王都に入る直前に流れているスイズ河。国の名の由来にもなったその河は、北東にある湖から南西へとゆるやかに蛇行しながら流れている。さほど大きな河ではないが、幾つもの支流に別れており、スイズ内陸部を豊かに潤していた。
ジンカイト、スモーキーたちより先行してこの川岸に向かったゼンとマヴィスは、まだまだ朝の開けやらぬ時刻に、既に河が星明かりに望める所まで辿り着いていた。
「この街道をそのまままっすぐ行けば橋に出るんだ。渡れば王都。だが、橋の手前に検問があって、すぐ近くに兵舎もある」
「この河、深いのか?」
「いや、それほどでもない。今は特に水量も低いしな」
「特に何もないみたいだなあ……あ、あそこ」
ゼンは、川原にごく小さな灯りが揺れているのを見つけた。灯りは、しばらくの間チラチラと揺れた後、すぐにかき消えた。
「あれ煙草をつけた火じゃないかな? 余所の村の仲間じゃないのか? 行ってみる?」
ゼンたちは、そっと土手を下り、灯りの見えた方向に忍び寄った。茂った枯れ草の合間から覗き見ると、 煙草の小さな赤い火が見え、それを吸っている者がいる。全部で十人ほどの者がその場にいた。辺りは暗くはっきりとは見えないものの、着ている物は、貧しい労働者のそれと判る。男たちは、ゴロリと横になったり膝を抱えたりして座っている。
「兵士じゃないぜ……」
「ああ、声をかけてみるか……おい……」
背後から声をかけられて男たちはいっせいにその方向を見つめ、怯えたようにその場に固まった。
「誰だ?……南の……村の者か?」
しわがれた老人の声がした。
「そうだ。南部の山間地帯の村から来たんだ」
「ジ、ジンカイトさんか?」
その名が出たことでゼンたちもホッとする。
「違う。俺はマヴィスってもんだ。ジンカイトの仲間だ。先行して様子見に来たんだ」
「そ、そうか。良かった。儂らは、東の湖水地方の村の者だ。まだ誰もいねぇから、嘆願書を大勢で渡しに行くなんて騙されたんじゃないかと不安だったんだ……」
「嘘じゃねぇよ。もうすぐやって来るさ。俺の仲間……鉱夫たちも一緒なんだぜ」
ゼンは少し得意気にそう言った。
「鉱夫?」
「ああ、鉱夫たちもいろいろと願い出たいことがあるんだ。途中で合流したのさ」
「なあ、ジンカイトさんの話じゃ、他の地方の村の連中も合流するって聞いたから儂らも代表としてやって来たんだが本当にそんなに大勢集まるのか?」
老人は、マヴィスを不安そうに見た。
「本当だぜ。馬で郵便配達人のふりをして、方々を回ったんだ。どの村もいっぺんや、にへんは嘆願書を王都に送ってるだろ? けど返事はおろか王の目に留まったかどうかさえ危うい。大抵は途中で役人に見つかり、運が悪けりゃその場で処刑されたってこともある。
けど、大勢で行けば、途中でもみ消されることもないだろうしな。なんたって教皇庁はスイズ王都の中にあるんだぜ、きっと必ず教皇様のお耳にも入るんだから」
「そうか、なら心強い」
老人とその仲間たちは、互いに頷き合った。
「もうじきジンカイトさんたちもここに着く。それまで少しでも眠っておこうか」
老人は仲間を促し、自分も横になった。ゼンたちも同じように体を丸めて寝ころび、瞳を閉じた。
しばらくして、地平の彼方がやや白く明けだした頃、マヴィスはそっと体を起こした。ゼンも男たちもまだ眠っている。マヴィスは、ポキポキと肩や首の関節を鳴らして解した後、用を足すために、その場から離れた。川の対岸の向こうは、一応、王都内ということになる。まだ外れだが、ぽつりぽつりと家の屋根が見える。マヴィスは、ぷらぷりと歩きながら、頃合いの雑草の中に入り、用を足した。その時、ゼンたちがいる場所で叫び声がした。ハッとしてマヴィスは振り向いたが、雑草に阻まれ何なのか判らない。そっと草を掻き分けて、様子を伺ってみると、数人のスイズ兵が、ゼンたちを取り囲んでいるのが見えた。怒鳴り声がマヴィスの位置からも聞こえる。何をとしているのか? と問われているようだった。釣りの道具でも持っていれば川魚を捕りに来たとでも言い分けが出来ようが、彼らは自分の身の回りのものを入れた小さな布袋だけしか持っていない。それと嘆願書……。
「やっぱりだ! お前たち嘆願書を出すためにやって来た農夫だな?」
スイズ兵の一人が老人の荷物の中から、嘆願書を見つけて突きつけている。
「そ、そうでございます。げ、減税のお願いに。そ、それと、儂らの村では男手のほとんどを取られ、今年は畑も思うように作れず、ぜひ補助金を……」
「男手が取られた? じゃあ、ここにいる男たちは何だ? 嘆願書を大勢で出しに来る余裕があるなら、とっとと帰って畑仕事に従事したらどうだ?」
「もしや、お前たち、徴兵されたのに出頭していない者じゃあるまいな?」
スイズ兵は、容赦なくそう言うと男たちの顔を見渡した。ゼンを除けば皆、そう若くはない。
「ここにいるのは、そこそこ年寄りばかりですし……、あ、足が不自由な者もおりますし」
老人は彼らを庇いそう言った。
「ふん。けれど徴兵が免除されるほど年寄りなのは、お前くらいのもんだろう? まあ、いい。兵舎まで来て貰おうか?」
「へ、兵舎まで? そんな。嘆願書のことはもう諦めますんで、見逃して下さい」
「年寄り一人なら、見逃してやることもあるがな、この人数で来られちゃあ、そうはいかないんだよ。お前らの中に徴兵逃れしようとしているヤツがいるかも知れんし、最近、自棄になって暴動まがいの行動を取ろうとする連中もいる。きつく取り締まるよう上からも言われてるんでな」
「さあ、立て!」
ゼンたちはスイズ兵に、無理矢理、立たされると後手に括られた後、取り囲まれたまま、連れて行かれた。
“大変だ……”
一部始終を見ていたマヴィスは、冷や汗を掻きながら、彼らが行き過ぎるのを待った後、一目散に街道を後戻りした。夜は明け、辺りは随分明るくなっている。一刻も早くジンカイトに伝えなければと、マヴィスは力の限り走り出した。
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