第二章 再 会

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 日が暮れる。ジュリアスたちにとって、西の大陸で過ごす初めての夜がやって来る。船着き場がすぐそこに見える位置に、碇を降ろした船の甲板では宴が始まっている。村長は、ジュリアスたちに、教皇庁から連絡が来るまで船上に留ることだけを約束させると、食物と酒を差し入れて帰って行った。
 騎士団の者や水夫たちは、久しぶりの酒と新鮮な食物に上機嫌で、円陣を組んで座り込むと、歌え踊れの大騒ぎをしていた。そんな看板の片隅で、ジュリアス、オスカー、オリヴィエ、それに騎士団長とラオ、航海士長の集まっている一角だけが異様に静かだった。皆、その表情が固い。その場にいる誰もが何かを言いたげにしているのだが、酒や食事の味を褒める程度の差し障りのない会話がずっと続いている。
「どうも……すっきりしませんな」
 その雰囲気に堪りかねてラオが口火を切った。皆の視線が一斉に彼に集まる。
「そうだね……。あの村長も漁夫も、食べ物を持ってきてくれた村人も、親切にしてくれてはいるけれど……」
 オリヴィエは、手にしていた杯を置いた。
「そうだな。なんというか……」
 オスカーは、その言葉の続きを、ジュリアスを気にして言い淀んだ。
「……見下されている気がする……と言いたいのであろう?」
 ジュリアスは、あっさりとそう言うと、持っていた杯に口を付けた。
「え、ええ。丁寧な物腰なんですが……」
「確かに我らは今、食料もほとんど持たぬし、身なりも薄汚れているから、そのせいで見下されているのかと思うたのだが、どうもそんな感じではないように思うのう」
 ラオの言葉に、皆は頷く。
「村長も村人も、ワタシたちに礼を尽くしているんじゃないよ。教皇様とやらの命があるから、親切にしてくれているに過ぎない……、そんな気がするんだけど」
「オリヴィエ様、自分もそう思います。逆の立場で考えれば判ります。例えば、ジュリアス様から、西から客人が来たら手厚く持てなすよう命令されたなら、どんな連中が来ようとそうしますから」
 騎士団長は、ラオの空の器に酒をつぎ足しながら言った。
「さよう。ここの連中にとっては、教皇様が絶対なのじゃな。どのような人物なのだろうな。よもや、ただの暴君で、恐れられているだけなんてことはないだろうが……はたして……」
「村長は、教皇は尊いお方と言ってたな?」
 オスカーは、隣に座る騎士団長に確認する。
「教皇様は特別の力で、我らが来ることが判っていたのだと、村人が言ってるのを聞きましたが……」
 航海士長は、先ほど食べ物を運んできた村人の会話を思い出す。
「特別の力? 遠見の能力でもあるんじゃない? きっと、隠者みたいな風貌で、床まで届くような白髭で……」
 オリヴィエは、半ば冗談で言ったつもりだったが、皆は真顔で頷いている。
「いや。そのような老人では無いと思う。ずっと考えていたのだ。オスカーとオリヴィエには前に話したであろう? 私が昔、大山脈の向こうからの【声】を聞いたと」
 ジュリアスだけが、それを否定する。
「大山脈の向こうからの声って、何ですか?」
 騎士団長と航海士長が、驚いた風に身を乗り出した。
「十年ほども前になろうか……、私がまだ少年の頃のこと……」
 ジュリアスは、彼らに忘れがたいのその体験について語った。

