10


 チャーリーがまたコーヒーを一口啜り、会話の途絶えた中を、ニュースキャスターの声が流れてゆく……。ひとつのニュースが終わり、新型エアカーのCMが始まる。音量がやや上がり、ジュリアスはリモコンを操作して、テレビを消した。居間は再び静まりかえる……。
「マルジョレーヌさんは……」
 体に酒が入っている……その事を自覚しているチャーリーは、これでいつものテンションで話すとただの酔っぱらいや……と思い、あえて声のトーンを抑え、ゆっくりと、彼女と交わした会話をジュリアスに話し出した。彼女の経歴は元より、アマンド公がクラヴィスアマンドから落馬した際の事まで。本来のチャーリーなら、それらは身振り手振りを交えて、多少は大袈裟に面白おかしく報告するはずなのだが、その口調は至って静かで落ち着いているため、それだけに話の内容が明確にジュリアスに伝わってくるのだった。

「……それに、アマンド公も俺が思ってたような大金持ちなだけの嫌みな人やなかったみたいです。帰りのエアカーの中でちょっと調べたんですけど、財閥としての慈善事業はもちろん、彼個人での基金や寄付の多額なこと……。ごく些細な 、誰も目に留めへんような小さい団体への寄付から大きいものまでいっぱい。クラヴィスアマンドのこれまでの賞金も全額、寄付金に回ってました。俺の親父も慈善事業は熱心にしてましたけど、どっちかというとそこには、売名行為っぽい思惑も入ってましたし、俺が引き継いでからは、そういうことは全部、会社の担当者任せやったし、個人して動いたことはなかった……なんか、俺……人としてまだまだやなあ……と思いました」
 ジュリアスは黙ったまま、チャーリーを見つめ、頷く。

「マルジョレーヌさんは素敵な人で、一緒にいて楽しかった……年も一緒やし、話題も合う。ああいう場所では、俺は男なわけやし、リードして気を配ったりして……ちょっとエエ格好して、好青年っぽく振る舞ったりして……」
「実際、そなたはちゃんとマナーを弁えた好青年であると思うぞ」
「うん……そーですけどね、なんかね……」
 チャーリーは俯き、頭を掻く。言葉使いがだんだんと柔らかくなっていくのは、かなりアルコールが入っているからか……とジュリアスは思う。
「マルジョレーヌ嬢の事が気に入ったのなら、彼女が言ったように結婚の事はまだ先のこととして、ゆっくりと友情から愛情へと育むといい。……私も……応援しよう」
 心の奥の何処が小さく痛む……が、チャーリーの幸せを考えて、ジュリアスから自然に発せられた言葉だった。
「良い人と出会えて、よかったな、チャー……」
 とジュリアスが言いかけた次の瞬間、俯いていたチャーリーが、ガバッと顔を開けた。目が据わっている。
「応援するて……応援するて、どーーーゆーー意味ですか? あー、まあー、いろいろ考えたら、ええ縁組みやしチャーリーの幸せの為やったら、ええんちゃう? みたいなことで、そう言うてはるんでしょうけどね、応援されても頑張れません、俺はジュリアス様が一番好きなんやし! マルジョレーヌさんと一緒で楽しかったこと、早く帰ってジュリアス様に報告したいなーと思った俺はおかしいですか? マルジョレーヌさんとは俺、対等 にエエ感じで付き合えたと思うんですけども、ジュリアス様に対して俺はスマートなとこなんかぜんぜん見せてないけど、これってアカンのとちゃう? とか、いつも甘えてばっかりやけど、ジュリアス様に甘えて貰ったことってあるやろか? とか、酒が回ってきたせいもあるカモですけど、グルグルとこの頭の中で考えて、それで、まあ、報告してたんですけど、なーーんか、ちょっとすれ違ってませんか?」

