第四章 遺 志

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「クラヴィス。お前はこのサファーシスの教皇だ。そしてジュリアスは、東の大陸の皇帝だ。【記録】は、たった今、見終わったのだ」
 クラヴィスの背中にノクロワがそう語りかけると、シャーレンは彼をジュリアスの意識の中へと送り込む。
“そうだ……私は闇の守護聖ではない……。ジュリアスも……”
 頭の芯に鈍い痛みを抱えながらクラヴィスは、次第に自我を取り戻す。ジュリアスの裡も、先ほどまで自分が漂っていた場所と同じ、宇宙……のような闇の中だった。

“ジュリアス、何処にいる? もう終わったのだそうだ、戻ろう……”
と、クラヴィスは心の中で言った。
「戻ろう、ジュリアス。お前の居るべき場所に」
 クラヴィスは、声に出して言った。
 “私の……居るべき場所?”
 ジュリアスの意識が反応する。
「そうだ。……クゥアンの……。お前は、東の大陸の皇帝なのだろう?」
「クゥアン? ……クゥアン!」
 宇宙に似た闇に一条の光が差す。突然の夜明けのように光が束になって闇を一掃してゆく。一瞬、真白になった後、風そよぐ草原に変わる。白い小さな花がその花びらを散らして舞う。鳥の群れが飛んでいく。その遙か目指す所に、険しく、そして気高い山脈が見えている。頂きの雪がその近寄りがたい神聖さに拍車を掛けている。闇の中から突然現れた風景に、クラヴィスは眩暈を覚えながら四方を見渡 した。
「ここは?」
 戸惑うクラヴィスに向かってジュリアスが答えた。声だけでなくその姿もいつの間にか傍らに存在していた。
「ここはクゥアン中央平原の西の端。あの山々の向こうが、そなたの住む西の地だ」
 ジュリアスの指差す方向をクラヴィスは振り返って見た。そして笑って頷く。
「お前の肉体は今、あの山の向こう、そのずっと先、教皇庁の古塔の上にいるぞ」
「ああ、そうだ、私はそちらに参ったのだった。海原を越えて……」
 風がジュリアスとクラヴィスの髪をふわりと持ち上げるように吹いた。
「良い風が吹いているな」
「大山脈から降ろし吹く風が絶えずここにはある。私はかつてここで……」
 ジュリアスはそこで一呼吸置いた。
「……その年は飢饉で内乱が各地で勃発していて、この近くにあるクゥアン貯蔵庫が再三に渡って襲われたのだ。飢えた民がしたことだと思っていたのだが首謀は、隣接する他国の王だった。しかも自国の民を思ってのことではなく、クゥアンに攻め入る為の策として。私はまだ十五で王としては見くびられていたのだ。金髪碧眼だけが取り柄の子どもと。私はその王をここで断罪したのだ。初めてこの手で……人を切った……。その国をクゥアン領とした。圧政に窮していたその国の民は喜んで私を迎え入れてくれたようだが、虚しさだけが残った。多感な頃でもあった。独り、この草原に立ち 、己に問いかけている時、聞こえたのだ。そなたの声が。以降、私は、何かあるとこの場所を思ってきた。王としての道を見失うことのないよう、そして、今は叶えられたことだが 、西の地を踏む夢を忘れぬように、と」
 クラヴィスはジュリアスの心の支えとなっている地の風景をもう一度、見渡した。【記録】の中で見た原始の聖地によく似ていた。
「良い所だ」とクラヴィスが呟くと、「ありがとう」とジュリアスが微笑んだ。その時、声が二人の元に届いた。セレスタイトの声だった。『戻りなさい』と。
 先に戻っている……というように、クラヴィスは、大山脈を指さした。ジュリアスは、頷いた後、空を見上げた。
「帰ろう。私の居場所へ……」
 ジュリアスは、肉体のある古塔を思うと同時に、東の大陸を心に描いた。
 中央草原へ続くまっすぐな道、遠乗りによく出掛けた北方の森、石造りの堅牢なクゥアンの城、その裏庭にあるインファの老木と歴代の王たちの廟……そのひとつ、ひとつがジュリアスに、待っていると告げるように鮮やかに心に浮かび上がってくる。ジュリアスは瞳を閉じる。次に目を見開いた時、私は戻っていると、自分に言い聞かせて。
 

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