第四章 遺 志

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  ジュリアスとクラヴィスが肩を寄せるようにして白亜宮へと入っていく。その上空を何機もの偵察機が飛び回り続けている。ジュリアスは忌々しげにそれを見上げた後、溜息を微かに付いた。
「急ごう……」
 二人は、陛下がその力の限りを尽くしている宮殿の最深部へと向かう。祈りの間を目前にした回廊に差し掛かった時、ジュリアスが思わず小さく呻いた。
「これは……凄いものだな……陛下の祈りがすぐ間近に感じられる。空気が……ざわめいている」
「扉は……誰も入るな……と、言っている」
 クラヴィスは眩暈を覚える。祈りの間へと続く扉は閉ざされ、目には見えない錠が降ろされ侵入者を拒絶していた。首座の守護聖たちにさえ触れること拒んでいる。通常の人間ならばその扉を視線に入れることすら適わないだろう。二人は体を持って行かれるようにふらつき、壁際 を伝い、祈りの間の扉の前に座り込んだ。
「私たちもサクリアを……聖地の明日が、この宇宙の安定と平和へ繋がるのだ……」
 ジュリアスは、瞳を閉じ胸の前に合わせた手の指を組む。回廊に満ちていた張り詰めた女王の気が、少しづつ薄らいでいく。クラヴィスはやや遅れて闇のサクリアを放つ。光と闇……同調と反発を繰り返す宇宙創生のサクリアが混じり合う……。
 
 その頃、聖地の外では、夜半を過ぎたにも関わらず、詰めかけた者たちの間で小競り合いが続いていた。一人の男が聖地前に台座を組み上げてその上に立ち、声を上げ始めた。よく通る伸びやかな声で、演説慣れしている。聖地について、歴史教科書をおさらいするように述べた後、現在の主星政府、有力者と聖地の関係に意義に意義を唱えた後、「粛正の時がきた」と叫ぶと、それに同意した者たちも共に叫び始めた。また別の者たちは、一塊になって聖地を守れと行進している。それぞれの行動は、女王陛下の御元という場所柄を弁えたものから、夜が近づくにつれて秩序の無いものとなり、いつ大きな暴動が起こっても不思議ではないまでになっていた。守護聖とのホットラインが切れた後、主星代表議長は、聖地前の装甲車を通じて、ようやく民に退去を命じた。女王陛下のお力に よって聖地が主星から離脱する、と首座の守護聖から申し渡された……ということは伏せたまま……。
 強引に物々しい装甲車で聖地の門前を取り囲ませると、「外域連合が主星及び聖地に総攻撃をかけてくる」と偽りの発表をし、 強制的に人々を退かせ始めた。だが実際に主星宙域では、敵対する艦隊同士の威嚇発射が行われ、その映像が夕方のニュースに流れ、事実上、外域連合と主星星系軍との戦争がここに勃発したのだった。
 
 若い守護聖三人は、風の館に集まった後、カードゲームをしながら送られてくるその映像を見ていた。
「ねえ……サクリアが……揺れているね」
 と一番若い緑の守護聖が言った。
「ああ、始まったみたいだな戦争。それと……聖地の離脱も始まったみたい……」
 三人のうちでは一番年上の守護聖が不安気に言う。
「なあ……、なんかさ、オレたち……逃げるみたいじゃねぇか? オレ、聖地なんかただの象徴でつまんない所……ってずっと思ってたけど……さ」
 守護聖に召されたことをずっと不満に思っている鋼の守護聖が言う。
「もっと……こう平和を訴えかけるとか……しなくていいのかな? 僕たち」
「もうしたさ! ずっとしてきたじゃないか! 陛下もお体の具合も良くないのに必死で」
「次代の候補はどうして現れないんだろう……、サクリアも陛下のお力も、全部、もう無くなるのかな? 昔に比べると陛下も守護聖もずっと力が弱まってるんでしょう?」
「わからないよ……。でも、聖地が主星や外域との接触ができないような違う場所に移行して、本当に原始の頃の聖地みたいに変われば……」
「そ、そうだよな。聖地が消えたら、ビックリしてさ、戦争もいっぺんに停戦するさ」
 三人は頷き合う。自分たちの発言が、あまりにも短絡的であることは彼らにも判っていた が、今はそういう言葉でしか自分たちの気持ちに折り合いが付けられなかったのだった。彼らは映像を切り、散らばったカードを綺麗に片付けると、窓辺へと移り、偵察機の飛び交う夜空を見上げたまま、瞳を閉じた。身の裡に宿るサクリアが静かに、少しづづ放出される。
「俺、やっぱり陛下のお側に行くよ」
 窓枠を掴み、風の守護聖が言う。と同時にその体は軽々と窓から外へ。
「僕も!」と同じように緑の守護聖が窓によじ登った。
「なんだよ、てめーら、いっつもオレが窓から出ると行儀が悪いとか言うクセによー、おう、待てよったら!」
 最後に残った鋼の守護聖が笑いながら窓から飛び出すと三人は一気に白亜宮へと駆けて行った。
  
