第三章 11


  後宮の一角にあるオリヴィエの部屋から出ると二人は、ジュリアスの元に向かった。長い廊下と中庭を越え主塔に入る。葬儀のあった大広間は、クゥアンの騎士たちに占領されて いる。そこから客間に続く廊下に入り、ジュリアスの使っている部屋へ。
 オスカーがオリヴィエを連れてきたのを見ると、ジュリアスは、優雅なゆったりとした動作で、立ち上がって出迎え、すぐに彼らに椅子を勧めた。
「オスカー、ご苦労であった。オリヴィエ王子、葬儀が終わって早々の呼び出し申し訳なく思う」
 ジュリアスはそういうとオリヴィエに向かって一礼した。驚いたのはオリヴィエである。いまやこの大陸の覇王である彼が、そのような態度をとったことに。
「お話があるとか? 何でしょう?」
 オリヴィエは、そう言いながら椅子に座った。
「では、さっそくだが聞かせて貰いたい、そなたの生い立ちを……」
 ジュリアスは、オリヴィエの金の髪を見て言った。

「前王が、山の麓の狩り場に出向いた時のことです。弓で確かに仕留めた獲物を追って、森に入った時、赤子のワタシを見つけたそうです。それから、ワタシは第二王子として後宮で半ば隠されて育ちました。長じてからも城とこの辺り以外には出たことがありません。 金の髪を持つ者の言い伝え通りに、前王も、自分の血の繋がった娘とワタシとの間に子を欲しがったので、後に王の寵妃より生まれた女児……ジャンリーという姫を娶らせる つもりでした……」
「何? ジャンリー……と? ジュリアス様、その姫は、王家血縁の者ですので、あの配置表に……」
 オスカーは困った顔をして、ジュリアスを見た。
「ジャンリーに何か?」
「うむ……そなたの許嫁と言うことはリュホウ殿から聞いていなかったので、やがてやって来るであろうクゥアンの特使たちのいずれかとの婚約を勧めたのだが……我が国では、身分は騎士と同等の地位のもので家柄も申し分ないものたちではあるが……」
 ジュリアスはオリヴィエの気持ちを推し量るように言った。
「それは願ってもないこと。彼女との事は前王が、決めたことですから」
“兵士たちにくれてやられなくて、よかったじゃないか……”
と、思いながらオリヴィエはそう答えた。

「そうか、では、話の続きを……」
「それだけです。ワタシの知っているのはそれだけなのです」
 オリヴィエは静かに言った。
「では、オリヴィエと言うそなたの名についてはどうだ? 東の大陸では珍しい響きだ。モンメイ独特の韻も踏んでいないようだが?」
「名前はくるまれていた布に記したものがあったそうです」
 オリヴィエがそう答えると、ジュリアスは黙って何か考え事をしていた。オリヴィエはジュリアスに問いかけた。
「王よ……何故、ワタシの金の髪にこだわるのですか?」
「私は知りたいのだ。私の祖先、クゥアンの太祖や私の母が、どこから来たのか? そなたは、自分が天からの使いであると思うか?」
「いいえ」
 ワタシも天から使わされた者と何度言われただろう……とオリヴィエは思う。
「何か特殊な事が出来るわけでもない。ただ外見が、少し違うだけです」
 オリヴィエがそう言うとジュリアスは頷いた。
「そうであろう。金の髪を持つ者は天からの使いだと言うが、私にはそんな事は信じられぬ。あの山脈の向こう……そこから来た……と思わぬか?」
 ジュリアスは窓の外を見た。夕焼けの中に、巨大な山が見える。
「あの山の向こう?」
 オリヴィエは呟いた。
「そなたも山の中の森で拾われたと言う。私の母も同じ。私はいろいろと調べてみたのだ。黒髪などの濃い色の髪と黒い目の者が大多数を占める中で、金の髪とまではいかないが、オスカーのように変わった色合いの瞳や髪の色を持つ者がたまにいる。その者たちに話を聞いたところ、 いずれも祖先にそのような人物がいたというのだ」
「この城の兵士や側仕えの中にも、そのようなものはいます」
 オリヴィエは何人かの顔を思い浮かべた。

