「父さん!」
思わず走り出したオスカーは、裏庭を抜けて、館の目前に広がる庭の見える位置まで出た。泉の辺のある東屋が燃えているのがまず視界に入った。いち早く異変に気づいた館付きの兵士たちが、剣と盾を手に走って行くのが見えたが、その行く手には、ホゥヤン兵士らしき者たちが数名
こちらに向かって走ってくるのが見えた。後尾にいる者は、火のついた矢を用意しているようだった。
その先は、館を向いている。
「くそ! 館にまで、火を放つつもりか!」
オスカーは頭の中で、味方の数を思い浮かべた。非公式な会合ということで、クゥアン領主は、馬車の御者を含めても五名ほどの供しか連れていないはずだった。ロウフォン家の方は、泉の館に在駐している兵士が
数名、さらにロウフォン付きの文官や騎士などが五名ほどはいたはずであった。
“裏の林には既に見張りらしい者も潜んでいた……館を取り囲まれているとしたら、とても戦える人数ではない……ここは、ひとまず逃げなくては!”
オスカーは父の元に駆けつけるほうが先決だと思い、館内へと入ろうとした。その時。
「いたぞ! オスカーだ! 間違いない。あの赤毛の男! 必ず仕留めろ!」
と、背後で叫び声がした。弓を持った男を、先頭に三名の者が追ってくる。それと同時に幾本もの矢がオスカー目がけて飛んでくる。辛うじて矢を交わしたオスカーは、身を低くして館の中へと急いだ。
“何故だ……あいつらは、何故、俺の名を呼んだ? 領主同士の争いならば、俺は関係ないだろう? ……そもそも、何故、俺がここにいると知っている?”
逃げながらオスカーは考えるが、答えは見えない。オスカーの頬を背後から飛んできた矢が掠めた。
“こざかしい!”
振り返ったオスカーは、立ち止まり、腰の剣を抜いた。
「早く、切ってしまえ。報奨金がたんまり貰えるぞ!」
弓を持った男が、剣を持った男たちをけしかける。
「報奨金だと? 何故だ、何故、俺の命を狙う?」
オスカーは、男二人と剣を交わしながら問うた。
「知るか! お前が死ねば都合がいいんだろうよ!」
誰にとって都合がいいのか……解せぬままにオスカーは、剣を突きつけてきた男を、一人切った。もう一人の男は、それを見て闇雲にオスカーに向かって突進してくる。その上、弓使いの男は、矢を放ってくる。至近距離であるがためにかえって、狙いにくい様子ではあるが、剣と矢の両方を交わしながら戦うのにも限界がある。放たれた矢の一本が、オスカーの足に刺さった。
「うっ」
ガクンと膝が落ちる。そこに剣が情け容赦無く振り下ろされる。それをオスカーは、寸でのところで、己の剣で受け止めた。
「うおおおぉっ」
受け止めた相手の剣を、力を込めてはじき飛ばすと、ギシッ……と微かに嫌な音が微かにした。
“チッ、剣に傷が入ったか?”
