東の地に住む者にとっては、クゥアンの太祖は神の如き存在である。後付けされたものだが彼の逸話は、幼い子どもの読み物にもなっている。他国の出身者であるオスカーやオリヴィエにとってもそれは同様だった。その伝説の人物が西からやって来た者であり、その名が
、『ジュリアス』だと明かされ……。
「う…そ……だ」
ジュリアスは、俯いたまま弱々しく呟いた。そして、もう一度、今度は顔を上げでハッキリとした声で「嘘だ」と言った。
「クゥアンの太祖の現存する墓は後の世代の王が建てたもので、その名すら伝わっていない。二千年ほども前の事を、そんな風に見たことのように言われても信じがたい。それに私と太祖が同じ名だとは作り話としか思えぬ」
ジュリアスがそう言うと、それまではやや離れた位置に立っていたシャーレンが彼の前に近づいて来た。
「僕たちは見たんだよ、ジュリアス。君も見たろう? 今、さっき、少しだけだけど心の中に見えただろう?」
「どういうことだ?」
「僕が見せたんだ。君に。君と同じ名前のクゥアンの太祖の姿を吹き込んだ。離れていたからほんの少しだけどね」
「見せた……だと?」
ジュリアスはそう言った後、ふいに黙り込んだ。先ほどふいに心に映ったその男の姿は、はっきりと心に焼き付いている。自らが想像したものとは思えないほどに鮮明だったことは確かだった。
「僕には自分の知っているものを相手に伝える能力がある。例えば、文才のある者は文にして、絵心のある者は絵にして。まあ、それだと正確に……とはいかないけれども。僕は、ほぼ正確に伝えることが出来るんだよ。だから君がさっき見た男の風情は、本当にクゥアンの太祖の姿なんだよ」
ジュリアスは言い返しはしなかったが、それを素直に信じた訳ではなかった。
「ねえ、ジュリアス。とりあえず、この話の先を聞いて貰えるかな?」
間近で顔を覗き込むようにして、シャーレンにそう言われたジュリアスは、仕方なく小さく頷いた。
「ノクロワ、続きを」
「ああ。……ともあれ、その男……もう一人のジュリアスの晩年は良いものだったようだ。再び子にも恵まれ、その子は良き後継者となった。国の太祖になった男の記録が、その名さえ残っていないのは意図的にだろうな」
「そうだと思う。大山脈を越えればもう聖地の手は届かないと彼は思っていたんだ。万が一の事を考えて、自分の死後、一族に何かあってはと墓碑銘も刻まず、一切自分の名を伝えるなと言い残したんだね。でも、どこに逃げたとしても、それは全て聖地の手の中にあるのだけれど……」
シャーレンが同情するように言ったその一言が、またジュリアスの感に障る。あの険しい山を越える旅は、命がけのものだったはずだ。その西から東へ遙かな長い旅路を、意味の無いもののように言うのは許せぬ……と。
そんなジュリアスの気持ちを無視するかのようにノクロワは話を続ける。
「今、話した事は、シャーレンと同じような力をお持ちになっていた前女王陛下からお見せ戴いたことだ。このようにして大切な記憶は、女王陛下と守護聖たちの間に伝えられている。さて、ここからは実際に私が見て、体験したことを話そう。嘘偽りはまったくないぞ、ジュリアス」
「勝手に話すがよかろう」
「気持ちは判るがそう投げやりになるな。お前にとっては大切な話なのだからな。さて、クゥアンの太祖となった男の死後も彼の裡にあるサクリアは、その血筋の者へと引き継がれて行った。これは闇のサクリアが教皇一族に継がれているのと同じだな」
その時、ノクロワの足元に座っていたルヴァが彼を見上げて、恐る恐る声をかけた。
「あのー……、血族間で継がれるのは光と……闇だけなんですか? えっと……私は……何でしたっけ? 土のサクリアとかは……」
「土じゃないよ、地だよ、大地の地」
シャーレンが笑い出す。
「は、はあ。申し訳ありません」
