大聖堂の鐘が鳴り始めた。
十ある鐘が、順を追ってその音色を響かせる。午後五時を知らせるその鐘を合図に、人々は、仕事を切り上げて家路へと急ぐ。通りで石蹴りをしていた子どもたちが、慌てて自分の石をポケットに仕舞い込み駆けていく……。
四方を濠と木立塀で取り囲こんだ教皇庁の敷地内にも、そんな人々の暮らしの様子が聞こえてくる。いや、壮麗な大聖堂や、教皇の居住区になっている城のような建物の中にいる限りは、そのような世間の喧噪は聞こえはしない。商人や下働きの者たちが出入りする裏門あたりの庭付近だけは、塀も濠も低くなっていて
、それが洩れ聞こえてくるのだ。その裏庭の一角に、質素な石材と材木で造った古い祠……旧聖堂がある。かって、ようやくこの地に、聖地信仰が芽生えた頃、神官がそこで聖地という存在を人々に説いたのではないか……と謂われている場所だった。いつの時代からか、それは立派な大聖堂に建て替えられ、増改築を繰り返し、現在のような高い尖塔を抱く見事なもの
になった。そして、古く小さな聖堂は、訪れる者も滅多にない寂しい場所となっていった。
その旧聖堂の中で、外の世界の夕刻の騒がしさを感じながら、日が完全に沈みきってしまうのを待っている少年……クラヴィスがいた。整った顔立ちと、肩まである真っ直ぐな黒い髪、それに釣り合った同じ様な色の瞳は、虹彩に僅かに紫紺の光を宿している。身に着けているものは、教皇の第二子に相応しく
、華やかで質の良いものだった。育ち盛りの少年らしからぬ、雲間に隠れる月のような、儚げで控えめな風情でクラヴィスは、息を潜めるようにして、薄暗い古い聖堂の中に佇んでいる。
何もかも美しく豪華に整えられた教皇庁領の中で、唯一の自分の居場所……彼はいつの頃からか旧聖堂に居心地の良さを感じ、夕刻の一時をそこで過ごすのを日課のようにしていた。日が落ち始めると、クラヴィスは、古ぼけた木の長椅子に座って瞳を閉じる。
すると、瞼の裏に漆黒の空間が、広がっていくのを彼は感じるのだった。すぐ間近にあるように見える心の中にあるその場所は、静かでありながらも、強いエネルギーに満ちあふれている。夢見がちな年頃の少年の、単なる想像の域を遥かに超えたリアルさで、それは
クラヴィスの心に映し出されている。その中を彼の意識は漂い続ける。ふいに深い悲しみが、彼の間際を通り過ぎていく。誰の、どんな思いかは判らないけれど、それが、早く癒されればいいのに……と彼は願う。
その時、彼の深い裡から、静かに、波紋が広がるように滲み出てくるものがある。クラヴィス自身は、まだ気づかないそれは、聖地より賜ったとされる力であり、教皇の証でもある『闇のサクリア』と呼ばれるものだった
が、まだ彼はその名称すら知らない……。
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