だが、それを確かめる間もなく、相手はもう一度、オスカーに剣を振りかざした。上段に構えた、そこに隙が生まれた。オスカーはそれを見逃さない。男の右脇に、オスカーの剣が入った。血飛沫が飛び男が倒れるの見た弓使いの男は、悲鳴を上げて逃げて行った。
太ももに刺さった矢を引き抜き、足を引きずってオスカーは、館の中へと急ぐ。既に何本も火矢が放たれて、館の屋根には炎が回り始めていた。
「父さん! どこにいるんです? 父さんっ!」
力の限り大声をあげてオスカーはロウフォンを呼んだ。館を入ってすぐの廊下に死体が、転がっている。ロウフォン家の兵士のもの
と、ホゥヤンの兵士らしい者と。キン……と剣と剣の合わさる音が近くでした。オスカーは、目前の半開きになっている扉を開けると、ロウフォンと見知らぬ男が戦っていた。
「父さんっ」
「謀られたっ。早く居間へ! ここは食い止める。クゥアン領主をお守りして、逃げろ!」
ロウフォンは、オスカーをチラリと見るとそう叫んだ。だが、オスカーはとっさに剣を構え、父親の助太刀をしようと前に出た。
「行け! この者はいずれ決着をつけねばならん相手だった!」
オスカーは、その男を見た。知らない者ではあるが、父親と同年代の騎士であることは間違いない。その風格から、ホゥヤン領主の側近のような男なのだろう。ロウフォンを嫌う雰囲気が滲み出ている。
「逃げられはせんぞ。館の回り取り囲んだからな。この館もすぐに焼け落ちる! お前を殺したら、すぐにクゥアン領主の首も戴きに行く! 観念しろ!」
男が、ロウフォンに向かって怒鳴った。
「オスカー、逃げろ、判っているな! 早く行け!」
ロウフォンの怒号に、オスカーは握り拳を作り、言われた通りに居間に向かった。剣の合わさる音がまた背後で聞こえた。何度も。
不正を働き、堕落したクゥアン領主よりも、父親を助けて今は供に逃げたい気持ちを引きずって、オスカーは、クゥアン領主がいるはずの居間の扉を開けた。既に、この部屋にも煙が入り込んでいて、
うっすらと薄もやがかかったようになっている。その奥で、「ひぃぃぃぃっ」と叫び声がし、ガタガタと家具が倒れる音がした。
「ご無事ですか?」とオスカーは、声をかけた。だが返事は返って来ず、代わりに剣を持った男が、突進してきた。クゥアン領主と供の者だった。供の者が一人しかいないのは、先に逃げてしまったか、戦うために館の外にいち早く出て行ったのか、二人は室内に残り家具の後ろに隠れていたらしかった。
「待て! 俺は助けに来たんです。ロウフォンの……」
オスカーは、相手の剣を受けながら、そう言った。
「裏切り者め! よくもホゥヤン領主と手を組んで、騙し討ちにしたな」
供の男が叫んだ。
「違う! 騙されたのは父も同じことだ! 手など組んでいない!」
オスカーは思わずそう叫び、相手を押し返した。
「父? ……お前、ロウフォンの息子の……ああ、そうだ。知っているぞ、その赤毛。お前は、ジュリアス王付きの騎士じゃないか! 父親と結託して、クゥアンに仇なすつもりだな、そうか、判ったぞ。ジュリアス王に忠誠を誓うふりをしてクゥアンを探っていたんだ!」
男の後からクゥアン領主がそう叫んだ。
「馬鹿な事を! 貴方こそ不正を働いていたくせに。父さんはそれでも貴方を助けよと俺に命じられた。裁きはジュリアス様の手で受けさせると言うことだろうが!」
不正と聞いてクゥアン領主の顔が歪んだ。
「お前がどうしてここにいるのだ……? そうか、ロウフォンのヤツ、ジュリアス王に私の不正を密告したな。それでお前が監査に来たのか?」
探りを入れるように、領主は言った。オスカーは答えなかった。遅かれ早かれ、彼の不正が暴かれることは確かであったし、自分が、この領地の内情を調べていることは事実だったからだ。オスカーが無言でいることに、クゥアン領主の怯えと怒りが頂点に達した。
「くそぅ、殺してしまえ!」
領主に言われて、供の男は、剣を振り回しオスカーに斬りかかった。
「違うと言ってるだろう! 俺はあんたたちを逃がすために……」
オスカーの言うことを無視して男は、斬りかかってくる。腕と肩先を剣が掠めていく。血飛沫が飛ぶ。
「やめろ!」
オスカーは、相手の剣を正面で受け止めて睨み付けた。少しは剣の扱える者らしく、素早い動きで男は、それを交わす。剣と剣のぶつかり合う音が部屋に響いていた。
“何でだ? 俺は一体、誰と戦っているんだ? 俺は……俺はクゥアンの騎士なのに、お前と同じジュリアス様に仕えるクゥアンの……騎士……なの……に”