「ルヴァよ。継がれるは光と闇だけだ。その他は、それに相応しい人物の所に継がれる。何故、そうなのかはまだ後で説明してやろう。話を元に戻そう。クゥアンの太祖の死後、彼に匹敵するほどの強いサクリアを持つ者はなかなか生まれなかった。ただ何世代も穏やかに
ではあるがその力は継がれて行ったのだ。さきほどシャーレンが、酒に喩えたが、熟成を待つようにな。聖地は、ただその気配のみを感じているだけで一切の関与はしていなかった。やがて
時は流れて、お前の祖父の時代となった」
ジュリアスは、ノクロワを睨み付ける。今度は何を言い出すつもりなのか、と。
「お前の祖父は強いサクリア持っていた。と、同時に西の地で闇のサクリアを継いだ者、クラヴィスの祖父だな。彼のそれもまた強いものだった。先ほど、光と闇のサクリアは対になると言っただろう。その力の均衡は申し分ないものと思われたが、この二人を隔てるものがある限り、それは聖地が待ち望んだものにはならない」
「隔てるもの……」
ポツリ……と呟いたのは、一番端でひっそりと座っていたクラヴィスだった。
「初代ジュリアス自身の持つ気高さは、大山脈を越え、その地で王となって、より崇高なものへと移行し、もはやサクリアの欠片などとは言えないほどに大きなものとなっていた。判りやすく言えば、この世界には、陛下と我ら守護聖のサクリアが遍く降り注ぐものなのだが、最初のジュリアスの力が影響し、障壁となってしまったほどに」
「聖地から逃れようとしたのだ、そんなサクリアなど御免被る……と思ったに違いない」
ジュリアスは当然だろうといわんばかりに言い返す。
「サクリアの飽和状態さ。最初のジュリアスの中には、聖地なんかの力がなくても生きていけるっていう気持ちも強かったんだろうね。
でも、ぜんぜんサクリアが届かなかったわけでもないよ。届きにくかっただけさ。だから、西と東じゃ文明の進み方が違うだろ?」
シャーレンの言葉にルヴァが反応する。
「ちょっと待って下さい。それでは、西と東の文明差は、そのサクリアが届きにくかったせいなのですか?」
「そうだけど?」
シャーレンは、当然そうだという顔をし、ノクロワが説明する。
「サクリアの中には、文明の発達に関与するものもあるのだ。遍く降り注ぐ……と言ったが、それを受ける方によって、少なからず差が生まれる。聖地から遠く離れた所にあればあるほど、文明の進歩の度合いはゆったりとしたものになる傾向がある。この地は聖地に近しい所にあるが故に、サクリアの影響を大きく受ける。人の心も関係する。何の迷いも疑問もなく聖地を崇めている西の民と、その存在すら知らぬ東の民とでは、おのずと違っても来よう」
「西と東の格差が大きいと、バランス……均衡が保てなくなってくる。放っておけば、文明の進んだ西側は、東側に押し寄せて植民地にしようとしたりするんだ、きっとね。だから結界を張ったんだ」
シャーレンは大きく手を広げた後、丁度真ん中で遮断するような仕草をした。
「だから……大山脈の向こうは聖地の管轄だと、越えてはならぬと言い伝えたの……か?」
クラヴィスの呟きに、ジュリアスはグッと瞳を閉じた。
「また保護か? クゥアンの太祖を保護しようとしたように、今度は大陸ごと保護したと言うのか!」
高見から見下ろすようなその考え方と力に、ジュリアスはもう我慢がならなかった。思わず立ち上がり、ノクロワを掴みかからんばかりになってしまう。
ジュリアスの隣にいるオスカーは、ジュリアスに加勢すべく思わず剣に手をかける。だが、ノクロワは、凍てつくようなその視線だけでオスカーを止め、ジュリアスに負けないとほどの強い口調で言い返した。
「そうだ。いつの日かその結界さえも越えて、西の地にやって来る者が出ることを信じて聖地は今まで待ったのだ。お前だけの力ではそれは及ばぬ。お前と同じほど強い闇のサクリアを持ったクラヴィスの力も必要だった。座れ、ジュリアス。話はまだ終わっていない。お前の祖父はもっと物分かりが良かったぞ!」
「なんだと?」