 一気に捲し立てられて、ジュリアスの方も眉間に皺を寄せる。
「すぐ側にいるのだ、そのような大きな声で絡むのはよさないか」
「絡むって? 絡んでませんよっ」
 チャーリーはムッとした顔のまま、言い返す。ジュリアスも同じような表情のまま口を開いた。
「ならば言わせて貰うが、今夜の事は私なりに心配していたのだぞ。気の進まぬ相手との会食なのだからな。もしやまた何か辛い事を言われているのではないかと。 だが、帰宅がこの時間になったことで、なんとか穏便に済んだようだ……と思っていたところに、そなたが戻ってきた。怒っている風では無く 、安堵したが先ほど……キッチンの扉の所で、目を逸らしたであろう? この私から。そしてその後、マルジョレーヌ嬢をとても気に入ったと言われれば、そういうことか……と思 われても仕方あるまい?」
「目を逸らしたって………」
「そうだ。逸らした」
 沈黙が流れ、チャーリーが自分の頭をクシャクシャと掻きむしった。そして大きく溜息をついた。
「逸らしました、逸らしましたよっ。そやけど……」
「なんだというのだ?」
 ジュリアスの声に、“ほら見ろ、やましいことがあるから逸らしたのだ”と言うような感情を見て取ったチャーリーは、憮然としつつ、また声を荒げた。
「あれは……しゃーないやないですかっ! ジュリアス様、風呂入って、そのガウンの下、なーーーんも着てはらへんのでしょ!」

 ジュリアスは、はっとして自分の胸元をみる。シルクのガウンの下は確かに何も着ていない。バスタイムの後、それを軽く羽織った後、続きの気になる読みかけの本を手に取りそのまま……。
「し、しかし、それほど、はだけていたわけでも……」
「確かに今はしっかり合わさってるみたいですけど、さっきはもうちょっと開いてたし、斜めの位置から見たから、ちょっとだけ……ああ、もうっ……乳首が見えました!」
「だからといって……」
「いつもの俺やったら、いやーんジュリアス様のセクシ〜とか言うてハァハァする所ですけど、今夜の報告もあるし、帰りの車の中でさっき言うてたみたくいろいろ考えてたし、軽口叩く前に言うこといっぱいあるのに、そんなジュリアス様の格好みたら、いきなりドキッとして局地的に元気になってきそうで 、つい目を逸らしました! この際やから言わせて貰いますけど、そうやって平日の夜に俺が何かの拍子に発情しても、仕事に差し支えるって軽く交わしはるでしょ。俺の体のこと思いやっての事やろうけど、そんな思いやりいらん。ジュリアス様の方から俺を欲しはったことなんかぜんぜんあらへんように思いますけど 、それは俺にいまひとつ魅力というか包容力が無いからやと思う。そやからもっと、エエ男にならなアカンなーと。マルジョレーヌさんと対等に振る舞えたように、ジュリアス様の前でもパートナーとして対等になれたら……と思い……俺なりに……ゴホッ、コホッ」
 チャーリーはそこで勢い余って、むせ返った。
「……俺は……コホッ……ジュリア……好……」
 咳き込みながら一番言いたいことを言おうとするチャーリーの背中をジュリアスはさすってやる。
「もうよい。もうよいから喋るな」
 ひとしきり咳き込んだチャーリーは、それがなんとか治まった後、側にあったコーヒーの残りを飲み干し一息ついた。
「人の心は移ろうものやし……いつか……お別れの時が来るかも知れへんけど、それは俺の方から切り出す別れやない。ジュリアス様の方から俺に見切りを付けるか、他に……もっと成すべき事を見つけはって、俺の元を去っていかれるんや。その時は笑顔でサヨウナラって言うつもりやけど、今はその時ですか? マルジョレーヌさんが現れたし、もう俺との関係はほどほどにしといてもええやろ……と?」
 低い声で呟くようにそう言ったチャーリーの背中に手を置いたまま、ジュリアスは、「いいや。そなたの一番が私であることに変わりないなら、今はその時ではない」と言った。
 刺々しかったその場の空気が、たちまち穏やかになる。
「回りくどいのはお嫌いやなかったですか? こんな時、もっと字数の少ない言葉で、イッパツで言い表せる言葉あるでしょ。それが聞きたいなあー。俺なんかその言葉、挨拶代わりにジュリアス様に言うてんのになあ」
 チャーリーの口調は睦言にように甘い声に変わっている。
「私のその言葉はレアなので」
 少し照れながら、いつものように軽く交わすジュリアスの口調も優しい。
「まるで、俺の『愛してる』は大安売りみたいやん〜」
 拗ねたように言うチャーリー。二人はにわか雨の上がった後の鮮やかな虹!状態に突入したようだった。
「…………では、言葉の代わりに……」
 ジュリアスは、チャーリーに軽く口づけた。
 そんなモンでは済まされへんで……とばかりにチャーリーは、ジュリアスの唇を吸い、僅かに開いたその中に強引に舌をすべり込ませる。
 どいてや、どいてや〜と、ジュリアスの前歯を蹴散らすように。チャーリーの舌先がジュリアスの舌先に辿り着き、二人はゆっくりと互いの舌を絡ませた。
“おおう、舌先が三つ編みになりそうな濃ゆいキッスや!”
 とチャーリーは悦びながら、ジュリアスを抱きしめた。微かにシャンプーの香りがするジュリアスの髪、日中の引き締まった香りのコロンとは違う首筋に、チャーリーの体は、彼曰く、『もう辛抱たまりません状態』になりつつあった。

