにあるなんて妙な気分や……」
チャーリーはテーブルに触れながら呟く。
「聖地の者たちは、私たちがよくこのテーブルで一緒だったのを知っていてくれたのだな……」
「ひょっとして昨日、しみじみと二人してお茶してたのもどこかで見たはったのかも?」
「そうかも知れぬ。……しかし落書きなどどこに? チェックしたがそのようなものは……」
さほどの傷みもなくまだ艶やかさを保っている天板とその縁をジュリアスは確かめる。スッと身を屈め、脚部を見たがやはり落書きどころか傷一つない。そして何気なく天板の裏を見た彼は、小さく「あ」と叫んだ。
「こんなところに……見逃すはずだ……」
天板の裏に釘でひっかいたような落書きがある。矢印のような記号に下に名前が書いてある……。自分とチャーリーの。それが俗に言う【相合い傘】の落書きであることはジュリアスにもなんとなく判った。
「み…見つかった……」
しゃがみ込んでいるジュリアスの頭上でチャーリーの声がした。
「そなたが書いたのか? 一体いつ……」
ジュリアスは立ち上がりつつ言った。
「ジュリアス様が、実は俺のアコガレの秘書の人やったと判って、金の曜日の午後にお茶するようになって、俺、ジュリアス様の事、愛してるカモ……と思った時にです。好きな人と自分の相合い傘をこっそり書いたテーブルでお茶すると、二人は結ばれる……主星ではベタなおまじないなんです。もっぱらこれは学食のテーブルでの事なんですけどね。主星にあるスクールで相合い傘の書いてないテーブルなんかあれへんかも。……いやあ、もう、エエ年してそんなローティーンの言い伝えを……俺ったら乙女サン〜。あははは」
チャーリーは、またジュリアスに呆れられるだろうと、少し引き攣りながら笑いで誤魔化す。チャーリーがテーブルの下に潜ってコソコソとこれを書いたと思うと、呆れもするが、やはり笑えてくる……と思うジュリアスは、肩を竦めた後、コツン……とテーブルを叩いた。
「そのジンクスは効き目があって何よりだった」
「はぃぃ〜」
頭を掻きつつチャーリーはいつものように気の抜けた返事をし、「小さく書いたから誰にも見つからへんと思ったのになあ……。も〜ハズカシイ〜」とチャーリーは今更照れながら座り込んで天板の裏を見た。
「あ……あれぇぇ……」
「どうした?」
ジュリアスも同じようにしゃがむ。
「いや……ココ。俺が書いたのはこの相合い傘だけですよ。昨日、密かに見た時も無かった。こんなハートマーク3つも書いてませんよ〜。しかもピンクのラメ! ああっ、ココ! ジュリアス様、よう見て下さい! 鉛筆書きで
目立てへんから見逃すトコやったけど【やーい、やーい、バカップル〜、らぶらぶ〜】って……誰が馬鹿ップルやねん!」
「……これは……ゼフェルの筆跡だ……」
「するとこのピンクのラメ・ハートは……オリヴィエ様あたりが自前のマニキュアかなんかで……」
「恐らく……」
「もう、あの人ら守護聖らしからぬ事を〜」
「しようのない者たちだ。こういう悪ふざけとなるとあの二人は意気投合する所があるし、他の者たちも面白がって遠巻きに見ているのだ。ルヴァあたりが注意すべき所だが、あたふたとしているうちに事が終わってしまって、クラヴィスはどうせ、背後で好きにせよ……と達観していたのだろう」
「目に浮かぶようや……」
「ああ、目に浮かぶ」
ジュリアスは眉間に皺を寄せて目を瞑る。その表情を見たチャーリーの胸が小さく痛んだ。
“ああ……ジュリアス様、聖地のこと、懐かしんではる……。昨日は、どうということもない風やったけど……”
チャーリーは、ジュリアスの手にソッと触れた。
「ん? どうした?」
ジュリアスはパッと目を開け、そう問う。
「なんでもないです。ジュリアス様の心が聖地の方に飛んいきそうで、連れ戻しただけ。……さ、ジュリアス様、せっかくやしここでお茶にしましょうよ。キッチンで淹れて持ってくるさかい」
チャーリーは、どっこいしょ……とわざと大きな声で言い、立ち上がると、ジュリアスの為に椅子の位置を引いて整えた。
「いつもみたいに、ここに座って。……ジュリアス様、オーダーは?」
サッと腰の辺りにトレイでも持つかのようなポーズをして、僅かに頭を下げつつチャーリーが言う。
「いつもの」
しゃんと背筋を伸ばして座ったジュリアスは、笑いを噛み締めつつそう言った。
「承知しました。8番テーブル、チャーリー特製、愛のエスプレッソ、オーダー、入りまーす」
チャーリーの明るい大きな声が、二人きりのテラスに響く……。
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