 ルヴァは、僅かな灯りだけがついた部屋の片隅で本を読んでいた。絶海の孤島に持って行くとしたらどの本を選ぶか? と問われた時、さんざん悩んだ末に答えられなかったことを思い出し、苦笑する。今。彼の膝に載っているのは、たわいもない流行小説で、今ようやく読み終えたばかりだった。
「ふう……途中から犯人の目星は付いていましたが、まさか共犯者があの人とはねえ……。なるほど、よく出来たミステリーでしたよ。ベストセラーになるわけです……」
 ルヴァは本を書棚に戻すと、自分の人生の最後に相応しいと思える本を選ぼうとした。長いこと愛用している辞書、故郷の様子が綴られた美しい詩集、守護聖の任を離れたあと尋ねようと思っている遠い星の写真集、何度読んでも心が震える 感動の物語……。その一冊一冊が思い出と共にある。聖地の歴史が綴られた分厚い本を取り出した後、ルヴァはしばらく考え込んでまた同じ場所にきっちりと本を戻した。
 
 最期の時は、心穏やかに迎えたい、そして他の皆にもそうあった欲しい……そんな願いを込めてリュミエールは、竪琴を弾く。開け放った窓からは辛うじて隣のルヴァの館には音が聞こえているであろうし、実際の音が聞こえぬ場合でも、サクリアを持つ者同士ならば、リュミエールの憂いを秘めた竪琴の音は、その水のサクリアと共に心に直接届く はず。優しい旋律を繰り返し繰り返し引き続けた後、リュミエールは、竪琴を椅子に置くと館を出た。サクサクと枯葉を踏む。いつもならば館の前は綺麗に掃かれていて枯葉など落ちてはいない。昨日、館の者を総て聖地の外へと帰したのだ。それは他の館の者も同様だった。今の聖地には、女王と補佐官、守護聖、どうしてもと希望した女官や側仕えなど僅かな者たちが残っているのみだった。自身の館を抜け、石畳の表通りに出た時、リュミエールは、ルヴァが前を歩いているのに気づいた。
「ルヴァ様!」と声を掛けると、彼が振り向く。
「おや、まあ、リュミエール、どうしたのです?」
「ルヴァ様こそ。読みかけのご本は?」
 ルヴァに追いついたリュミエールが問う。
「もう読みましたよ。犯人もわかってスッキリしました」
「それはようございましたね。わたくしも、一通り竪琴を弾き終わりましたら心が落ち着きました」
「上空の偵察機が無ければもっとよく貴方の演奏が耳に届いたのですけれども。ところで……リュミエール、貴方も宮殿へ?」
「ええ。やはり、最期は陛下のお側近くで祈ろうと思います」
 リュミエールがそういうとルヴァはにっこりと笑って「では、急ぎましょうかね」と言った。
 