「その声の主が、教皇じゃないかと思ってるんだね?」
「そうだとすれば、彼……教皇には、いずれ我らが来るかも知れないと判っていても不思議ではなかろう」
「あの大山脈の向こうからジュリアス様の心に語りかけてくるとは、人智を越えた能力の持ち主だのう。こう言ってはなんだが、何か恐ろしい気がするわい」
「あの……ジュリアス様。もしそうだとしたら、どうしてその教皇は、我らが来るのを待っていたんでしょう? つまり……あの、自分たちの方から、我らの所に来ればいいではないですか」
 航海士長は、何か怒ったような口調でそう言った。
「どうなされたのだ? その様な物言いで?」
 彼の隣に座っていた騎士団長が宥める。
「申し訳ありません。つい……。実は、あの……船着き場には、別の船が何艘か停まっておりましたでしょう?」
「ああ、小さな船が止まっていたな。俺たちの為に場所を空けてくれた。もう少し先の船着き場に移動させたようだが」
「漁夫に聞きましたが、あれは、皆で漁に出る時に使う漁船なのだそうですが、チラリと見ただけでも大した造りをしていました。褒めると、あの漁夫は、その船は古い型なのだと言ったんです。そして、我らの船を見渡して、よくこんな船で荒海を越えて来たと感心したんですよ。クゥアン随一のこの船を、こんな船でと……」
 航海士長が悔しそうに俯くと同時に、オスカーの眉がピクリと動いた。なんだと? と声をあげたいのを堪えて、話の続きを聞く。
「それで、私は思わず、では、西では、一番大きな船はどれくらいの大きさなのかと尋ねましたら、倍はあると。そして、大きさはともかく、この船の造りでは、横風には不安定過ぎるだろうし、舵も風まかせになってしまう、と呆れたように言いました。ともかく彼らの造船の技術が高いことは判りました。そんな良い船があるなら、自分たちの方から東に来れば良いではないですか?」
 航海士長は、漁夫と接してから腹に溜めていた事を話し終えると、大きく息を吐いた。
「ねえ、ジュリアス。船だけではなくて、あらゆる面で、西の方が文明が進んでるんじゃないかな? 食べ物を持って来てくれた村人の服を見た? 薄汚れてはいたけれど、目の詰まった良い布地だったし、襟元の留め具も繊細な造りをしていた。無造作に果物を入れてあった籠も、見事に編んであった」
「向こうさんから見れば、俺たちは、田舎者に見えてるって理由か? 教皇の命令のせいもあるが、施しの必要な粗野な者たち……と同情されているのかな、俺たち?」
 オスカーの言葉に、ジュリアスは静かに頷いた。
「そういうことであろうな。だが、良かったではないか? ここが言い伝えのような魑魅魍魎の住む場所ではなくて。クゥアンより高い文明を誇るのならば、得るところも多かろう。その教皇とやらが、自ら私たちの地 にやって来なかった理由は、彼に直接聞けば良い。ともかくも、私たちは、あの大海を越えてきたのだ。何ら恥じることなく堂々としていればよい」
 ジュリアスは、ぐいと杯の酒を飲み干した。
「その通りじゃのう。さあ、腹に溜まっていたものを吐き出したからには、気持ちを変えて腹を満たそう。さあ、ジュリアス様、もう一杯」
「うむ」
 ジュリアスに酒を注いだラオは、続いてオスカーの杯にも、酒を注ぐ。
「しかし……美味い酒だなぁ、これ」
「まったくじゃ。甘露とはこのこと。これの造り方を誰かに教わせねばならん。それだけでも大した収穫じゃ」
 ラオは、酒瓶をしげしげと眺めて言った。
「ここまで来て、酒の造り方だけじゃ、どうかと思うよー」
 オリヴィエが笑うと、航海士長が「私は造船技術を学びとうございます、ぜひっ」と身を乗り出した。
「判った。教皇庁からの連絡を待って、今後の動きが決まったら申し入れてみよう」
 ジュリアスは、軽く笑いながら、そう言うとスッと立ち上がった。
「確かにこの酒は美味だ。……飲み過ぎたかも知れぬな。少し風に当たってこよう」
「俺もちょっと酔いが回って来ましたので、お供します」
 オスカーも立ち上がる。
「酔いが醒めたら戻っておいで。まだまだ、ワタシはラオと飲み比べ」
「負けませんぞ、オリヴィエ様」
「そなたたち、ほどほどにな」
 ジュリアスは二人に笑いかけると、オスカーと共に甲板を一回りした。そこかしこに水夫や騎士たちが、それぞれこの時を楽しんでいる。
「賑やかだな。甲板では静かに風に吹かれることは叶わぬか……」
「船内に留まるように言われましたが、降りますか? 船着き場の中にいるだけならかまわんでしょう」
 ジュリアスが頷くと、オスカーは縄梯子を降ろし、素早く先に艀船に乗り込み、櫓を掴んだ。
「ジュリアス様、お気をつけて」
「オスカー、そなた、酔いなどまったく回っておらぬではないか?」
 ジュリアスが笑うと、オスカーは頭を掻いた。
「ジュリアス様こそ、飲み過ぎてなどいらっしゃらない」
「そうだな、だが、気分が高揚しているのだ……」
 ジュリアスの呟きに同意すると、オスカーは、船着き場に向かって漕ぎ出した。ほんの数分漕いだだけで小舟は、船着き場にたどり着く。夜の砂浜は思いの外、明るい。満天の星空が白い砂をぼんやりと光らせている。碇泊している船が灯している幾つもの灯りがチラチラと揺れている。水夫の大騒ぎが風に乗って聞こえてくる。
「こうしていると、ここはインディラの港とそう変わらぬのにな」
「ええ。たぶん、一緒なんですよ。海も、山も、草原も。元からあるものは皆。東にクゥアンやモンメイがあって、それぞれの王が治めているように、西にも国があり王がいるとあの村長は言いました。教皇というのが、皆から崇められ尊敬されている王以上の存在というのなら、それはジュリアス様と一緒じゃないですか。皇帝と教皇、呼び名が違うだけだ」
 オスカーは、先ほどとは気持ちが入れ替わったように力強くそう言った。ジュリアスはそんなオスカーに微笑む。
 そして……。ふと、見上げた夜空に。
「オスカー、やけに明るい星が見えるな、ほら、あそこに」
「おや? そうですね。あんな星、船の上から見えませんでしたよね? 位置の関係か……いや、そんなはずありませんよね」
 オスカーは、辺りをぐるり、と見渡して首を傾げる。
「東でも見えなかったな。何という星なのだろう……今まで見たこともない、美しい輝きだ」
 その眩い輝きを放つ星の名が、『聖地』というのだと、彼らが識るのは数日後、教皇庁からの使者と、まみえてからの事となる。
 
 

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