スイズ城の門前で、一人の農夫が、兵士に捕まえられ追い払おうとされている。彼は、手にした嘆願書をせめて王に渡して欲しいと絶叫しているが、他の衛兵たちは誰も見て見ぬふりをしている。まだ年若い衛兵が、やりきれない顔をして見ていると、農夫は、自分を掴んでいる兵士の手を振り解き、若い衛兵の元に走った。そして、くしゃくしゃになってしまった嘆願書を彼に押しつけた。直ぐさま、兵士たちが彼を取り巻き、今度は容赦なく、警棒で殴りつけると男を引きずって去っていった。
「あ、これ……」
若い衛兵は自分の手に託された嘆願書を唖然としながら見つめた。
「バカ、そんなもの、早く捨ててしまえよ」
別の衛兵が声をかける。
「でも……」
「お前は新入りだから知らないだろうが、前にも何度か似たようなことがあったんだ。それが内務大臣の手にまで渡ってでも見ろ、門前の衛兵の警備に抜かりがあったとして、咎めを受けるのは俺たちなんだぞ」
それを聞くと若い衛兵は、慌てて自分の手から嘆願書を放した。風がすぐにそれをさらっていく。交代の為に隊列を組んで歩いてきた別の衛兵たちが、それが、農夫が飲まず食わずで何日も歩き続けて届けに来たものであることなどまったく気づかずに踏みつけてゆく……。
スイズ城の王妃のサロンでは、門前の広場の出来事など、爪の先ほども気づいていない王族たちが、珍しく一堂に会して茶会を開いている。王座を巡っての争いが表面化してからは、こうして王妃、寵妃と二人の王子が顔を揃えることはほとんど無かったのだが、一月ほど先にある王の誕生祝賀会の打ち合わせで集まらざるを得なかったのだった。打ち合わせ……と言っても、王妃の主導権の元、祝賀会の内容は既に決められており、その事を誇示するために寵妃と中の王子は、呼びつけられただけなのだが。
「一月後……というと、もしかするとダダスとの戦いに決着がついていませんかね? そうすれば、祝賀会も二重の喜びとなり盛大なものに出来ますよね」
上の王子がそう言うと、「ま、お気楽なこと……」と寵妃が呟いた。
王妃がキッと彼女を睨み付けた。
「秋から激化した戦いを春先には決着をつけると言っていたのは、中の王子ではなくて? もう初夏ですわよ。手こずっているようね。若い貴方にダダス戦の参謀総長など荷が重すぎたのではなくて?」
王妃は、中の王子に向かって容赦なく言った。
「まあまあ。あれだけの大国を相手にしているのだから。私はむしろ半年ほどの間にここまで優勢になっているのはよくやってると思うぞ」
王が、王妃を諫めると、寵妃は勝ち誇ったように微笑んだ。
「とはいえ、本当にそろそろ決着をつけないと、大変なことになるんじゃないのかなあ? 最近、地方の農夫たちが五月蠅いそうじゃないか? それに鉱山でも事故や暴動が起きたとか聞くけれど?」
上の王子は、その内容の深刻さも判らずに、おっとりとした口調で言った。
「そうですわ。ダダスに勝っても、民から足元をすくわれるようでは何にもなりませんのよ?」
王妃は、すまし顔でお茶を飲んでいる中の王子がどう答えるかを待った。
「ご心配には及びません。農夫たちの騒ぎなどごく一部ですし、まあ、近いうちに、戦いに勝利の目処が立ったと報告すれば、すぐに門前で、国王万歳の声が上がりますよ。鉱山での暴動も、むしろ良かったと私は思っているんですよ」
中の王子は余裕のある態度を崩さない。
「暴動で、二つの採掘現場が使い物にならなくなったって聞いたぞ? 事故の現場では、死者もかなりでたのにそれがどうして良いことなんだ?」
「暴動を起こした鉱夫は、全員解雇しました。もちろん賃金は未払いのままでね。事故での死者は、教皇庁から見舞金が出ますから、こちらは関係なし。つまりは、一切、損することなしに人員整理が出来たわけです。足りない人員は、ダダスの捕虜で補完してますからね。使い物にならなくなった現場も、すぐに再開されるでしょう。農作物の不出来も、鉱山から得た利益で充分補填できる計算です」
それを聞いた上の王子は、鼻息荒く「ふん」と言った後、黙り込んだ。
「前線からの報告によると、ルダは、ほぼ手中に収めました。戦いはダダスとの国境付近にのみ。今、第五次徴兵を大規模に行っています。徴兵の年齢を十四歳にまで下げましたからね。それと体格の良い者は特例として十二まで」
「なんですって?」
王妃は、声を上げあからさまに非難した。
「なあに、別に戦わそうというわけではありませんよ。衛生兵という名目で。数のうちです。一気に兵を送り込み、ダダス王都を取り囲むのに使うだけです」
「でも兵は兵じゃないか……」
「お優しいですね、上の王子は。アジュライト、そういう所は、貴方も見習わないといけませんね。人の上に立った時、下の者にも労りの心を持たなければ、ね」
寵妃の含んだ言い様に、王妃は我慢が出来ずなんとかしてやりこめてやりたい気持ちを高ぶらせていた。王はむしろ、中の王子の情け容赦ない戦略を評価しているようで、それを云々言うことは不利のように思えた王妃は、リュミエールの事を持ち出し、王の情に訴えかけようとした。
