長い昼食の締め括りのお茶が運び込まれた。菓子が盛られた皿が配られる。給仕係のゆったりとした所作とは裏腹に、リュミエールは、時間が気になって仕方がなかった。
“急がないと。もうそろそろ出発しないといけない時間なのに……けれど……”
けれど、今、ここで、唐突に中座を申し出たら、座が白けてしまうことになりかねない。週に一度、家族全員で昼食を共にするのは、スイズ王家の最も重要な決め事のひとつなのだから。
「そういえば、リュミエール、これから教皇庁に行くんだろう?」
上の兄が、ふいに言った。
「そうそう、今日は、あちらの楽師の皆さんとの夕べの演奏会ね。ご苦労様」
王妃が労いの言葉をかけると、リュミエールは微笑み小さく頭を下げた。話題がその事に移り、中座のきっかけが出来そうで、リュミエールは内心ホッとした。
と、同時に、それを知っているのならば、夕方までには教皇庁に行かねばならないのに、こうしている間ではないこともお判りになっているはずなのに……とも思う。
「リュミエールが、三ヶ月に一度の定例演奏会にお招きに預かるようになって、スイズと教皇庁はますます密接な仲になったな。私も教皇庁に出掛ける機会が多くなったしのう。実は枢機官に私も加わってはどうか? という案が内密に進んでいるのだ」
王の方はチラリと時計を見て少しは時間を気に掛けてくれているようだったが、満足そうにそう言って笑った。
「けれど父上、枢機官は、公平を期すためどこの国の王もなれない取り決めではなかったんですか?」
上の王子が、心配そうに言った。
「うむ。その前例を覆してまでも……、と言うことだ」
「教皇庁はスイズ領内にあるのだから、他国との関係よりも密接だし、経済的にも双方ともに依存度が高い。となると、むしろ枢機官という地位に、スイズ王家の関係者の席が設けられたとしてもそれは自然な事とも言えるだろう。文句を言うのは、ダダス国くらいのものだ」
国王の後を次いで、きっぱりとそう言ったのは中の王子である。彼も成人の儀を終えた後、国政に参加している。
「その通りだ。お前はなかなかよく物事を把握しているな」
「恐れ入ります」
とすかさず言ったのは、中の王子の母親である寵妃である。
「ともあれ、そのきっかけを作ったのがリュミエールだ。お前が竪琴の演奏会に行くようになって、その小さな外交官ぶりに、教皇様ご家族も大層お喜びでな。セレスタイト様には懇意にして頂いているようだな? リュミエール」
「はい。演奏の前後にはよくお声を掛けて下さいます。……あの……わたくし、もうそろそろ教皇庁に向かわねばならないのですが……」
リュミエールは、やっとその事を切り出した。
「もうそんな時間なの? ゆっくりお茶も出来ないわね」
王妃は仕方ない……というように言った。
「申し訳ありません、皆さま」
リュミエールは立ち上がると皆に頭を下げた。リュミエールがそう言ったことで、やはり和やかな雰囲気は途切れた。リュミエールは申し訳ないような気持ちになりながら退室して行った。
「では、私もそろそろ行くとしよう」
王が口元をぬぐい立ち上がると、王妃と上の王子もそれに続いた。
「あなたたちは、どうぞゆっくりしてらして。まだ菓子もお茶も残っていてよ。では、また来週、ご一緒致しましょう」
王妃は、寵妃に声を掛けた。寵妃と中の王子は、部屋に取り残される形となった。
「小さな外交官か……ふん……」
と皆が消え、がらんとしてしまった部屋で、中の王子が呟いた。
「リュミエールも侮れない存在になって来ましたね。音楽だけ出来る大人しいだけの子かと思ったら、ここ数年のあの子の成長は目を見張るものがありますよ」
寵妃は小声で言った。
「セレスタイト様の成人の儀に初めて教皇庁に出掛けてから、定例演奏会に呼ばれるようになって、積極的になったみたいだな」
「背丈も急に大きくなって、子どもとして可愛がられる時期は終わっていますよ。リュミエールの人気はかなり上がっています。王宮の気の早いものの中には、ぜひリュミエールを要職にとの声も」
「なんだって?! 母上、それは本当ですか? まだ十四のリュミエールに?」
「もちろんリュミエールが卒業後にですよ。リュミエールの学力ならば、来年度スイズ大学に入ることも可能でしょう」
「けれど、リュミエールは、国政には参加せず、スイズ大学よりも教皇庁管轄の音楽院に進みたいと言ってるじゃないか?」
「それは幼い頃の話。リュミエール付きの教師は、貴方や上の王子の時よりも、学力があると王に進言しましたよ。それに、竪琴に関してリュミエールに教えることは何もないと、音楽院の学長は王に仰ったそうですよ。王はそれを聞いてリュミエールをスイズ大学に入れると仰っています」
寵妃は、何かしら棘の含んだ言い方をした。
「面白くないな……。一般に成人の儀が済むまでは、世間にはお披露目されず、その名前さえあまり知られていないのが普通なのに、もうスイズのリュミエール王子と言えば、教皇庁内では知らぬ者がいないほどじゃないか。私でさえ、ようやく名が知れてきた所なのに」
「そうですね……。貴方が国政に参加し、手腕を振るうようになって、王妃様や上の王子の態度も随分と露骨なものになってきましたよ。私は水面下で動き、表だっては控えめにしていればそれで良いけれど、貴方は、そう言うわけには行きませんよ……」
「判っています。兄上よりも王としての器は私の方が大きいと皆に知らしめることに努力は惜しみません。事実、大臣たちの間では、私の方が兄上よりも……と言ってくれている者もおります。リュミエールの事は、ちょっと考えておきます
から……」
「任せましたよ。また何か情報があれば伝えます。私は今しばらくここにいます。忙しいのでしょう? 貴方はもう執務室に戻りなさい」
「判りました。それでは、母上」
中の王子も行ってしまった後、寵妃は、広々とした部屋に一人残り、もの思いにふけていた。
“母親としての欲目だけではなく上の王子と比べれば、中の王子の方が王としての器量はある……。長子というこだわりさえなければ。
それに、後ろ盾を考えるならば、皇妃の実家よりも、私の実家の方が格上ですもの。王には、そこのところを見極めて後継者を決めて頂かないと……。あの王妃のことだもの、そろそろ中の王子の事が目障りになってきたに違いないわ。先に何か手を回されるとやっかいだわ。リュミエールの母親にしたように……”
寵妃はカップに唇をつけ、冷めた茶を飲む。
“王妃は、実家が名門の私には、うかつに手を出せなかった。けれど、リュミエールの母親は、地方のかろうじて貴族の出というだけの人だった。その美貌と音楽的才能のおかげで寵妃となったけれど…王の寵愛がすぎた為に…あんなことに……。産後の肥立ちが悪かったでっすって? 薬湯と偽って何を飲ませていたものだか……おお、恐いこと……”
だが、寵妃の表情には、リュミエールの母親に対する同情も、王妃に対する怯えの色もない。ただ勝ち気な微笑みが、その口元に浮かんでいた。
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