「お前の祖父に、お前の母親を託したのは私だ」
グラリ……とジュリアスの体が一瞬、後に流れた。
「ジュリアス様ッ」
「ジュリアス!」
オスカーとオリヴィエがそれを支え、座らせる。
「お前の祖父は、我らを惹きつけるほどの力の持ち主だったが、西の地に興味を持ち始めた時には、既に老い始め、大山脈や大海を越えられるほど若くはなかったのだ。やがて彼のサクリアは、次代へと継がれようとしていた。彼には二人の子がいたな?」
「ツ・クゥアンと……ジュリアスの父上と……」
ジュリアスの代わりにオリヴィエが言った。
「サクリアは上手く継がれなかったのだ。一人に継がれるべき力が、三つに分かたれ、互いに微弱なものとなっていた。お前の祖父の力が強すぎたためだろう。せっかく二千年、待ったのに。……まあ聖地の時間ではもっと短いのだがな。ともかく、私たちにはもう時間があまり無いのだ、今ここでせっかくここまで継がれてきたものを失うことになるのは避けたい。お前の祖父を保護して聖地に連れて行こうかとも思ったのだがな、自らの意志で、西へ赴き、対となる闇のサクリアを持つものに出逢わなければ意味がない。丁度その頃、西である赤子が死に瀕していた。その赤子は生まれてすぐ熱病を患ったのだが、貧しい農家の末娘で、死を願われつつ生まれて来たのだ。家の裏庭で籠の中に捨て置かれ、ひっそりと死を待っていたのだ。この場合の保護は許して貰えるかな? ジュリアス?」
ノクロワの問い掛けにジュリアスは答えない。
「そんな風に死んでいく赤ん坊は珍しくないはず。なのに何故、その子だけ?」
またオリヴィエがジュリアスの代わりとなって言う。
「その赤子が特別の力を持っていたから。微弱ながら女王のサクリアをな。そもそも、ジュリアスよ、ずっとずっと遡れば、お前たち一族は、聖地に御座した女王陛下の血筋なのだ。その血筋故に、光のサクリアが継がれているのだ。
その赤子とお前たち一族とは遠い遠い血縁関係があると言える。もう悠長に待っている時間の無かった聖地は、お前の祖父に直接逢うことにしたのだ。彼が山脈の麓の国に視察に出た折りに、私は彼の元に降り立った。そして今この時と同じように話をしたのだ」
ノクロワは、ジュリアスの前に座り込んだ。
「この手の中にある女王の血筋の赤子を育て二人の息子のうちいずれかに娶らせて欲しいと。生まれた子は、分かたれたサクリアを受け止めるだけの強い力を持った子となろう、と。……すまぬな、ジュリアス。嫌な話だろう……。お前の誕生にすら我らが拘わっていたなどと」
ノクロワは、それまでのきつい口調ではなく、悲しみの含んだ声でそう言った。
「上の息子には既に婚約者がいる。下の息子にはいないのでこれに娶らすと彼は約束してくれた。そして、生涯その事は口外せぬと。やがてお前が生まれた。その日の事を私ははっきりと覚えている。セレスタイトの前任である光の守護聖と女王宮殿へ向かって歩いていたのだ。二人して立ち止まり叫んだよ。聖地にいる我らにもそれが判るほどに強く、強く。お前の祖父と彼の二人の息子との間に分かたれていた光のサクリアが、お前に集結した瞬間だった」
ジュリアスが祖父から聞かされていた話では、モンメイ視察の折に、大山脈の麓の森に足を踏み入れ、金の髪を持つ女の赤子を拾ったことになっていた。それはクゥアン正史にも事実として書かれている。だが、訥々と語るノクロワの話を否定することは、もうジュリアスには出来なかった。
「祖父が……私を名付けたのだ……ジュリアスと……」
「そう。だからクゥアンの太祖となったあの男とお前の名が一緒なのは、偶然でも作り話でもないのだ」
長年知りたかったはずの答えがさらけ出されても、ジュリアスの心は晴れない。聖地へのわだかまりと、さらなる疑問が重く心にのし掛かってくるばかりだった。
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