相手の剣が空を切った。オスカーは、男の腕を切った。よろけて男は壁に体を打ちつけた。とそれが反動となって、燃え始めていた天井の一部が崩れ落ち、その下にいた男の頭を直撃した。鈍い嫌な音がして男は倒れた。
まだ生きていたかも知れないが、構っている暇はなかった。オスカーは領主の方に向き直った。
「どうか聞いてください。俺は貴方を殺そうとして来たんじゃないんです。今は、一緒に逃げてください! このままでは館はもう持たない」
“ジュリアス様が、派遣した身分のある領主に対して剣をあげることはできない……”
体を震わせているクゥアン領主に、オスカーは、必死の思いでそう言った。
「お前、私の供をよくも……。この者もクゥアンの騎士の称号を持つのだぞ! お前と逃げたところで、ジュリアス王の前に突き出され、断罪される。ならば……」
落ちている剣を領主は拾った。その剣の切先が、オスカーを攻めてくる。最高位の騎士の称号を持つ若いオスカーと、父親ほどの年齢差のあり、甘い汁を啜って生きていた領主との力の差は歴然としていた。だが……それでもオスカーは、反撃しない。
先ほどの騎士とは、この領主は身分が違いすぎていた。不正の件についても、有耶無耶にしてしまうわけにも行かない。ジュリアス様の裁きを受けさせないと……オスカーは、何とか、領主を宥めようと、相手が振ってくる剣を、かわしながら後退し続けた。
その時、天井の一部が、また剥がれて落ちた。飛び散った火の粉が窓際の天幕に燃え移った。煙が一層激しくなる。そして、天井に渡した太い梁が、崩れ落ちそうになっているのに、オスカーは気づいた。直撃されればひとたまりもない。
ぐらり……と梁が揺れた。
「危ない! 避けろ!」
クゥアン領主を庇おうと、一瞬、オスカーは剣を構えていた手を緩めた。
その刹那、ズン……と音が響いた。梁が落ちた音ではなくーーーオスカーの体の中で。目前に、クゥアン領主の顔があった。
「なに……、あ……」
オスカーの脇腹に突き刺さった剣が、ずるり……と引き抜かれた。クゥアン領主は、剣を再び、オスカーに突き刺そうとした。オスカーは前屈みになりながら、剣を握りしめた。
「もう……。仕方がない……」
オスカーは迷わずに、クゥアン領主を切った。右肩を。だがそれは、致命傷にはならない浅い傷だった。それで、気を失ってくれれば……と
オスカーはとっさに思ったのだった。だが、クゥアン領主は剣を離さない。
「よくも。私に……一介の騎士風情が、私に……クゥアンでも名家の私に……裏切り者め、私を切ると言うことは、ジュリアス王を切ったも同じ……」
勝手な言い分にオスカーは腸が煮えくりかえる思いで相手を見た。刺された痛みで目が霞む。もう立ってはいられなかった。両膝をついてクゥアン領主を見上げた。
「こんな男を助けろと……父さんは……」
オスカーの脳裏に、昨日、嬉しそうにしていた父親の姿が浮かんだ。
仲違いしていた二人がこの会合で、事態が変わるかも知れないと心底ほっとしていた彼の姿が。
“一番悪いのは、騙し討ちにしたホゥヤン領主だと判っている。けれど、目の前のこの男は……”
「許せない……許せないけれど……くそぉ」オスカーは呟く。
「何か許せないんだ? 死に損ないめ! 不正も何もかもロウフォンのせいにしてやる。死人に口なしだ!」
クゥアン領主の剣が、オスカーの頭上から降ってきた。それを受け止めようとしたはずだった。受け止めなければと、思ったはずだった。
「ぐ……」
と、オスカーの頭の上で、呻く声がした。
「俺は……」
クゥアン領主の心臓に剣が刺さっていた。受け止めようとしたその剣で、オスカーは、クゥアン領主を刺していた。どん……と太った領主の体は、オスカーの剣を刺したまま倒れた。その拍子にガチャン……と音がし、剣の柄が床に転がった。
“折れてしまったのか……剣……ジュリアス様から賜ったものなのに……”
オスカーもまた、その場に倒れこんだ。横腹から流れ出す血が、すぐにオスカーの頬をも濡らした。オスカーの目の前が赤くなる。火の手が部屋を赤く染めているのか、自分の血のせいか、判らない。
ついに、天井から燃えた梁の一部が落ちた。部屋の角にいたお陰で直撃は免れたものの、その拍子に、壁際に立て掛けてあった、長上衣掛けの台が、オスカーの上に倒れてきた。固い木枠の台に背中を打ちつけられて、オスカーは呻き声をあげた。同時に落ちてきたのはロウフォンの長上衣だった。オスカーを包み込むようにふわり……と。
“父さんの長上衣だ……父さん……父さんは…無事か?”
