「すまぬ。回りくどい言い方をしたな。教皇よ。この者は……その身に、サクリアを宿しているのだ」
闇の守護聖は、皇妃が抱いているセレスタイトの顔を見つめながら言った。
「せ、聖地からのお力をセレスタイトが? で、では、クラヴィスは、クラヴィスはまさか死んだと!?」
「クラヴィス……それは、そなたのもう一人の息子のことだな?」
「はい、私の、聖地よりのお力を継いだ者でございます。数年前から訳あって行方がわからなくなっております。クラヴィスの身に何か! それでセレスタイトに聖地からのお力が移ったのですか!」
教皇は、もはや動揺を心中に隠すことが出来なかった。思わず中腰になり、闇の守護聖の足元に縋らんばかりの姿勢になる。闇の守護聖は、右手をスッと前に出し、教皇を制した。
ふいに……と目に見えぬ何かが、そこに存在したように教皇は感じ、再び腰を引き、床に座り込んだ。
「セレスタイト。この者がその身に宿したのは、光のサクリアだ」
それまでの闇の守護聖の余裕のある穏やかな表情が、一瞬、揺らいだ。
「光の……? あの……それは一体どういうことでしょう?」
教皇は不安気に尋ねた。
「守護聖は、生まれながらにして守護聖ではない。私はかって、とある星の平民の子として生まれた。父も母も工場で働く貧しい家の生まれだ。十歳の時、聖地よりの使者が参って聖地に召還されたのだ。次代の闇の守護聖として」
「守護聖様は、世襲ではないのですか? 血筋や身分に影響されずに選出されると?」
教皇の問いかけに彼は頷いた。
「そう。むろん、聖地の会議の席で選ばれる訳でもないぞ。“サクリア”自身が、それを決めるのだ。ある時はゆっくりと時間をかけて、ある時は瞬時とも言える間に、何時、どのように、サクリアが次代へと移るのかは、我々とて知るところではない」
「で、では、光のサクリア……がセレスタイトを選んだと?」
皇妃が、掠れた声で呟いた。
「極めて異例なことではある。総じてサクリアは、成人するまでの若い者に移行することが多い。この者のように成人後しばらくの後、しかも病魔に冒された者の身に突如として宿るとは……。聖地では大騒ぎであったぞ」
先ほどの闇の守護聖の表情の揺れの原因がここに由来するものであったのか……と教皇は思う。
「この者が、光の守護聖の次代だと判って、聖地では少しそなたたちの事を調べさせて貰った。遠眼鏡で覗き込むように見たのではないから安心せよ。今のお前たちでは解せぬ科学の……ある手段によって、とだけ言っておこう。光のサクリアは、人に誇りを与えるとされるサクリアだ。誇り……、人が人としてあるための理性である。本能のままに生きるならごく単純な生命体と変わらぬからな。光のサクリアなくしては高等な生命体への進化は出来ず、文明は生まれない。すなわち、光のサクリアは、人の
生きる力に関与するもので、私の闇のサクリアとは一体を成す。守護聖の力のうちでも根本となるべきものだ。セレスタイトは、元々、光のサクリアの資質を持って生まれたのであろう。心正しく、正義感に溢れて。そういう者は多くいるが、それだけではなく、教皇の息子として生まれたことで、ますますそういう面が磨かれたのであろう。そして、欠片と言えども闇のサクリアを持つ
、そのクラヴィスという兄弟の影響を受けた」
「クラヴィスの影響?」
「いかなる事情かまでは判らぬが、クラヴィスは、しばらくこの地より離れているようだが、その事もセレスタイトの裡に変化をもたらせたと考えられる。元来、光と闇のサクリアは、干渉し合うものなのだ。
近くにいては判らぬことも、一旦退いてみれば、その輪郭がはっきりと判るように、離れたことによりお互いの力が、際立つことになったのだろう。それと、もうひとつ、この異例の事態が起こった原因に関して推測できることがあるが、それは、
今、そなたたちに話す段階ではない」
闇の守護聖は、自分の言葉に必死で耳を傾けている二人の心を見透かすように見つめ返した。騒ぎ立てずにじっとしているのが精一杯という感じである。闇の守護聖は、聖地からここへ来る間際の、光の守護聖との会話を思い出していた。
『聖地への知識と関わりが、中途半端にあるだけに厄介かも知れぬぞ。聞きたいことは山のようにあるだろうからな。だが、それらに答えてやる必要はない。聖地という枠に囚われてしまうからな。今までのようにゆるやかな憶測の中で、彼の地の者たちは、彼の地の者なりの生き方をするべきなのだ』
『わかっている。それに、いちいち答えている時間もないだろう。お前にとっても、セレスタイトとかいう者にとっても』
本来ならば次代の召還は、前任者がすべきことである。だが、前例から逸脱したこの交代劇に、光の守護聖は体調を崩し伏していた。青白い顔をして、それでも執務室の机の前から離れようとしない彼に、すぐに戻るから少しは横になるように告げて闇の守護聖はここにやって来た。
「教皇よ。恐らく、そなたは聖地とこの地の関わり、自分の一族が闇のサクリアを持っていることについて、数々の疑問を抱いていることであろうな。だが、今はそれについては、答えてやることは出来ぬ。もう時間もないのだ。現段階では、聖地にいる光の守護聖とセレスタイトは、光のサクリアを二分して共有していることになる。この者の不調は、聖地にいる守護聖の不調の原因でもあるのだ。一刻も早くセレスタイトを聖地に召還し、手当を施さねばならぬ
。手遅れになってしまわぬうちに」
闇の守護聖は、セレスタイトを抱いて座っている皇妃の目前に、腰を屈めた。そしてセレスタイトをこちらに引き渡すようことを示唆するように、手を差し伸べた。皇妃は、咄嗟に、それに抗うようにセレスタイトの体を抱きしめた。
「あ、あの……セレスタイトには今度、何時逢えるのでしょう? 病気が治癒したら、こちらへは何時……」
おずおずと確かめるように皇妃は言った。彼女には、その答えは判っている気がしていた。聖地に上がるのだ。しかも守護聖として。教皇の元に嫁いだ自分でさえ、実家のジェイド公領の館に戻ったことは、この二十五年ほどの間に一度もないのだ。唯一の近縁者である兄ジェイドが枢機官として、教皇庁に頻繁に出入りしており、出向かなくても逢えるからということもあるが、教皇と皇妃の訪問を心待ちにしている他国の訪問を優先させた結果、そうなってしまったのだった。だが、やはり一抹の期待をせずにはいられない。
「私が聖地に上がったのは、十の時だ。以来、一度も故郷には戻っておらぬ。戻ってはならぬと誰に言われた訳ではないのだが。守護聖なるとはそういうことなのだ……」
皇妃の肩が震えた。
「で、では、守護聖としての在位が終われば……そうすればまたここへ……」
「聖地とこことは時の流れが違う……。例えば、この者が十年、聖地で時を過ごした時、お前たちはもうこの地にはいないだろう」
皇妃の瞳から涙が溢れた。と、その時。
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