第二章 聖地、見えない星

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   翌日、車窓から見える風景は昨日までとは一変していた。森林や田畑はほとんどなく、赤茶けた山と大地が延々と続いている。そこは、スイズとルダの間にある教皇庁管轄地だった。見た目はいかにも不毛の地といった風情である。確かに人が、農耕をして定住するには適さない土地だが、この列車を動かしている燃焼となる鉱物が採取できる鉱山のある一帯でもあった。
 列車は、何度かごく小さな駅に停まり、その都度、何か積荷が降ろされる。武官の弟が言っていた出稼ぎの人夫たちも何人かが降りていく。こんな荒野のような場所のどこかにも人の住む所が確かにあるのだと、クラヴィスは思いながら人の行き来を見ていた。
 二日、同じような風景が過ぎた後、列車はルダ国に入った。赤茶けた色の風景が、薄茶色の砂色に変わっただけで、相変わらずその不毛さには変わりなかったが。また二日が過ぎ、ようやく窓から集落が垣間見られるような風景に変わった。と同時に列車内に慌ただしい雰囲気が漂い始めた。
「ダダス国に入ったんですよ。スイズを出てから、小さな駅しかありませんでしたが、やっと街中の大きな駅です。ここで降りる者が大半でしょう」
 武官の弟の方が、嬉しそうな様子で言った。午後になり、列車がダダスの駅に到着すると、彼の言った通り、この先は終着駅のガザールまで停まらないため、ほとんどの者がここで下車して行った。列車は、翌日の昼前まで点検と列車内の清掃や、新たに燃料を積み込むために停 車することになっていた。
 クラヴィスは列車から降り、ホームから街中の様子を眺めることにした。教皇庁のあるスイズに比べると風が乾燥していて冷たい。遠目に見える街中の様子も、スイズの建物とは微妙 に色合いや屋根の形状が違っていた。華奢で豪華を良しとする雰囲気のあるスイズに比べて、ダダスの方は、全てに於いてもっと線が太く質実剛健としたものがあった。決して粗野というわけではなく、無駄な装飾があるよりも機能美優先……そんな気質が街中の風景にも現れているようだとクラヴィスは思った。クラヴィスにとっては、華美なスイズよりも、むしろそんなダダスの方が心地よい気がし、日が暮れるまでぼんやりとその場に座り込んで過ごした。夜になって、食事の済んだ後、クラヴィスは武官の弟が嬉しそうにしていた訳を知った。客室が空いたため、武官たちも寝室のある別のキャビンを使うことが出来るからだった。いつもは固い表情を崩さない兄の方も、久しぶりに寝台に横たわって眠れることに喜びを感じているらしく、クラヴィスに「おやすみなさいませ」と微かに微笑んで挨拶した。
 翌日の昼になり、列車はまた走り出した。二日、どこにも停車せず、ひたすら終着駅を目指す。燃料をふんだんに補充した為、スピードもかなり上げて列車は走っている。森林地帯を出て、完全にダダス国領がら出ると、また赤茶けた大地や枯野が延々と続く。西の辺境と呼ばれるフング荒野に入ったのであった。かっては、遊牧民の一族が治めるフング国というひとつの国であったのだが、広大な領地の割に人の住める所が少なく、一族の力が衰退した後、南の海岸地方に点在する漁村と、北の鉱山のある地帯とを結ぶ手段もほとんどなくなり、次第に国としての形態を保てなくなり崩壊した。隣国ダダスがそれを吸収しようとするのを、スイズが止め、双方がこの土地を巡って戦争になりかけたのを、時の教皇が調停に入ったのである。結局、西の辺境は、教皇庁管轄地にすることで両国が納得したのだった。
 ガザールは、そのフング荒野のもっとも東に位置した漁港である。教皇庁からの役人のいる唯一の町だった。
「長旅、お疲れ様でした」
 と愛想良く頭を下げる駅員に見送られて、クラヴィスたちはガザールの町に降り立った。その夜は、駅前の宿に一泊し、翌日、武官の兄が手配した馬車に乗り北の鉱山地帯を目指した。
 ガザールの町を離れると、微かに匂っていた潮の香りがしなくなり、やがて風景は、より殺伐としたものになった。見るべきものもなくなったクラヴィスは、目を瞑りうとうととし始めた。しばらくして目覚め、クラヴィスは何気なく外を見た。
「あ……」
 目前にある大山脈にクラヴィスは思わず声をあげて驚いてしまったのだった。知識として知ってはいた西の辺境の大山脈が、これほど高く大きなものだとは思っていなかったのだった。クラヴィスが目覚めたのを知ると、武官の兄が、御者に、馬車を止めるよう合図を送った。
「これより先は、ずっと東に山脈を見て北へと進みます。馬を少し休憩させましょう。若様、山をご覧になってはいかがですか?」
 そう勧められて、クラヴィスは馬車から降りた。
「私も間近で見るのは初めてですよ。なかなか雄大な風景ですねぇ」
 武官の弟も興奮した様子で、クラヴィスの後で言った。
「すごいものだな……」
 クラヴィスは、山脈を見つめながら歩き、やや馬車から離れたところで立ち止まった。あの山脈の向こうは、聖地の管轄地であるから決して侵してはならぬ……と言う規律が、クラヴィスの脳裏を過ぎる。
“確かにこの大山脈は、人智を越えた特別のもの……という気がする”
 と思いながらクラヴィスは思いながら、ふと、父の書き記してくれたあの書物に書かれてあった一節を思い出した。

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