第六章 6

 
 水時計が年明けまで後、三時間になったことを告げた。クゥアン城の全ての燭台が灯される。普段は見張りの為に、せいぜい一つしか灯されないような貯蔵塔や武器庫、物置のような建物にも松明を持った兵士が数人立ち、その壁面を明るく照らす。オリヴィエの私室のある窓からもその様子が判る。
 オリヴィエの心は、日が沈むにつれてどんどん鬱いでいく。日中は、側仕えや第一騎士団の者たちにあれこれと指示することもあり、気が紛れていたものの、夕刻が迫り、後は祭の始まるのを待つばかりとなると城中が厳かに雰囲気になり、その静けさの中で、オスカーの事が否が応でも思い出されるのだった。
 オリヴィエは、長上衣の襟元を直し、お付きの側仕えに見送られて、私室を出た。この祭の為に、リュホウが送ってきた長上衣は、贅を尽くしたもので、これを纏って祭に参加するのを楽しみにしていたオリヴィエだったが、今はそれを着ている我が身が鬱陶しく感じられていた。
 城下や各領土からも集まってくるという民に、労いと祝福を与えるため、城門の横にある見張り塔に、向かうオリヴィエの足取りは重かった。塔の前に立っている騎士たちに誘われて、その石の階段を上がる。上に行くほどに階段が狭くなる。普段は見張りの者が控えるだけの粗末な石造りの塔の最上階の部屋であるが、分厚い絨毯が敷かれ、火も焚かれて暖かくしてあった。 そして座り心地の良い椅子も用意されていた。
 先に来て控えていたツ・クゥアン卿は、オリヴィエが来たと知ると、立ち上がり深々と礼をし、すっ……と壁際に移動した。
 そして、オリヴィエからやや遅れて、ジュリアスがやって来た。険しい表情はしているものの、朝方オリヴィエが執務室を訪れた時のような、他人を受け付けないような冷たさのある気配はしていない。ジュリアスは、オリヴィエを見ると、“大丈夫だ”と言うように小さく頷いた。
「皆様、どうぞ窓辺へ。先頭の民がそろそろ城門前に到着いたします」
 窓際に立っていた騎士はそう言い、張り出し窓にかけてあった風よけの布を外した。
「あれは?」
 オリヴィエは窓の外を見て思わず叫んだ。
 無数の灯が帯のようになって、ちらちらと揺れている。城門から城下の町に続く沿道を、光は川の流れのようにうねりながら延々と続く。やがてクゥアン国を讃える民の声が、ジュリアスたちの耳にもはっきりと届く。城門の直ぐ前にまで辿り着いた民が、塔の上にいるジュリアスたちを見上げ、それぞれに手にした灯りを高く掲げる。まだ幼い子どもたちは、手首に括り付けられた祝い鈴を打ち鳴らす。 
「あの小さな灯のひとつひとつが、民の持つ松明や蝋燭の光だ。まだ言葉も出ぬような幼子たちまで、ああして祝福の鈴を鳴らしてくれている……」
 ジュリアスはそう言うと、ツ・クゥアン卿の方に向き直った。朝や昼間の光の中で見るようなきっぱりとした青い目ではないが、暖かい松明の炎が映し出す瞳は、濁りのなさを強調しているように、より一層思慮深く艶めいている。
「この民たちの姿を忘れ、ついホゥヤンに行くなどと言った私を、昨日はよく押しとどめてくれた。礼を言う」
 ジュリアスの言葉に、ツ・クゥアン卿は声が出ず、ただ黙礼するのが精一杯だった。
“何故だ……どうしてそんな目をしている? 今朝方、あの報告書を持って行った時の様子とは違う……。まだ、諦めていないのか……、何を根拠に……”
 頭を下げたまま彼は、ジュリアスがそう簡単には崩れる人物でない事を思い知った。そして、何故か、その事に安堵している自分自身が心の奥底にいることに気づき、愕然としていた。

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