「もしやその昔、二つの大陸はひとつだったのではないか? もしくは両大陸間は頻繁に行き交っていたのではないか? そして西には、本当に国があって人々が暮らしているのではないか? そこでは、金の髪や、青い目はごく普通のことではないのか?」
 静かな物言いだったが、そこには怒りのようなものが感じられた。その事にオリヴィエは戸惑い、その真意を探るべく、ジュリアスの傍らにいるオスカーを見た。オスカーの方はその意見を何度も聞かされているのか、いたって平静な表情でいる。
 オリヴィエには、ジュリアスの推測が途方もないものに感じられた。
「自分が本当はどこの、誰から生まれたものなのか……幼い頃から疑問には思ってきましたが、私にはモンメイの王都だけが全ての世界で、この大陸の事を心に思い浮かべるだけでも、想像力を総動員しなくてはなりませんでした……貴方のように、馬に乗り、大陸を駆け地平線すら見たことがない。もちろん水平線も……、ましてや、ずっと西の事など……」
 オリヴィエは、ジュリアスから目を逸らし、俯いて言った。
「それでも、そなたは山は毎日見ていただろう? あの天にまで届きそうなほど高い山脈を。こちら側があるなら、必ず向こう側があるはず……そうは思わないか?」
 ジュリアスは断固とした口調で言った。オリヴィエは顔をあげた。
「そうだ……あの山は……あの向こうには何があるんだろうと、いつも思っていた。高い頂……いつだったか、夜、ふと目覚めた時、不思議な鳥の影を見たことがある。とても大きくて。月のない暗い夜で、すぐに見えなくなってしまったけれど……」
 二人に語るではなく、自分自身の心に問いかけるようなオリヴィエの呟きに、ジュリアスは大きく頷いた。
「私は確かめたいのだ。それがもし私や私の一族に関係するような事ならば、尚更、私には知らねばならぬと思う」
「それは……貴方は西の大陸に行かれる……ということですか?」
「ああ。海を越える。その為に造船の準備をしている。北の地方には、すぐれた設計士が多い。南の者たちは手先が器用な細工師が多い。そしてここ西には、船体に良い木が多くある。条件は整った」
「貴方は……もしや貴方は、その船を造りたいから、西に行きたいから、この大陸の全ての国を配下に治められたのでは……?」
「結果としてそうなった……と言うことだ」
「魔の海を越える……? もし向こう側に辿り着けたとしても、何も無かったら? 言い伝えのように魑魅魍魎とした混沌の世界だったらとお考えにはなりませんか?」
 オリヴィエがそう問いかけると、ジュリアスは立ち上がって、剣の立て掛けてある台の上の小さな箱を手に取った。そして、布張りのその箱の蓋を開けた。
「これを見よ……」
 ジュリアスは箱の中から、深い青色をした石を取りだした。それは金枠で飾られている。古さを感じさせるものだったが、充分に手入れはされている。
「美しいだろう、この濃い青の中に金粉のようなものが見える。まるで夜天の星々を思わせるだろう。このような石は、この大陸にはこれ以外見たことがない。各地で調べさせたがこんな石は誰も知らないと言う。この金の細工は、今ならばこれと同じ物を作れなくもないが、二千年前では無理だったろう。やっと人々は畑で作物を作れると知った頃だ。これは、我が祖先 であるクゥアンの太祖から延々と歴代の王に、受け継がれているラピスという石なのだ。 二千年も前に、どうしてこんなものを我が祖は手に入れた? もしや西からやってきたからではないか? そう考えれば、西の大陸には人の住む優れた文明があるという証拠だ」
 ジュリアスは、オリヴィエがもっと良く見えるように、テーブルの上に置いた。だが、オリヴィエはそれをチラリと見ただけで、手に取ろうともしない。何故か細い指先が震えている……その事に気づいたオスカーが、「どうなさいました?」と尋ねた。
「それは……」
 オリヴィエは、掠れた声で言い、震える指先で襟元を緩めた。
「珍しい石ですから、驚かれましたか?」
 オスカーがそう言ったのを無視して、というよりは耳に入らぬ様子で、オリヴィエは長衣の紐結びを解いた。一番上、二番目……と解き始めた。そして三番目……。
 オリヴィエの首筋が露わになる。顎から鎖骨への完璧な線と白い肌、みぞおちまで長衣の前が開かれた時、オスカーとジュリアスは驚きの声を上げた。
「そなた……それは……」
 オリヴィエは、下げていた金の鎖の首飾りを外して、ジュリアスの蒼い石の隣に置いた。濃い薔薇色をした石の。だが、それを縁取っている金枠は、ジュリアスのものと同じだった……。


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