 その薔薇色の酒は、オリヴィエが聖地に上がった時に持参したもので、彼の恋人が贈ってくれた名酒だった。守護聖の任は前例から見ると十年前後から三十年ほど続く。 まだ子どもともいえる年齢で守護聖になった場合は五十年……という例もあるが。
『十年で戻ってこられるんなら何とか待っててと言うよ。けれど……三十年だったら? だから待たないで、ね』そう言ってオリヴィエは恋人に別れを告げた。恋人は涙を一杯溜めた瞳で笑顔を作り『待たないわ、早く 次の恋人を作るわ』と答えた。その薔薇色の酒をオスカーの酒に注ぎながら「……結局さー、忘れられないのはワタシの方さ。このお酒、守護聖の任が解かれた時……彼女と一緒に飲みたかったんだ。ほーら結局、十年で帰って来られたねーっとか言ってさ」と情けない顔をして言った。
「お前にそんな恋人がいたとはなあ」
「アンタと違って実は純愛派なんだよ」
「俺だって……似たようなもんさ。さ、飲めよ、注いでやろう」
 オスカーは酒瓶をオリヴィエから奪い、空のグラスに注いでやる。その半分ほどの所で酒は空となった。
「もう、お終い? 本当に良いお酒だったね……」
「ああ。本当に美味い酒だったよ」
 オスカーとオリヴィエは、カチンとグラスを合わせ、酒を飲み干した。
「さあて……と」
 とオリヴィエが言った。
「俺、たぶんお前と同じこと考えてると思うぜ」
 オスカーが、襟元をキュッと直して言った。
「じゃ、行こうか?」
「ああ」
 二人は立ち上がる。
「お酒臭くないかな?」
 オリヴィエが口元に手をやりハァッと息を吹きかけて確かめた。
「これくらいほんの香る程度だろ」
「そだねー、別に誰かとキスするわけじゃなし、わかんないか」
 肩を竦めてオスカーとオリヴィエは笑いながら館を出た。回りの喧噪だけではない異常な空気に二人はすぐに気づいた。陛下の気が極限にまで高まっている。もう聖地の離脱は始まっているのだと、二人は感じ、顔、見合わせた後、偵察機の無粋なサーチライトによって照らし出された白亜宮へと急いだのだった。
 
 首座の守護聖として、またその礎となるサクリアを持つ者同士としてジュリアスとクラヴィスは共に静かに最期を迎えるつもりだったが、次々に現れた守護聖たちに驚き、笑い、そして涙ぐんだ。かつて原始の頃にそうしたように守護聖たちは円陣を組むようにして床に座り込む。そこは、 仄かな温もりのある土間ではなく、冷たい大理石だったが。
「端厳なる姿に聖地は還るのだな……」
 とクラヴィスが呟くと、それぞれは瞳を閉じ俯いた。もう誰も言葉は発しなかった。 ジュリアスは皆を見回した後、瞳を閉じた。
“サクリアは残る。新たな地で。この聖地自体が移行できるなら、この者たちの肉体も心も……どうか無事に……。この私が障壁となって守れるものなら!”
 決意を秘めてジュリアスは、サクリアを放つ。強い意思の元、前へと進み、決して振り返ることを良しとしない生き抜くための光のサクリアを……。
 そしてそれを守ろうとし、背後から迫り来る一切のものに対する障壁となるべくクラヴィスが闇のサクリアを放つ。

 人々は炸裂する光を見た。爆音もせず聖地を取り巻いていた騒音が消え、無音となった。外域連合の発した兵器によるものではないと誰もが瞬時に思えた。それほどにそれは神々しいものがあったからだ。巨大な光の塊が静かに上へと持ち上がる。飛んでいた偵察機は、思わず四方へと散り距離を取った。目映いばかりの 光の塊のさらに上空が、夜空よりも尚暗い漆黒に包まれた。空が割れ闇に飲まれる……と人々は思った。そこに光の塊は、吸い込まれていき、、最後の瞬間、落雷のような鋭い痛みを伴うような光の柱と変わり、 そこにあった聖地は掻き消えた。
 その後には静寂だけが残っていた。誰もが唖然とし、言葉を発することを忘れた。聖地の付近で騒いでいた者、その様子を中継でたまたま見ていた者、主星の星都に住む者から全域……、そして宇宙へと、 衝撃が、波紋のように、脱力感とともに喪失感が拡がっていく。主星星系から辺境の外域星系へと瞬く間に……。主星からの報道によってではなく人々は聖地が失われたことを、その本能を以て悟っていた。
 

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