オスカーは、父親の事を思い出した。だが、体を少し這わせただけで激痛が走り、動けない。
と、その時、居間の扉が乱暴に開いた。どやどやとした足音が響く。一瞬、味方かと思ったオスカーの期待は、すぐに打ち破られる。彼らは部屋の端、長上衣の台の下敷きになっているオスカーに気づかずに、派手な音をたてて梁を跨
いだ。言葉使いから下級兵士のような感じが伺えた。
「梁が落ちてやがる、この部屋、やばぇぜ……おい、コイツ、クゥアン領主じゃねぇのか? 梁の下敷きになってやがる。くたばってやがるぜ」
「丁度いいじゃねぇか。そのでかい指輪を証拠に取れ。報奨金が貰えるかも知れねぇ。さっさと盗るもの盗ってづらかろうぜ、煙がすげぇ。ゴホッゴホッ」
「さすがロウフォンの別宅だ。良い物持ってやがるな」
「盾はよせ。重い。剣はひとまとめにしろ。長剣はかさばる。短剣から外して、袋につめろ。飾り棚の銀細工を掻き集めろ」
「どうせ全部、焼けちまうんだ。なら、俺たちが、お宝を頂いても判りゃしねぇ」
倒れているオスカーの耳には、数名の男たちの声に混じって、壁や飾り棚に据えられたロウフォン家の収集品が取り外されていく音だけが虚しくしていた。
“……火事場泥棒か……下衆野郎どもめ……”
だが、今のオスカーにはどうすることも出来なかった。一声でもあげて、自分がここにいることが判ってしまえば、間違いなくとどめを刺される。
煙のせいで男たちの、咳き込みは激しくなる。それに混じってどこか遠くで笛が鳴った。
「引き上げの合図だ。行くぜ」
「待ってくれ。重てぇ、欲張りすぎたかな、背負うの手つだってくれ」
「身を低くして走れ。煙を吸い込むなよ」
屈んだ男の背中から、掻き集めた収集品の幾つかが、こぼれ落ちたが、男たちはかまわずに大きな袋を背負って逃げていく。
“ちきしょう……”
男たちが去った後、オスカーは呟いた。目の前に連中が落とした盾や短剣が散らばって落ちていた。代々の当主が収集した武器を、ロウフォンは大切にしていた。十七歳になり成人の儀式を終えた後でさえ、一人前の騎士でない者には資格がないと、触れさせて貰えなかったほどである。そのロウフォンが、今朝方、この館に来る前に、二振りしか剣を持ってないと言ったオスカーに、好きなものを持って行けと言った。一人前だと認められた証だと、オスカーは少し嬉しくなった。
“それなのに……”
乱暴に壁から外され、散乱している武器の数々、そして、立ち上がることも出来ずに床に這いばって、死を待っているだけの自分。オスカーは悔し涙を滲ませた。
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