降り立った彼の星、サファラの地は暗かった。次元回廊のシールドは透明の繭のようなものだ。解かない限り我の姿は外に晒されることはない。目の位置辺りに位置や時刻、外気などの情報が青い光の文字で浮かび上がって表示されている。この地は今は夜明け前で、気温は五度ほどしかない。外の暗さに目が慣れると、少し離れた場所に集落があることが判った。日干し煉瓦のようなものを積み上げた四角い家が点在している。飼われている家畜たちはもうじき夜が明けることを知っているのだろう。微かにその羽音や嘶きがしていた。
「ここが例のサミットが開かれた村だ。この岩山を背にして皆が座っていた」
 確かに星空の美しい、静かな良い場所だった。

「クラヴィス、もう少し先のポイントに移動しよう」
 ジュリアスはそう言って私の返事を待たずに座標盤を操作した。初めから設定してあった座標を変えるなどジュリアスらしからぬことだった。今し方までぼんやりとではあるが見えていたものが一瞬消える。
 
 シールドが再び透明になり、薄闇の中に波のうねりのような影が浮かび上がった。よくは見えない。ほんの数十秒、目を凝らしている間に、だんだんと目が慣れてきた。今、私がいる所は周りには、人の気配のするものは何ひとつ無く、身を寄せる木々も岩山も無い、砂漠のただ中だった。夜の中に浮かぶのは砂が造り出すうねりの輪郭だけ。だが幾つものそれが少しづつはっきりとし次第に周辺が露わになっていく。夜明けが近い……。

「あ……ああ」
 と私は唸り、その場に座り込んだ。シールドが張られているので砂にまみれることはない。その代わりにそのサラサラとした感触を知ることもない。私が座り込んでしまったことにジュリアスは驚く気配は見せなかった。 そして、「似ている……か? そなたの心の中にある場所に」と、問うただけだった。私はハッとして、ジュリアスを見上げた。ジュリアスは遠くを見つめていた。

「心の中に大切な場所がある。実際にある風景ではないのだけれど。間違った事をしてしまったり、悲しい事や嫌な事があると、その場所が汚れたような気がする……とそなたはが私に言ったことを覚えているか?」
 私は小さく頷いた。ジュリアスがそれを覚えているとは思わなかった……。

「二度目にここに来た時、初期設定の先の村で祭があってな。それほど騒がしいものではなかったが、少し座標をずらし場所を変えた。砂漠のただ中、何も無い。それなのに何か知っているような感じがした。薄日が差し込む真白き砂の降り積もる静かな所……。そなたの言っていた心の聖域はこんな場所ではないのか……と思った。人の心の中の事だ、見当違いかも知れぬ故、今まで告げずにいた」

「私の周りだけでもシールドを解いてくれ」
 座り込んだまま私は言った。
「砂にまみれてしまうぞ……」
 と言いながらもジュリアスは私たちの周りのシールドを解いた。入れ違いに早朝のまだ冷たい空気が一気に押し寄せてくる。と同時に砂の感触が手足に伝わってくる。動かした手の指の間からサラサラと砂が溢れ落ちる。

「そなたの言う心の中にある聖域は、私にもある。だが私のそれはこのような場所ではない。緑なす丘の上だ。青空が延々と続き、緩やかな風が吹いている。足下にふわふわとした草があるが、少し遠くを見れば優しい色合いの花が咲き乱れている。時折、鳥の鳴く声がしている。心に残る事柄はそなたのように浄化されて砂になるのではなく、私の場合は、花のひとつひとつに生まれ変わるのだ……」
「ずいぶんと私とは違うのだな」
「そう。だから幼い時は、そなたの言う聖域が理解し難いものだった。何度もそなたのいう聖域を自分なりに考え、心に思い浮かべていた。結局、寂しい所が思い浮かぶばかりで、そなたに同情すらした。なんとかしてそなたを救わねばと 思いもした」
 自嘲の混じった言い様だった。
「私の聖域も……悪くはないだろう?」
「ああ。寂しい所などではない。大層、美しい」
 ジュリアスはそう言った。だが私は、やはり風景画のような聖域を持っているジュリアスが羨ましい。そうだ、私はいつでもジュリアスが羨ましかったのだ……、何もかもが。
 私は座り込んだまま真横に立っているジュリアスを見上げた。そのような角度からジュリアスを見たことが無かった。随分とジュリアスが遠くにいるように思えて、私は立ち上がった。ふいに眩暈がした。手が無意識に縋るものを求める。ここには砂とお前しかないのに……。

