社長室に着いた時、この沈黙に耐えかねたチャーリーとジュリアスは、何かしらの会話を試みようとしたのだが、午前中に処理しなくてはならない仕事が情け容赦なく襲いかかってきた。仕方なく、ただただ黙りこくったまま二人は猛烈な勢いで仕事をこなしていく。
彼らの様子がおかしいことは、チャーリー付きのブレーンスタッフたちもすぐに気づいたのだが、とても声を掛けられる雰囲気ではなかった。思い悩んだ彼らは、ザッハトルテへと連絡を取ったのだった。何気ないふりをして部屋に入ったザッハトルテは、確かに二人の様子がいつもと違うことに驚く。顔色が悪く表情が虚ろだ。朝の挨拶もそこそこに目を伏せる。明らかにどこか具合が悪そうだが、それをひた隠しにするかのようにテキバキと仕事をこなしている。
「チャーリー」
とザッハトルテは、社長ではなく名前で呼んだ。俯いて書き物をしていたチャーリーはギクッとした後、ゆっくりと顔を挙げた。
「お前にぃー、ファーストネームで呼ばれるぅー、筋合いないわッ。会長とか社長と呼べーー。それにお前にそう呼ばれるとロクなことあらへん」
「そうですか? 昔はよくチャーリー君、リチャ兄ちゃんと呼び合った仲ですのに?」
「くそぉぉ。それは俺が十歳の時で、お前が二十歳の若さで親父のブレーンスタッフに入った頃の大昔の話や〜」
チャーリーは、歯ぎしりが聞こえてきそうなほど悔しそうな顔をして「う、うるさいわーっ。何や俺の仕事、邪魔しにきたんなら帰ってンか。死にそうなくらい忙しいんやから」と言い、再び書類に目を落とす。
「確かに死にそうな顔色です。が、軽口を叩けるようだから大丈夫なんでしょうね。昨夜、飲み過ぎましたか?」
ザッハトルテの言葉に、チャーリーはハッとして再度、顔を挙げた。ジュリアスも自分も誰が見ても一目瞭然に体調不良の顔をしている。ブレーンの誰かからそれを聞き様子見にやってきたのだと判ったのだった。そして、これはジュリアスとの沈黙を打破するよい機会だと思ったチャーリーは精一杯の笑顔をザッハトルテに向けた。
「うわー、バレバレ? そやねん〜。夕べちょっと早く帰れたから、つい深酒を……」
チャーリーが情けなさそうにそう言うと。案の定、ザッハトルテは乗ってきた。
「ジュリアスまで巻き込んで飲ませたのでしょう?」
「珍しい辺境の酒が手に入ったんやけど、これがまた口当たりは良かったんやけど、後からメチャメチャ悪酔いする、する」
チャーリーは、大袈裟な仕草で嘘を話し出す。
「またそんなワケのわからぬ酒を……。貴方はともかく、ジュリアスはそういう安物のゲテモノ酒の合わない体質に決まってるでしょう? 可哀想に、こんなに辛そうなジュリアスの顔は見たことありませんよ。ジュリアス、貴方も嫌なら嫌だとハッキリと断っていいんですよ。チャーリーの悪趣味な酒にまで付き合う必要はありません」
そう言われたジュリアスは、何と答えて良いものか判らず、曖昧に頷く。
「判りましたよ、もうヘンな酒は飲みません。判ったから早よ、消えてンか」
シッシッと追い払う手つきをするチャーリーを無視し、ザッハトルテはジュリアスと向かい合う。
「翻訳部の仕事が押しているのでしょう? 貴方は幾つもの言語に精通しているから急ぎの仕事が回ってきていると聞いています。貴方はチャーリーのスタッフなのに。人事の方には私からも言っておきましょう」
「人事には、もう俺がきっっっっっ〜ぅ言うといたでっ」
すかさずチャーリーが横から口を挟む。
「人事には、前社長からの古参が多いですからね。慇懃無礼に頼んだ方が効くんです」
「あ、なるほど。確かに慇懃無礼はお前の得意とするところや」
チャーリーの嫌みにも負けず、クイッと銀縁眼鏡を上げたザッハトルテは「ま、そういうことです。ともあれ午後からの契約が済むまで倒れないで下さいよ、社長」と言うと部屋を出て行った。彼との掛け合いのおかけで、チャーリーはいつもの調子を取り戻しつつあったし、少しでもこの場の雰囲気が和らいだかも知れないと思うチャーリーだった。
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