“……シルクのガウン越しにジュリアス様の裸体! けど俺の方は、まだ上着を脱いだだけのお堅い姿や……ああっ、ここで一気にジュリアス様のガウンを剥いでしまいたい……、お一人だけハズカシイ姿ですねえ、ジュリアス様……と、黒い微笑みを浮かべつつ躙り寄る俺! 恥じらい、たじろぐジュリアス様! うわああっ、滅多にあらへんシチュエーションや! あ……あかん……マジ……やばい……”
 妄想が先走り、思わず達してしまいそうになるチャーリーであった。
“ふう……我慢や、チャーリー。平日の夜にたまたまそんな雰囲気になっても、明日の仕事に差し支える故……とか言われて、あしらわれてきたこれまでの事を思い出すんや! ここで気を抜いたらアカンでえっ。 ジュリアス様のカラダも我慢でけへんまでに高めるまではっ……あ……そやけど、なんか、もう頭がクラクラする。キスがあんまりディープインパクトで酸欠や……ふう……めくるめく快感の世界に突入してしもうたんやろか……”
 チャーリーは、悶絶しつつも気合いを入れ直し、乱れかけたジュリアスのガウンの前から手を忍ばせる。二人の唇が離れ、ジュリアスがチャーリーの指先の動きに「くっ」と短く喘いだ。
「チャーリー……寝室へ……行こう……そなた……顔が赤い。少し酒の匂いもしている。水を飲まねば……持ってきてやるから……」
 チャーリーの耳元でジュリアスが囁き、立ち上がる。チャーリーの中で、エエ声〜の合唱(しかし音量はピアニッシモ)がする。
「ありがと、ジュリアス様……」
 ほわん……としたまま、チャーリーはジュリアスの背中にそう言い、シャツのボタンを外す。
“ええ一日やったなあ……。パリプレストでの食事、マルジョレーヌさんとの出逢い、超レアワイン・ミドリーノカティスの味……そして、ジュリアス様との濃密な夜がこれから始まるぅ〜、ふぅぅ〜、体が火照るわ〜、興奮したら酔いが回ってきた……んやろか〜、シャワー でも浴びたほうがええカモ……”
 チャーリーはパタパタと手で自分の顔を扇いだ後、立ち上がる。と同時に世界が反転したように彼は感じた。
「あーーー、クラッときた……」
 ソファーに座り直して、一旦、チャーリーは目を閉じた。ゆっくりと瞼を開ける。そして、また閉じる。何回開けても、チャーリーの瞼は閉じてゆく。
「あれ……あれれ……ね、寝たら……アカン……やん?」
 
 キッチンからチャーリーの為に水を持って来たジュリアスは、ソファの上でまさにコロン……と転がって寝ている彼を見つけた。
「チャーリー?」
 と声を掛けるが反応は無い。ただ幸せそうな顔をして眠っているチャーリーがいる。ジュリアスはもう一度、彼の名を呼んでみた。
「う〜ん、マルジョレーヌさん……」
 チャーリーの口元がモゴモゴと動いた。まどろみの中で呼ばれたその名に、ジュリアスは、彼に伸ばしかけていた指先を止めた。
「ワイン、美味しい……あのお茶……リラックスさせ……すぎ……ちゃいま……すか? 俺……めっちゃ眠たい……寝たらアカンやん……、今、エエとこ…………」
 最後まで言い終わらないうちに、チャーリーは沈黙した。スースーと心地よい寝息が聞こえてくる。ジュリアスは、そんなチャーリーをじっと見下ろすと、その鼻先を摘んだ。
「ふんがっ!」
 と喉の奥から音がした後、側にあったクッションに抱きつき、「ジュリアスさ〜ま〜……」と甘く囁くような声を発してチャーリーは、完全に眠ってしまったのだった。
 

■NEXT■


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