「時に……末の王子のことですけれど、行方について何か判りまして?」
そんな母親の真意をすぐに読み取った上の王子は、追い打ちをかけるように言葉を足した。
「可愛そうに……。戦火が強まった時にすぐに連れ戻せば良かったものを……」
またその話しか……というようにアジュライトは、鼻先で微かに笑った後、神妙な表情を作った。
「仕方ありませんよ、あれも王族なのですから。国と国との事を承知しているからこそ、自ら望んでルダに留まると言ったのですから。国から一歩も出ないで外交を上手く収めようとするよりは立派なことだと思いますがね?」
「なんだと?!」
上の王子がテーブルをドンと叩いた。
「別に兄上の事を言ったのではないですよ。例えば、です」
「末の王子がルダに留まると言ったのは、お前が、帰るなと言ったからではないのですか?」
王妃は、怒りで震える声を抑えて言った。
「教育係のルダの文官と懇意になって、留まりたいと言ったのは末の王子ですよ。その文官が視察に出るのに、勝手にルダ城を抜けだしてついていったのも末の王子の我が儘。そのあげく行方不明になったんだ、自業自得ですよ。それが、ダダス軍に拉致されたと噂が先走っている……それだけのことですよ」
「その噂、お前が流したものなんだろう? 軍の士気を高めるために」
「さあ……。でもまあ、そのお陰で、ルダの中央戦が弔い合戦と称され圧倒的勝利になったのは事実ですけれどもね」
中の王子のしゃあしゃあとした言い様に、上の王子は再び閉口してしまった。
「アジュライト。本当にリュミエールの行方は判らないのか?」
王は、その事だけは気に掛かる様子だった。
「ええ。もしも本当にダダス軍に拉致されているとしたら、当然何か言ってくるでしょうし、見せしめに亡き者されたとしても何か動きがあるはずですからね。戦いにでも巻き込まれた……と見るしか」
「リュミエールが懇意にしていたというルダの文官についてはその後どうだ?」
「行方不明のままです」
「二人がどこかに潜伏しているということはないのですか? 貴方のやり方に嫌気がさして。末の王子は優しい子ですもの。戦いの状況に耐えきれずどこか静かな所……例えばそのルダの文官の家にでも引き籠もっているとか?」
王妃の言葉を、アジュライトは鼻で嗤った。
「ふふん。末の王子ならありそうですね。ですが、その文官の故郷の村は、戦いに巻き込まれ崩壊したようですよ。それに竪琴をつま弾くしか出来ないリュミエールが、食べ物もろくにないルダの田舎でどうやって生きていくんです?」
中の王子がそういうと、さすがの王も眉間に皺を寄せた。
「私だって弟の事を案じていないわけではありませんよ。今でも探すように命令は出しています。でもあれからもう随分経つのだし、諦めも肝心でしょう? この戦いが終わったら、影の英雄としてリュミエールの名を冠した音楽堂を建てて、その御霊を慰めてはどうでしょう? その為にも早く戦いに決着をつけたいわけです」
中の王子は、如才ない物言いで王の心を掴む。
「そう……だな。リュミエールも、幼子ではないのだから、無事、生きているものなら何としても、ここに戻ってくるはずであろうし。ともあれ、秋までには戦いをなんとしても終わらさねばならぬのでな……」
王の最後の呟きを、王妃と寵妃は気に留めた。
「どういうことですの? 何か特別な意味がありまして?」
「うむ。ジェイド公から内々に聞いたのだが、秋に教皇様が代わられるらしいのだ」
「まあ、それでは、いよいよセレスタイト様が?」
「ジェイド公は、はっきりと言葉にはしておらぬが、あの上機嫌から見てそうだろう。教皇様もダダスとスイズの戦いにはお心を痛めておいでになるご様子とか。もし秋まで戦いが、長引くようであれば、新教皇様即位式の為に一旦停戦に入らねばならんからな」
「そういえば、教皇様のもうお一人の皇子はどうなさったのかしら? そろそろ成人なさるのでは?」
王妃は、何気なく言った。
「随分前に……セレスタイト様の成人の儀の折に垣間見たきりだが、ご病気だと伺っているがな。だが、まあ、セレスタイト様の即位式と同時に、成人の儀をされるのではないか? 他国への披露目もその時にされるのであろう」
そう言った王の傍らに、中の王子は、つつ……と歩み寄る。
「これから秋にかけては祝い事ばかりになりますね、スイズにとっても、ね」
それには自分が王位を継ぐことも含まれているのだと言わんばかりの態度でアジュライトは言った。
「ああ。その為にも、この戦いを早く終わらせ、正式にルダを手に入れてくれ」
「御意」
アジュライトは、軽やかな笑顔でそう言うと、それ以上はこの場にいても無意味……とまでに一礼し、退室して行った。後を追う寵妃の足取りも軽い。王も、また立ち上がると上機嫌のままに去っていった。もう打つ手のない王妃と上の王子は、悔し涙さえ浮かべて、縋るように王の後姿を見つめるのだった。
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