第二章 聖地、見えない星

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 クラヴィスは、机上に地図を 広げて、自分の旅のルートを指でなぞる。教皇庁領を出て、スイズ王都の南の外れに、大陸横断列車の発着駅がある。人々の長距離の移動手段は、まだまだ馬を用いたものであり、大陸を西から東に移動する列車は、教皇庁の管轄の元に、ごく一部の者にしか使用できない特別の ものであった。
 クラヴィスは、列車の路線図に目を移す。スイズから東へ、大陸を南北に二分するように列車は走る。スイズを出るとそこからしばらくは、深い森と渓谷の続く地帯に入る。国という形はなく教皇庁管轄地となる。西の大陸には、主に人が住むには適さない、どこの国にも属さない地域が存在する。だがそんな場所にも 僅かながら人々は住んではいる。そこで採取できる農作物や鉱物の類は、一定の取り決めの元、教皇庁の重要な収入源となっている。
 やがて路線は、ルダ国へと入る。国土の半分が、砂漠の中にある小国だが、豊かな鉱山地帯を含む。そこを過ぎるとスイズと並ぶ大国ダダスである。広大な国土と恵まれた資源、スイズと共にこの大陸でもっとも古い歴史を持つ。ダダスから南 に位置する国が、クラヴィスの故郷ヘイアである。こちらは、スイズ、ダダスに比べれば、文化面では随分と劣るものの、南海に面した穏やかな気候の土地である。タダスとヘイアの東の地、険しい山々と荒野の続く一帯がある。ここもやはり教皇庁管轄地である。フング荒野と名は付いているが、一般には、東の辺境などと呼びなわされている。海沿いには、いくつかの漁村があり、一番大きな 村ガザールが、この大陸横断列車の終着駅となっている。列車は、時と場合にもよるが、スイズとこの村を、ほぼ十日ほどをかけて走る。クラヴィスの旅は、目的地での滞在を含めると、 約一月程度ということになる。

「旅の支度は、整ったか?」
 地図を眺めているクラヴィスの背後から、教皇の声がした。
「あ、はい」
 慌てて振り向いたクラヴィスに、そのまま座っていて良い、と手で合図すると教皇は、彼の横の椅子に腰掛けた。
「いよいよ、明日だな。先ほど、ジェイド公が用意してくれたお前のお付きの者たちが到着し、挨拶にやって来た。お前にも目通りをと言っていたのだが、どうせ明日になったら逢うのだし、いろいろと準備もあるだろうから早々に下がらせた。ジェイド公の護衛官をしている男たちで、なかなか腕の立つ者らしい。兄弟だそうだ。弟の方は、まだ若くセレスタイトより二、三歳ほど上といったところか……。兄の方は三十歳ほど。まあ、お前にとってはいずれも年上の者たちだが気にせず好きに扱うといい。よい機会だと思って、威厳ある言葉使いや所作などの練習をするようにな。成人の儀はまだ先だが、もうそろそろ“私”と言うように。最初は気恥ずかしいものだが、自分が気にするほど相手はなんとも思ってはいないものだよ」
「はい」
 クラヴィスの表情が固くなったのを見て、教皇は彼の肩に手を置いて言った。
「すぐに慣れる。それにお前に命令されたとて、誰も気にはしないよ。お前は、今までが控えめ過ぎたのだのだから」
 セレスタイトのように自然に振る舞えるようになれるのだろうか……という不安を抱いたまま、クラヴィスは黙って頷いた。教皇は、ふと部屋の片隅に用意されているクラヴィスの旅支度を見た。着替えの入った革の大きな鞄と、学徒が学校へ行く時に持つ肩から提げられる布製の鞄が置かれていた。その鞄の蓋が半開きになっていて中の書物が見えている。
「あれを持参するのか?」
 教皇はそれを見て言った。あれ……自らが書き記した例の書物である。
「はい。列車の中で読むのにちょうど良いと思って」
「あまり根を詰めなくてもよいぞ。せっかくの旅だ。景色を楽しむ方が良いのだから」
 父の心使いがクラヴィスは嬉しく、やっと小さな微笑みが自然とこぼれ出た。
「ああ、そうだ。父上」
 クラヴィスは、立ち上がると、飾り棚まで歩いた。その棚の上に置いてあった塔の地下室で見つけた宝飾品を取った。
「これを地下室で見つけたのですが……」
「これは?」
 教皇はそれを見ると不思議そうな顔をした。
「地下室の下の棚に木箱があったでしょう。その中にあったものです」
「あの木箱か。私も随分前に開けてみたことがあるがな。先代……私の父があの部屋にあった細々としたものをひとまとめにしておいたものなのだが。こんなものが入っていたのか?」
「底の方にありました。随分と古そう……」
 クラヴィスが差し出したそれを教皇は受け取って、眺めた。
「価値のありそうなものは、皆、保管庫や展示室に回しているはずなのだが……、細工も平凡だし、石もキズがあるからそのまま入れて置かれたのだろう」
「これを……持っていても良いでしょうか?」
 クラヴィスが、そういうと教皇は少し表情を変えた。
「お前が何かを欲しいと言うのは珍しい。気に入ったのか? もちろん、構わんよ。お前の目の色に似ている。旅のお守りとして身につけているといい。過去のどの教皇の持ち物かは判らぬが、きっとご加護があるはずだ。私の持ち物の中から、頃合いの鎖を用意しておこう。後で、側仕えに届けさせる」
「はい」
 長い間、塔の地下室で眠っていた自分の瞳と同じ色をした瑕付きの古い石……に、クラヴィスは何かしら自分と重なるものを感じていたのだった。
■NEXT■
 

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