 腕を掴まれ、肩を支えられた。大丈夫か、無理をするからだ、もう戻らねば……、そういう言葉がジュリアスから発せられるだろうと思っていたのに何の言葉もない。ジュリアスは私の眩暈が治まるのを黙ったまま待っていてくれるのだった。
「戻る……」
 一、二分ほどして、ジュリアスに縋ったまま、私の方からそう言った。
「うむ……」
 だが、まだ眩暈が続いてる振りをしていた。きつく目を閉じて眉間に皺を寄せて、辛そうに。だからジュリアスは私の肩を抱いたままだった。
「クラヴィス、少し目を開けられるか? 陽が昇るぞ」
 私は薄目を開けた。前方の砂丘の向こうから朝の陽が放たれつつある。さっきまでの張り詰めたような寒気は既に一層されている。

「眩しい……お前のような太陽だな」
 ああ、まただ。またそんな言い方をした。これでは眩しい事が迷惑でうざったい、それがお前のようだと取れるではないか。違うのだ……強く、暖かく、美しく、鮮烈で……感じることはできるのに遠くにある、それがお前のようだ……と。言い換える言葉も、付け足す言葉も見つからぬままに私は押し黙る。お前が私の言葉を誤解せぬようにと思いながら。
 
「ジュリアス」
「ん?」
 ありがとう……と言いたかった。幼い頃は何度となく素直に言えたその短い言葉をいつから私は言えなくなったのだろう。ジュリアスに対して。出たのは溜息だけ。言えな かった言葉が心に残っていく。それが言えたなら、私の聖域も白き砂の降り積もる静謐なだけの世界ではなくなるのかも知れない。

 無言のままの私にジュリアスが言葉を続ける。
「今日のそなたは相当、弱っているようだな。無理もない。あのような事があった後だ」
 きっと私は情けない顔をしているのだろう、ジュリアスはそう言って軽く笑った。
「ああ、弱っている。滅入ってもいる。このまま砂に埋もれてしまいたいくらいだ」
 やけくそ……混じりの私の言い様が可笑しかったのかジュリアスは「は、は、は」と歯切れ良く笑った。
「耳元で笑うな。頭の芯に響く」
「悪かったな。だがいつまでそうして私の肩に頭を置いているのだ。眩暈が治ったならいい加減、ちゃんと立て。シールドを展開して回廊を開けられぬではないか」
「もう戻るのか……」
「そなたが戻ると言ったのだろう」
 ジュリアスの声が不機嫌になった。
「もう少しだけいる。太陽がもう少しだけ動いてあの砂丘の上にすっかり出るまで」
 ジュリアスに縋っていた手をゆっくりと離すと同時に、ジュリアスも私の肩から手を離した。私たちの間にまた少しの隙間が空いた。
 時は止まることなく、陽は昇る。辺りはひやりとした空気に包まれた静かな世界ではなくなった。今度こそ戻らねばならない。
 
「聖地はまだ夜なのだな……」
 私が呟くと、「どうせ眠れぬからと星見の塔あたりで夜を明かすつもりではあるまいな?」とジュリアスは言った。
 すっかり読まれている……。
「館まで送って行く」
「まだ付き添ってくれるというのか? 親切なことだな」
「そなたは今日は辛い思いをした。急なことでもあった。過去の事例から見ても、今のそなたに一番効くのは光のサクリア、すなわち私自身ならば当然のことであろう」
 整然とした言い様だが、ジュリアスが本当に按じてくれているのが判った。

「大丈夫だ。もう落ち着いている。今は急に立ち上がったので具合が悪くなっただけだ。星見の塔にも行かぬ。館に戻って湯浴みをし、すぐに寝所に入る。今宵のお前には大層、世話になった。良いものも見せて貰った。礼を言う……………………ありがとう」
 聖地に転送される間際、私はやっとそう言った。

 目の前の世界が反転する。サファラの朝から、聖地の夜へと……。

 その夜、私は夢を見た。
 心の聖域……真白き砂の降り積もる私のそこに、小さな芽が生まれる夢だった。


END

 

■あとがき■


聖地の森の11月 黄昏の森