第八章 3

  
 翌朝、ヤンは報告書を携えた騎士と供にクゥアンへの帰路についた。来た時とは違い、誰に憚ることなく、クゥアンへの本街道を北に向かって直進する。久しぶりに乗った馬を思い切り飛ばすヤンであった。
 約三日の後、クゥアン城下に着いたヤンは、報告を、同行していた騎士に任して、久しぶりの我が家に帰った。
「帰ったよ!」
 シン……と静まりかえった玄関先でヤンは声を張り上げた。執事が慌てて出迎え、続いて厨を仕切っている彼の妻が駆けつけると、ヤンは真っ先に空腹を訴えた。そして 「ロウフォン様と爺ちゃんは?」と尋ねた。
「ロウフォン様は、ジュリアス様からのお召しがあって城に出向かれています。ラオ様は……奥の間でお休みになっています」
 執事の顔が曇る。
「爺ちゃん、やっぱり具合悪いのか?」
「はい。ただのお疲れかと思ったのですが……医者の話ですと風邪をこじらせていらっしゃると」
「爺ちゃん、起きてるかな。帰宅の挨拶だけでもしたいから少し部屋を覗いてくる」
 ヤンは足音を立てずにそっと歩き、ラオの私室へと向かった。ゴホゴホと重い湿った咳が聞こえる。ラオの好物の果物が手つかずのまま寝台の横の台に置かれている。
「爺ちゃん……」
 と声を掛けたが、ラオの返事はなかった。ヤンは、またそっと扉を閉め、執事が待つ居間に戻った。

 ヤンが食事を取って少し経った頃、ロウフォンが戻ってきた。双方が労いの言葉を掛け合い、ロウフォンは、ラオが倒れてしまったのは、この一件で苦労をかけたからだと詫びた。
「そんな。ロウフォン様は巻き込まれただけです。悪いのは不正を働いていたクゥアン領主とホゥヤン領主です。……それと……あの……」
 ヤンはまだツ・クゥアン卿の事が引っかかっているらしく言葉を濁した。それを察したロウフォンは、少し微妙な顔をして話し出した。
「実は、その事でジュリアス様からお話があったのだよ、ヤン……」
「ホゥヤンに来ていた第一騎士団の人たちもツ・クゥアン卿の事は何も言ってなかった。だから黙っていたんですけれど、本当に何も関係がなかったのでしょうか?」
「……ヤン、これから話すことは誓って口外してはならない。この一件、やはりツ・クゥアン卿が関与していたよ。大体は、私たちが推測したような理由で」
「だったら!」
 思わず声を上げたヤンを制して、ロウフォンは話を続ける。
「ジュリアス様は、ツ・クゥアン卿の事を隠蔽されるおつもりだ」
「そんなッ、ジュリアス様がそんなことなさるもんですか!」
「まあ待ちなさい。少し長い話になるが最後まで聞いてくれるね」
 ロウフォンは、ジュリアスから話された事をヤンに伝えた。王座を二度逃したツ・クゥアン卿の過去、ホゥヤン領主との関係とそこに至った顛末、 ツ・クゥアン卿は自らそれを告白したこと、そして、ジュリアスが西へ行く希望を持っていること、あの三つの宝飾品のこと…………。 だが、ツ・クゥアン卿がクゥアン国王となることだけは、まだ伏せておいた。
「ジュリアス様は、私に、膝を折って頭を下げて下さったのだよ。どうかツ・クゥアン卿を、伯父を許して欲しいと……。あのお方が、近しいお身内を断罪するような事にならなくて良かったと思う」
 ヤンはそう聞いて一応は頷いたものの、事件の首謀者が何の咎めもないことに不満顔をしていた。
「今後、ロウフォン様はどうなるんでしょう?」
「ジュリアス様は、そなたにホゥヤンの全てを任せることになると思うが承知してくれるな……と仰った。身に余ることだが、承知しましたとお答えした。荒れた領内を立て直すことに全力を注ぐつもりでいるよ」
「オスカー様は?」
 ヤンにとっては一番心配なのは、オスカーの事であった。死の淵を彷徨うほどの傷を負った彼が、再び、ツ・クゥアン卿のいる場所に、戻って来られるのかどうか……。
「側にいて一緒に領内の再建に手を貸して欲しいところだが、ジュリアス様と共に西に行くつもりでいるのだろうな。 オスカーの事はあれの良いと思うようさせるつもりだよ。……思えば……オスカーが物心ついた頃から、ホゥヤンは国が荒れていた。大人の世界の、政の汚い所を見せたくなくて、あれは妻の実家の農場で 伸び伸びと育てさせることにした。 真っ直ぐに育ったてくれたと思うが、そのせいでジュリアス様の所に行って騎士になると言われた時は、私もさすがに後悔した。だが、今は良かったと思っている。この一件すらも、オスカーにとっては良い経験になっただろう。たとえ一生傷と交換としても」
 ヤンはまだ歳も若く、オスカー以上に真っ直ぐな気性をしている。いくら、どうツ・クゥアン卿の処分について事情を説明したところで、理解しがたいところがあるに違いない……そう思ったロウフォンは、オスカーの話に切り替えることで、ヤンの気持ちも切り替えて貰おうとした。
「俺、オスカー様と一緒に西に行きます! 出発の時期とか、オリヴィエ様に詳しく聞かなくっちゃ!」
 オスカーが、そのままホゥヤンにいるのではなく、クゥアンに戻って来て、西へ行くかも知れないと聞いて、ヤンは単純なほどに顔色を変え元気な声で言った。
“おやおや、いきなり西に行く所に反応させてしまったか”
 ロウフォンは、内心で苦笑した。
「ヤン、せっかくの決意に水を差すようだが、君はこの家を継がなくちゃいけない身だ。ラオ殿のご意見もよく聞かないといけない。君がいなくなるとラオ殿はどれほど寂しがられるか……ましては今はあのように伏せっておられるのだし……」
 すぐにでもオリヴィエの元に話を聞きに行きそうなヤンを、ロウフォンは止めた。
「大丈夫ですよ、俺、爺ちゃんの性格、よく知ってますから」
 ヤンは、楽しそうに笑う。
「君には明るい未来しかみえていないようだな。話していると、本当に元気になってくるよ。私の傷もだいぶ良くなってきた。ホゥヤンに戻った時の準備を始めないといかんな」
 気持ちを切り替えさせられたのは自分の方だな……と思いながらロウフォンは言った。
「戻られるんですか?」
「いや、まだ手綱を持つ手に力が入らない。土地に不慣れなこともあった、今も城まで馬車をお借りしたほどだ。それに、この一件で、ホゥヤンは領主が代わるから、それについて、近隣の領主を集めて謁見されるそうで、今しばらくはここに滞在するようにジュリアス様に言われている」
「俺も明日から騎士団の兵舎にも顔を出しますから、お城に御用があれば申しつけてくださいね」
 ヤンはそう言うと立ち上がった。
「爺ちゃんの様子、見て来ます。起きているようなら言わなくちゃならない事がいっぱいあるんだけどなぁ……叩き起こしてやろうかなあ」
 ヤンは、ブツブツと言いながらロウフォンの前から去っていった。
 ラオ殿はお年が年だけに、もしやこのまま……、そんな事になってしまったら、どれほどに申し訳ないことか……と思っていたロウフォンは、彼の死など微塵も考えていないようなヤンの姿に救われていた。

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